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鵺の森  作者: イヲ
第八章・破壊・くうのおと
59/129

五、

 銀子は、社のなかに身を潜めていた。暁暗も、扉のすぐ前にすわり、彼女が抜け出せないように見張っている。

 社の中はぼろぼろだったが、贅沢は言えない。

 食べ物は暁暗が持ってきてくれた。

 この林をぬけたあとに、コンビニエンスストアがあるのだろう。

 サンドウィッチや、おにぎりに名前があった。

 お金は葉っぱじゃないよね、とぼんやりと思った。


「銀子」

「なに?」

「大丈夫。占部どのも那由多どのも強い。負けることはないだろう」


 心配させないようにしているのは分かった。

 だから頷くことしかできない。

 それでも、銀子の脳裏には占部の笑みがこびりついている。

 彼はなにを思って、あんなほほえみを浮かべたのだろう――。

 まるで、生涯の別れをいうような。みずからの死を暗示するような。


「暁暗」

「なんだい」

「あなたは、鵺の森をでても人間の姿でいられるんだね」


 無理矢理、思考をちがう方向にねじ曲げる。

 そうでもしないと、こころが疲弊し、死んでしまいそうだった。

 彼も驚いた表情をしている。


「ああ。そうだよ。俺は化け狸のたぐいだからね。ヒトを化かすためにヒトのかたちをとることもできる。占部どもおそらく、ヒトの姿をとることができるだろう」

「占部も?」

「時々、占部どのは鵺の森をぬけだしているのさ。夜、いなくなることがあるだろう? 夜の気をすいに行っているんだ」

「夜の気……」

「月の夜のね。ヒトの世界の気を保つことによって、占部どのの気、というものを正常化していると、だれかから聞いたよ。占部どのは、ヒトの世界も守っていたんだろう? そのなごりかもしれないね」

「そうなんだ」


 鵺の森の気と、ヒトの世界の気。

 そのふたつを織り交ぜて、占部はバランスをとっているのだろう。


 今は何時だろう。とても暗い。電気もとおっていない場所だから、光は自然光に頼るしかない。

 けれど、水はたくさん買ってきてくれた。食料も、一日分だといって、暁暗はパンやおにぎりを買ってきてくれている。

 銀子には、なにもさせてはくれなかった。

 林から出て、買い出しに行くことも。

 それはきっと、那由多からの伝言だろう。

 いなくなった少女がきちんとした身なりで街に出てしまっては、きっと警察が絡んできてしまう。

 それでも――。

 家族は、銀子のことを探していないだろう。警察が身元をさがしても、きっと名乗りを上げないはず。

 無意味だ。


「銀子、寒くはないかい」

「大丈夫……」


 しばらく口をつぐんでいた暁暗が、ふいにたずねてくる。

 彼はおちつかないように、あぐらをかいた。

 やはり、彼も鵺の森が心配なのだろう。それなのに、銀子のお守りをしなければならないことは、辛いことなのだろう。


「暁暗、鵺の森に帰りたい?」


 答えは知っているのに問うのは、銀子は臆病だからだ。

 彼はあいまいに笑って、「そうだねぇ」と首をかたむけた。


「そりゃ、帰りたいけど。那由多どのには恩があるから、帰ろうにも帰れないよね」

「……ごめんなさい」

「ああいや、そういうつもりで言ったわけじゃないんだ。嬢ちゃんを置いて鵺の森に帰ってしまったら、占部どのに踏んづけられてしまう。それは勘弁して欲しいものだから」


 占部。

 占部は、いまなにをしているんだろう。

 とても不安になる。

 自分の手がふるえていることに気づいた。

 占部が強いことは知っている。それなのに、どうしてこんなに不安になるのだろう――。

 

 本当にいいの、と、何十回も自問した。

 すくなくとも占部や那由多は、銀子がここにいることを望んでいる。

 それでも、銀子は銀子だ。

 銀子の思いや悩み、こころは誰でもない、銀子のものだ。

 だれにも強制されることのできないものだ。


「嬢ちゃん、泣いているのかい」

「泣いてないよ。辛いだけ。暁暗だって、辛いでしょう」

「俺には泣いているように見えるけどね。銀子。きみはまだ幼い。不安で泣くことができる年だよ」

「泣かない。私なんかより辛いひとはたくさんいるもの。泣く資格なんてない」

「嬢ちゃん」


 暁暗は、自分のことをほうっておいて、銀子を呼ぶ。

 やわらかで、あたたかい音程の声。

 暗くてあまりよく分からないけれど、笑っているように聞こえた。


「きみと鵺の森で初めて会ったときのことを、話そうか」

「え? 飴を買いにいったときのこと?」

「いいや。俺がここで嬢ちゃんに会ったのは、あの赤鬼が那由多どのの屋敷につれてきたときだよ。草むらごしに、目が合ったのを思い出さないかい」

「あ……。光る目がふたつ、あった気がする」

「そう。それが俺だよ。銀子」


 すこしだけ嬉しそうに、声がはずむ。

 そして、あの光る目が暁暗だったことに驚いた。彼が覚えていたことも。

 暁暗はそっとあぐらをほどくと、銀子のいる奥に身を寄せた。

 頭ひとつぶん高い位置にある肩。

 かすかな体温が感じられた。あたたかかった。


「――100年前。俺がまだ若かったころ」

「今も若く見えるよ」

「それはどうもありがとう――。でも俺はもう、きみにとってはじじいだよ。150歳を超えている」

「そうなんだ……」


 彼はくすりとわらって、そしてくちびるを開いた。

 銀子を安心させるように。


「俺がこちらの世界でいたずらをしていたとき、人間の娘に恋をした」

「恋……」

「ああ。なまえを露子と言った。とても活発で、明るい娘だったよ。俺は人間に化けて、こっそり露子の姿を見ていた。彼女も俺にきづいてくれた。そして、人間として、露子は俺を想ってくれた。けれど、結局は人間。化け狸だと偶然知られてしまったとき、露子は俺に別れを告げたよ。さようなら、ってね」

「……」

「それから俺は、ヒトに恋をすることも、おなじ妖怪に恋をすることもなくなった。まあ、結局をいえば引きずっているんだろうね。露子のことを」

「いまもすき?」

「いいや、そういうわけじゃない」


 きっぱりと暁暗は否定した。

 露子という娘は、怖かったのだろうか?暁暗のことが。銀子はまったく怖くないけれど、その女性はきっと、恐れたのだろう。自分と、自分たちとちがうものだから。


「やっぱり人間は、ちがうものを怖がるんだね……」

「……でもきみは違ったね」

「だって暁暗はやさしいひとだもの……」

「俺は、きみとヒトの世界で会っているんだよ」

「え……?」


 黒い着流しからのびる白い足。それが銀子をなぜかどきりとさせる。

 おもわず、暁暗を見上げた。彼も銀子を見つめている。


「銀子。けがを負った狸を助けたことはないかい」

「えっと……。二年くらい前に一回だけ。私の家の山に、山菜を採りに行ったとき」

「そう。それも俺」


 彼はいたずらをした子どものように歯をみせて、やさしく笑った。

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