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鵺の森  作者: イヲ
第八章・破壊・くうのおと
55/129

一、

 ぴりぴりとした痛み。

 背中の傷だけではない。

 占部の、「殺気」と呼ぶにふさわしい感覚が、銀子をつきさす。


「……どういうこと?」

「おまえは、選ばねばならない。ヒトの道の人道というものにしたがうのか、それとも(あやかし)の道を選ぶのか」

「こんなの、人道じゃない……」


 いきなり歩いたからか、すこし背中が痛かった。

 それでも、ぐっと背筋をのばして、占部を見上げる。


 そうだ。こんなもの、人道ではない。


 (自分とちがう存在を認めない生き物が、ヒトなの?)


 ちがう。

 きっと、そうじゃないひとだっている。

 ヒトに、家族に疎まれ、妖にたすけられた銀子。

 だからといって、ヒトが嫌いになったわけではない。人間だって、いいひとはいる。祖父のように。やさしい音楽を聴かせてくれたひとのように。


「妖に助けられたおまえは、おそらく妖の道をえらぶんだろう……」 


 占部の気が、ふっとやわらぐ。

 それでも、その瞳は険しかった。


「だが、今回ばかりはそう言っていられない」


 彼はそっと空をみあげて、その青さをたしかめるように目を細める。

 春の透明な空の色。

 その色は、銀子の胸のうちをゆっくりとなだめてくれた。


「おまえの生死にかかわることだ。いいか。銀子。よく聞け」

「……うん」

「人間がなぜ、鵺の森を見つけたのかは分からないし、どうして今また、鵺の森を襲うのか分からない。だが、妖を殺すためにここにくるのなら、私は容赦はしない」


 どういうことか分かるか、と占部は問う。

 銀子はそれが分からないほど、子どもでもなかった。


 占部はきっと、人間を殺す。

 妖怪たちを殺める人間を、殺めるのだ。

 それでいいのか、と占部は言う。


「……きれい事なんて、いえない。……どちらかを選ばないといけないんでしょう」

「第三の道があるのなら、私だってそっちを選ぶ。もう、たくさんだ……」


 むかし、占部は人間を守っていたと聞く。そして、もう一匹の龍が生まれて、鵺の森にきたのだ。その龍はもういない。ひとが、龍を必要としなくなったからだ。

 その守っていた人間に、牙を剥く。その苦しみは銀子には分からない。


「おまえは、人間だ。人間の心をもっている」

「……」

「……まだきみは幼い。ヒトの命をないがしろにすることはできないだろう……。だから、わたしは鵺の森からきみを出そうと思っている。騒動がおさまるまでね」

「いやだ、と言ったら。那由多はかなしい?」

「……銀子」


 困ったように、那由多が眉をよせた。

 銀子だけ、人間の世界にもどす、ということ。たしかに命は助かるだろう。それでも、銀子のこころは助からない。

 銀子だけ助かって、どうしろというのだろう?

 鵺の森にすむ妖怪たちが殺されて、嬲られて、銀子は果たして正気でいられるだろうか――。

 おそらく、人間を憎むだろう。殺したいほどに。


「私、ここに残る」

「死ぬかもしれんぞ」

「いい」


 銀子、とかすれた声で那由多がつぶやく。

 彼が銀子のことをとても心配してくれていることは分かっている。

 それでも彼女は――もうとっくに決めていたのだ。


「だって私、ここで生きてる。今、鵺の森で生きてる。だから、私はここで死ぬ。鵺の森で生きて、死ぬって決めた」


 銀子の瞳は強い。

 ゆるぎない「なにか」を持っていた。


 占部は、そっと伊予姫にふれる。

 声をきくように。繊細な音を聞きわけるように。

 それでも、伊予姫は口を開くことはなかったようだ。やがて手をはなすと、再び銀子を見下ろした。


「銀子。後悔することさえ、できなくなるんだぞ。もっと生きたかったと、思うこともできない。何もないんだ。死というものは。死んだら、もう無意味になる。すべてが。生きてきた道でさえも、砂にかき消されるように」

「私、ちゃんと生きてきたかって聞かれれば、生きてなかった。でも、鵺の森では生きてるって思えたんだ。私、それだけでいい」


 死の無意味さも、銀子は知っている。

 祖父が骨になったとき。

 物言わぬなにかになったとき。

 彼はもう、銀子に語りかけることも、銀子に音楽を聴かせることもなくなってしまったとき、ああ、死というものはすべてを無意味にするものなのだと、理解した。

 過去も、すべて消し去ってしまうのだ。思い出という、不確かな存在のなかにしかいなくなってしまう。


「それだけで、生まれてきた意味がわかった」

「きみがそれを知るには、まだ若すぎる……」


 那由多の、苦しそうな声。

 風がゆるやかに、伊予姫の花を揺らす。そして、黒ずんでしまった花がころころと転がった。

 銀子は痛む背中をまるめて、その花をそっと手にとった。


「花とおなじ。私はちゃんと咲いてた。つぼみのままじゃなかった……。私のなかのギンイロの海。そこにさんごは咲いていたもの。さんごだって、いずれは死んでいく。枯れていく。それとおなじ」

「銀子……きみは……」


 彼女の声は、凜としていた。

 どこにも迷いはない、というように。鵺の森に来たことが、自分の命のすべてだというように。


 占部は、銀子のことばをただ、聞いていた。

 そしてあやうい娘だと、理解する。

 染められてしまっている。鵺の森に。


「私は、妖怪たちと共にいる」






 えらぶのか。おまえは。

 妖怪たちの優しさを、信じるのか。

 だが聡いおまえだ。

 後悔など、しないのだろう。

 だからこそ私は――。

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