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鵺の森  作者: イヲ
第八章・破壊・くうのおと
56/129

二、

 2週間後の夜ことだった。

 気が高ぶっている銀子を寝かしつけたあと、占部と那由多は向き合い、ただ口をつぐんでいた。

 畳のうえには(さかづき)が一口ずつ、置いてある。


 このあたりの妖怪たちは、カガネの城に避難していることだろう。

 そのなかにはおそらく、鴉たちも紛れ込んでいるはずだ。

 人間の狂気は、鴉たちさえも怯えさせる。

 おそろしいのだ。

 ひかりを奪った、人間たちが。


「銀子を……」


 那由多が、そっと口を開いた。

 杯に注がれた透明な酒が、那由多の顔をうつす。静かな表情をしていた。


「銀子を、頼んだ」

「……おまえはどうする」

「わたしは、ここを出るよ」

「出るっておまえ……」


 この屋敷から出てしまえば、那由多は、ヒトの姿をたもっていられない。

 白いまつげのかすかな影が、ほおに落ちる。


「ここを出て、星の城に行く。そして、彼女の手助けをしなければ……」

「旭姫か。あいつは強い。おまえが行かなくても、十分だろう」

「あそこに、何人の妖怪たちがいると思う。鵺の森の3分の2は、彼女の城下町にいる。その妖怪たちをすべて、守り切るのは至難の業だ」

「おまえ、全ての妖怪を助けるつもりか? そんなのは無理だ」

「銀子を悲しませたくない。それがわたしがわたしに科した罰だよ。占部」


 占部の眉がひそめられる。

 那由多の、罪における罰。それは知りすぎていた。

 彼が鵺の森にうまれ、そして生きてきた長い年月。そのなかで、いくつの罪と罰をかさねてきたのだろうか――。


「まさか、おまえ……」


 死ぬ気か。

 そうは言わなかった。那由多は高潔だ。そして誰よりも客観的だ。自分のことでさえ。おのれの死さえも、他人事なのだ。


 那由多はそっとほほえんで、杯に手を伸ばす。


「銀子はまだ、ひとりで生きていけない。1週間前、銀子は妖怪たちと共にある、と言ったね」

「ああ」

「彼女はまだ幼い。か弱いヒトの子だ。一時の感情で動くことは、後悔をうむ」

「……人間の世界に返すのか」

「そうだ」


 占部の瞳が、かすかにゆれる。

 ヒトの世界と、鵺の森の世界は、おなじ時を流れている。しかし、決定的にちがうのは、概念だ。妖怪たちは、時間という概念をあまり重要視しない。長寿だからだ。


「わたしは、何が何でも彼女を生かす。たとえ、彼女から恨まれようと」

「……そうか」


 占部はなにも言わなかった。ただ杯を手にして、くちびるにあてる。

 いつ、人間がここに足を踏み入れるか分からない。だが、おそらく彼女はゆめをみるだろう。

 鵺の森の、凄惨な光景を。


「おまえがそう決めたなら、私はなにも言わん。だが――死ぬな。銀子を生かすように、おまえも生きろ」

「……そう願っているよ」


 那由多はこの日の最後まで、おだやかな笑みを浮かべていた。






 血がたくさん出ていた。

 妖怪たちの血だ。

 そして、大勢の妖怪の遺体。無残に殺されてしまった、彼ら。

 人間は、ひとりだけだった。

 黒ずくめの、男の人。その人が、たくさんの妖怪たちを殺した。

 彼は笑っていた。

 愉快そうに。

 体は血まみれだった。黒い衣装が余計黒ずんで見えた。



 咳をする。

 目が覚めてしまった。

 今は何時だろう。時計も、暗くて分からない。

 銀子はこのところ、食事を口にしていなかった。

 空腹を感じないのだ。きっと不安なのだろう、と思う。

 人間は、自分たちと違うものを嫌悪する。それは、分かっていた。銀子自身、そのせいで捨てられたのだから。

 でも、殺そうとまでするだろうか?

 分からない。

 無差別に殺して、どうするというのだろう。

 その人はなにをしようとしているのだろう。そっと、布団からぬけだす。


 廊下を歩いて、中庭に出る。背中はまだ痛かった。昨日、抜糸をした。すぐに激しく動けることはできないと分かっていたから、ゆっくりと歩く。


 中庭は、伊予姫がいた。

 花々は黒ずんで、幹も元気がない。


「伊予姫……」


 幹に手をふれても、声が聞こえてくることはなかった。


「銀子」


 月のように、蕩々とした声。

 ふりむいた先は、占部がいた。表情はどこか、おだやかに見える。


「占部……。どうしたの」

「そりゃ私の台詞だ。寝てたんじゃなかったのか?」

「うん……」

「夢をみたのか」

「……うん」


 黒ずくめの男の人。

 たったひとりで、大勢の妖怪たちを殺してまわっていた。

 そのことを、伝える。

 占部は目を細めて、そうか、とうなずいた。


「700年前。そのときは、人間はたったの3人だった」

「3人……」

「むこうは、私たちを生きているものと見ていない。だから、殺すことに何のためらいもない」

「……」

「銀子」

「もどらない。私、ヒトの世界にはもどらない」


 占部が言おうとしたことを分かっていたかのように、呟く。

 手をにぎりしめて、歯を噛む。


「私と那由多は、おまえを何が何でも生かすと、約束をした」

「どうして? どうして、そこまで生かしたいの?」

「……さあな。だが、私もおまえに生きていてほしい。それだけだ。他意はない……」


 風がふいた。

 なだらかな、風が。

 占部の髪の毛が風に乗った。

 赤い幣も。


「恨んでも、憎んでもいい。分かってくれとも言わん。だが、命さえあれば、無意味じゃなくなる。私も、那由多もな」

「……どういう、こと?」


 声がふるえる。

 分かっていた。どうなるかなんて。

 信じたくなかった。

 占部が、那由多が、やさしい妖怪たちが行き着く場所は、まだそこ(・・)であってはならないのに。


「私が死ぬことはない。強いからな」


 占部はそう言って、不器用に笑ってみせた。





 次の日のことだった。

 黒ずくめの男が鵺の森にやってきたのは。

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