五、
彼らがなぜ驚いたのか分からず、銀子は不思議そうに首をかたむけた。
「どうしたの?」
「――いや、まさかわたしたちの力に、とは思いもしなかった。だが、そうだね。きみが力を持ってくれるならば、十分わたしたちの力になるだろう」
「そうなんだ……」
あぐらをかいている占部は銀子を見ずに、天井をじっと見上げている。その表情はまったく読めない。銀子はじっと占部を見つめていたが、やがて那由多へ再び視線を戻した。
「占部が気になるかい?」
「うん」
「ずいぶんはっきり言うな。おまえ」
占部が視線を銀子に戻すと、苦々しく顔をしかめる。
今まで「はっきり言ったらどうだ」と言ったばかりなのに、占部はどこか不満そうだった。
「占部は、妖怪ではない。龍だからね」
「龍……」
「そうだ。私は龍だ。偉いんだぞ」
偉いんだぞ、と言って胸をそらす彼の様子は、どこか子供っぽさがあって、どう見ても「偉そう」には見えない。
しかし、那由多が「龍」というのだから、ほんとうなのだろう。
「さあ、今日はもう遅い。隣の部屋に布団を用意してある。湯浴みをして、眠るといい」
「うん……。ありがとう」
実際、頭のなかが整理できていない。力があるとか、龍だとか。――ほんとうに、捨てられてしまったのだ、ということも。
足が重たい。
しっかりと歩いているつもりでも、視界がふらふらとしている。
「銀子どの」
「あ、ありがとう……」
銀子の肩をささえたのは、玄関で出会った藤娘だった。彼女に支えながら、お風呂場へと連れて行かれる。
「……」
脱衣所は、まるで旅館のように広い。
床は畳のようで、さらさらとしている。かごに、着物をしっかりとたたんで置いたあと、長襦袢を脱ぐ。ふいに、思い出した。今は秋なのに、ここに入ってから寒さはあまり感じなくなった、ような気がする。
だが、暖房やエアコンなどといったものはどこにもないし、何故だろうとぼんやり考えたが、答えは出るはずもない。
浴室も、脱衣所以上に広い。
浴槽は檜でできているのか、おだやかな香りが広がっている。すみで湯を体にかけてから、浴槽に入った。
「銀子どの。湯加減はいかがですか」
「あ、えっと、ちょうどいい、です」
引き戸のむこうで藤娘に問われて、あわてて返事をする。
「あなたの名前はなんていうの?」
藤娘のような彼女に今度は銀子が問うと、ちいさな笑い声が聞こえてきた。
「わたくしの名は、藤。わが君の式神にございます。銀子どの」
「そうなんだ……」
「銀子どのは人間でございますね」
「うん」
「どうか、十分ご注意くださいませ。妖たちは、よいものでけではございませぬ」
「――う、うん」
藤はそれだけ囁くように注意してから、物音がすることはなかった。
静寂のなかで湯がたゆたう音を聞いていると、父と母、そして化け物を見るような目をしていた祖母の顔を思い出す。
胸が痛い。
家族だと思っていたのはきっと、銀子だけだったのだろう。両親と祖母はきっと、銀子のことを何とも思っていなかった。だから、捨てたのだ。見えないものが見える、ただそれだけのことで。
悲しくないということではないが、どこか納得している自分もいるのはたしかだ。
橘の家は古い。
ふつうではない人間を排除したがる人しかいないのだな、と、ただそれだけだった。
ぼんやりしたまま、用意された浴衣と羽織を身につけて、風呂場の引き戸を引いた直後、暗かった廊下に火が灯った。
「!?」
驚いて息をのんでいると、廊下をぺたぺた歩く音が聞こえてくる。長い廊下を歩いているのは、真っ赤な髪の占部だ。
袂に手を入れ、だらしなくあくびをしながら歩いている占部は、はじめて銀子にきづいたのか、立ち止まる。
「なんだ、もう上がったのか」
「うん。ありがとう。着替えを用意してもらって」
「私が用意したわけじゃねぇよ。まあ、礼を言われるのはやぶさかじゃあない」
「う、うん。じゃあ、おやすみなさい」
「あー」
間延びした声で答えて、占部はまたぺたぺたと廊下を歩いていった。
部屋は、那由多たちがいた部屋の隣だと言っていたのを思いだし、火が灯っているうちに早足で部屋を探す。
「ここ……?」
あてがわれた部屋は、立派なものだった。何畳あるのだろうか。とても広い。
それに、ここはまるで江戸時代のお姫様の部屋に似ていて、姫屏風や、着物をかける衣桁、そして長持までもが広い部屋に置かれている。
落ち着けるかと問われれば落ち着かない、と言わざるを得ないだろう。
それでもせっかくあてがわれた部屋なので、すみに積み上げてある布団を敷いて、もぐりこむ。
「……」
風もなにも聞こえない。銀子の家だったなら、風がある日はいつも音が聞こえた。
それが今では懐かしくおもえる。
枕にほおを埋め込んで、目をきつくとじた。
「那由多」
無垢の文机にむかう那由多に声をかけたのは、酔っ払ったような顔をしている占部だった。おそらく、外で飲んでいたのだろう。もともと白い頬がほんのすこし、赤くなっている。
「また飲んできたのか。占部」
「ああ、まぁな。それにしても、本気だったんだなぁ。おまえ」
「……ああ。あまりにも不憫だったからね」
「それだけか?」
「それだけだ」
筆を置き、那由多は畳につくほどの白く長い髪をかきあげて、そっとため息をはき出した。
占部の赤い瞳が、じっと那由多を見下ろしている。なにかを言いたげにしているが、口に出すことはなかった。
「――力がある、っていうだけじゃないのか?」
「ちがうさ。それだけじゃない。それだけ、と言う方が、よっぽど不憫だ」
「ふぅん……。ま、私には関係ないがね」
「そうも言っていられないよ。占部。銀子のことを、きみに任せようと思う」




