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鵺の森  作者: イヲ
第八章・破壊・くうのおと
57/129

三、

 銀子は走っていた。

 背中が痛むが、そんなことに構っているひまはない。


 今は、探さなければいけない。

 占部を。

 那由多を。





 銀子が眼目を覚ましたとき、そこは鵺の森ではなかった。

 人間の世界だったのだ。

 なぜ、と思った。

 なぜ、気づかなかったの。

 最初に、そう思った。


 銀子は、毛布に包められていた。

 あたりを見ると、林のようだった。木々がうねるように立っている。


 (ここは、鵺の森じゃない。)


 反射的に思い、立ち上がる。

 足もとに、なにかが落ちた。手紙のようだ。

 それを拾い上げて、手紙を開く。


「銀子へ……。はじめに、きみに詫びなければいけない――」


 手紙には、まじないをかけたことを詫びる文章と、暁暗にきみを任せるということが書いてあった。

 そして、「人間」が襲ってきた、ということも。

 急いでいたのか、文字はやっと読めるほどだった。

 ざっと血の気が引いていくのを感じる。


「そんな……。どうして……それに、暁暗……?」


 彼の名前をそっと呟いた直後、うしろから音がした。

 暁暗だった。

 彼はいつもの黒い着流しに、猩々緋の羽織を肩にかけている。


「ああ、目が覚めたのか。銀子」

「暁暗! どうして……! 鵺の森は? どうなったの!」

「落ち着いて、銀子。那由多どのから言付かってる。手紙を読んだろう?」

「……那由多? 那由多はどこ!?」

「那由多どのは鵺の森にいる。占部どのもだ。いいかい。銀子。きみは、しばらくの間この奥にある社で暮らすんだ」

「やしろ……?」


 暁暗はうなずいて、視線をあげた。林の奥に、きっと社があるのだろう。

 けれど、銀子は冷静ではいられなかった。

 とても混乱している、と暁暗は思考する。


「鵺の森に、帰らせて! 私――」

「銀子。きみが森に帰って、どうするというんだい? きみはまだ頼りない。那由多どのたちの足手まといにしかならないよ」

「……そうかもしれない。でも私は、鵺の森で死ぬって決めた! ヒトの世界にはもうもどらないって、決めたのに……」


 こころに決めたこと。

 それは覆すことができない、と銀子は勝手に思っていたのだ。

 しかし、それはいともたやすく覆されてしまった。

 ぐっと、手をにぎりしめる。


「……分かってる。那由多と占部は私の命を優先してくれた。そのことは分かってる。私が鵺の森に行っても、なにもできない。そのことだって分かってる……」


 まるで、自分に言い聞かせるような声の色。

 暁暗はそれを見つめたまま、そっと銀子の頭に手をのせた。


「那由多どのも、占部どのも、きみのことを思ってヒトの世界に戻したんだ。そのことを分かってほしい」

「……うん……」

「きみはいい子だね。ちゃんとわきまえている。自分の本心とこころを、客観的に見ることができている……」

「そんなことない!!」


 視界がゆがむ。泣いてはいけない、と分かっている。

 違った。

 暁暗が言ったことは、正しくはない。

 すぐにでも鵺の森に帰りたい。そう、銀子にとって鵺の森は「帰る場所」なのだ。

 客観的に自分を見ることができるほど、銀子は大人ではない。

 歯がみして、今を過ごさなければいけないのだろうか?

 苦しかった。

 辛かった。

 けれど、今いちばん辛いのは、彼らだ。

 銀子ではない。

 そのことを分かっているのに、胸が痛くて張り裂けそうだった。


「私はいい子でも、聞き分けがいい子でもない。頭では分かっていても、だめ。苦しい。痛い。ゆめをみたもの。たくさんの妖怪たちがが、やさしいひとたちが、無残に殺されていくさまを。たったひとりの人間が、多くのいのちを踏みにじってるところを。そんなことが、ゆるされていいの? 黙って見ていてもいいの?」

「……銀子……」

「那由多たちは、ずっと私を守ってくれていた。いのちを、こころを。それなのに、私は……安全なところにいても、本当にいいの……」


 問う。

 ほんとうに、これでいいのか、と。

 そして、問い続けなければいけない。

 これから、ずっと?

 ずっと、本当にこれでいいのか、と。


「銀子。そう思っていてもいい。考えていてもいい。けど、今は彼らのことをゆるしていてほしい」

「ゆるす……? どういうこと?」

「きみを、手放したことだ。彼らは、鵺の森を守ろうと戦っている。きみのそばにいない。そのことを、ゆるしてほしい」

「そんなの、当たり前だよ! だって、那由多も占部も、鵺の森にすんでるひとたち。自分がすんでいるところを守りたいとおもうのは、当たり前のこと。それくらい、分かってる……」


 暁暗はすこしだけ安堵したように、表情をゆるめた。

 それを見上げて、はっとする。

 暁暗も、鵺の森にすんでいる妖。

 今だって、すぐに帰りたいと思っているはずなのに、銀子のそばにいてくれる。安心させるように、やさしいことばをかけてくれる。

 それを無碍にしたくはない。


「……ごめんなさい。暁暗だって、鵺の森にすんでいるひとなのに。心配でしょう?」

「そりゃね、心配だよ。ねぐらがなくなるのは、とても困るし、たくさんの妖怪たちが死んでいくのはとても辛いことだよ」


 枯れ茶色の瞳が伏せられる。

 とても辛いだろう。苦しいだろう。自分がうまれた場所が消えていくのは。




 生きとし生けるもの。

 それを否定し、踏みにじることは、人間であってもゆるされない。

 銀子は、おもう。

 許せない。

 生きているのに。妖怪たちだって、人間とおなじように生きているのに。

 それをなぜ、いともたやすく奪えるのだろう――。

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