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鵺の森  作者: イヲ
第八章・破壊・くうのおと
58/129

四、

 黒い影は、炎をまとっていた。

 その炎もまた、黒い。


 那由多はその姿をただ見つめていた。

 どす黒い炎。それが、大勢の妖怪たちの身体を焼いていた。

 しかし、木々や建物は焼かれてはいない。器用に(・・・)妖怪たちのみを焼いていた。


 黒い帽子。

 黒いコートを身にまとった、異形の人間。

 白いほお。

 ゆがんだ笑み。


「不倶戴天……」


 ふぐたいてん。

 彼はつぶやいた。

 那由多ではない。その男だ。

 

「私は、不倶戴天。妖を焼き尽くす、怒りの炎……」


 詩を詠うように、不倶戴天はつぶやく。

 切れ目の瞳は、黒い。

 まるで、深海魚のように。


「そうか。きみが……」


 那由多はそっと頷く。そこに怒りの色は見いだせない。

 すべてを受け入れるように。すべてをそのまま、見つめているだけだ。


「不倶戴天。きみが妖怪を憎んでいることは分かった。いや、分かっていた、かな。きみのご先祖が700年前、鵺の森を殺したことも分かっているよ」

「そうですか。なら、覚悟ができていますね。白鷺の那由多……。私はずっと、あなたを殺したかった……」


 うっとりと那由多を見つめる。

 その瞳の黒は、憎しみさえ隠してしまっていた。


「それは光栄だね、不倶戴天」


 那由多の姿は、いまやヒトの姿ではない。

 白く、うつくしい鳥。

 ――だった、のだろう。

 白銀の羽根は血でよごれ、赤く濁ってしまっていた。

 そして何よりも目をひくのは、まるでギリシア神話のキマイラのような姿だった。

 いや――。

 この森でたとえるのならば、名のとおり「鵺」。

 さまざまな動物をつぎはぎにしたような、その姿。

 気高くうつくしい獣。そのエメラルド・グリーンの瞳は、だれよりも――冷静であった。


「今までの妖たちはすべて、あなたに捧げる序曲です。愛しの那由多……」

「……」

「あなたは、本能に忠実です。今も私の首をその牙で食いちぎりたいと思っているのでしょう?」


 男はわらう。

 愛しいものにむけるそのまなざしで。


「本能と理性……くだらないものです。理性など、かなぐり捨ててしまえばいい。ヒトも動物。獣とどう違うのでしょう……」

「不倶戴天。きみは何が望みなんだ。ここで平穏に暮らしていた妖怪たちを殺しつくすことは、きみにとってどのような意味を持つ?」

「私は妖怪が憎い。それ以外のなにがありますか? ああ、あなたを除いて、ですね……」


 くすっと笑う男、不倶戴天は、ゆがんだ光をともすその瞳を、那由多にむける。

 憎むこと。

 それを当たり前のことだと、思っている。

 自分のいちばん重要なことだと思っている。


「私はあなたを殺したいほど愛おしい。気高くうつくしい……。今までどれほどの妖怪たちを食いちぎってきたのでしょう……」

「……よく知っている」

「そうでしょう。私はあなたのことなら何でも知っています。愚かな人間の子どもをひろったこともね……」


 那由多は鵺の森の裏。

 光と影があるように、鵺の森にも表と裏がある。

 表の王がカガネならば、裏の王は那由多。

 鵺の森に「都合の悪い」ものを、大勢殺してきた。

 妖怪であろうと、何であろうと。

 血にまみれているのは、占部だけではない。那由多も、おなじだ。


 那由多の瞳が不安定にゆれた。

 彼のなかの本能が、目の前の人間の血をすすれと、血を浴びよと、うなりをあげている。

 ゆらりゆらりと、揺籃のようにふるえている。


「銀子を殺す気かい?」

「彼女は人間であった身だが、今や鵺の森にすむ妖とおなじ。ならば、どうするか分かるでしょう?」


 ひずんだ笑み。

 男はほほえんでいる。

 ずっと、ずっと。

 笑いながら、いのちを踏みにじってきた。

 男のなかには、なにもなかった。ただ暗闇だけが、ヒトの形のなかに住んでいた。

 男は、人間だ。

 ゆがんでしまった、哀れな。

 やがて男は、ヒトのこころをなくし、(みずから捨てたのだ。)ヒトの形を保っているだけの、邪悪な闇。


「彼女はどんな悲鳴をあげてくれるんでしょうねぇ。ねえ、那由多? そろそろ、おしまいにしましょうか……。あなたに彼女の悲鳴を聞かせることができなくて、至極残念ですが……」


 ふ、と、男と那由多の影の間におおきな影ができた。

 龍。

 怒れる龍が、神々しく鱗を輝かせながら地面におりたった。


 ――占部だ。


 怒り狂ったように緋色の瞳が鈍り、うなりを上げている。


「占部……」


 那由多の声は、かすれていた。

 地響きが、遠く聞こえてくる。

 占部によるものだった。


 男は目をほそめ、龍を見上げている。

 占部のうねる龍の身体は銀子が見ていたときよりも、一回りも二回りも大きい。

 怒りによるものだった。

 逆鱗にふれたように。


「おやおや……。守護龍のご登場ですか。あなたは神聖なる龍。私の範囲外なんですけれどねぇ……」

「……占部、なぜ……」

「……」


 ことばは出なかった。

 占部の感情はすでに怒りで染まっていたのだ。


「まあいいでしょう。神の龍の逆鱗を土産にするのもおつなものです」

「占部!」


 爪が地面に食いこみ、へこむ。

 地鳴りが近づいてくる。

 

 やがて――ずん、と、地面が突きあげられるように揺れた。

 地面から岩がはき出され、空からその衝撃で小岩が降ってくる。


「占部、やめろ!」

「なぜ止める。この男は、鵺の森を殺す。ならば、私が殺してやるのが最善」

「……わたしが引き受ける。この男の目的は、わたしの命だ」

「言っただろう。おまえは死ぬべきではない」


 死ぬべきものなど、この森にいない。

 占部も那由多も、わかっている。


「この森を守るのが、私の仕事だ。誰にも邪魔させん」



 咆哮が、ふたたび地鳴りを呼んだ。

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