表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鵺の森  作者: イヲ
第七章・金木犀の香りをたずさえる
51/129

七、

 かすかな音が。

 鈴の音のような軽やかな音が、する。


 月が出ている。

 白い髪の毛が、風もないのにゆったりとゆれた。


「ごきげんよう。那由多」


 那由多のやわらかな瞳が、とたん険しくなる。

 黒く、つやのある髪の毛。緋袴を身につけ、白くうつくしい千早をはおった少女がほほえんでいた。


「なにをしに来たのかな。……月虹姫」


 ぞっとするような、冷たい海のような声。

 月虹姫は、黒目がちの瞳を三日月にほそめて、赤いくちびるをひらいた。


「ふふ……っ。わたしがあなたに会うために、たくさんの鴉たちを欺いてきたのよ。すこし、感激してくれてもいいじゃない」

「きみを歓迎することは、今までもこれからもないはずだけれどね」

「あいかわらず、つれないひと」


 月虹姫は少女のようにほほえんで、部屋のなかをゆっくりと見回す。

 やがて、なにかに気づいたように黒曜石の瞳をほそめた。


 那由多はすわったまま、月虹姫を見据えている。彼女は「なにか」をおこしても、不思議ではない。

 しかし、月虹姫は那由多を殺す気など全くない。

 那由多のように聡明な妖怪を殺すなど、月虹姫はしないのだ。

 彼女が殺したがるのは、おろかな妖怪たちだけ。

 しかし、その基準というものは曖昧で、形づくられてはいない。まだ、幼い少女なのだ。たとえ、何千年生きていようとも。


「あれ? あの子、死んでなかったんだ」

「……」

「やだなあ。そんな怖い顔しないでよ。わたし、あの子の力がほしいの。だから、本気で殺そうなんて思ってなかったよ」

「死んでもおかしくなかった」

「まあ、死んでしまっても仕方がなかったけど。最近、わたし、手加減できないの。なんでかわかる?」


 那由多の瞳がすっと細められる。

 うすいくちびるは閉じられ、銀子には決して見せない、冷めた表情をした。

 おそろしいほどの冷たさが、月虹姫の瞳をなでる。

 それでも彼女はたのしそうに笑って、首をことんと傾けた。


「あなたが手に入らないからだよ」


 幼い少女は、まるでつれない恋人を見つめるような目で、那由多を上目づかいで見上げる。

 ピンク色の爪のさきを、そっと噛み、にっとくちびるの端をあげた。

 不気味なほほえみだった。


「わたしは、誰のものにもならない」

「だから、ほしいの。わたしはあの子の力よりも、あなたがほしいのよ。那由多」

「無い物ねだりは、きみの得意分野だったね。わたしは銀子を守る。きみとは敵対しているはずなんだ」

「へぇ……。めずらしいのね、那由多。あなたがそんなにもあの子を思っているなんて。だって那由多。あなたは――いつも、一歩下がったところで鵺の森を見ていた。だれよりも冷静で、だれよりも聡明で、だれよりも――冷徹だったのに」


 ふっ、と風がふく。

 那由多のまとう空気が変わったのだ。月虹姫の表情がかすかにこわばり、きゅっとくちびるを結ぶ。

 すわったままの那由多は口の端をゆがめた。

 エメラルド・グリーンの瞳が闇を見つめるように、黒ずむ。


「愚かなのはどちらかな。月虹姫」

「……」

「きみがどう生きようと、どう死のうとわたしには関係ない。興味もない。だが、銀子は殺させない」

「どうして、そんなにあの子がいいの。つぐみの力を持っているから? 助けられなかったから? そんなの、傲慢だよ。那由多」

「どうとでも言えばいい。だが、銀子は銀子だ。つぐみではない。それに、きみが傲慢ということばを使うとはね。驚きだ」


 くちびるをゆがめたまま、彼は呟く。

 かすかな、風の音。

 月が出て、やさしく那由多の髪の毛を照らしている。

 だが、彼の瞳はそのやさしい光を見つめることなく、ただ月虹姫を見上げていた。


 ぞっとするほどの冷たい表情。

 月虹姫が唯一、恐怖する存在。

 それが――那由多だった。

 しかし、彼女との力の差は、歴然だ。月虹姫の力はすべてを圧する力だ。しかし、那由多の力はせいぜい式神を操る程度だ。すくなくとも、彼女はそう認識している。

 それでも――なぜこんなに、恐怖するのだろう――。

 彼女はそう思考する。だが、答えは出なかった。


「……それでも、わたしはあなたを諦めない。決して。だってわたしは全てを持っているんだもの」


 黒い髪の毛をふるわせると、彼女は月の夜に溶けて消えてゆく。

 金箔がちるように、那由多の部屋がちらちらと輝いた。


 那由多は瞳をふせ、ふと息をつく。


「冷徹、か……」


 まるで自分自身を嘲るように笑む。白く、病人のような手を握りしめた。するどい黒い爪が手のひらを血で汚す。


「愚かなのは、どちらだったのかな……」




 そのことばは夜に散って、消えた。







 私は、そっと白い地面にふれた。

 地面はとても冷たくて、これは雪なのだと、はじめて知る。

 月が出ていた。

 銀色に輝くまるい月。


 ちらっと、赤い光が私の前で踊った。


 だれだろう。


「だれか、いるの」


 ああ、そうだ。

 あれは、占部だ。

 占部の炎だ。


 ゆらゆらと揺れて、私をいざなう。

 やさしい光をともしてくれている。私がすすむべき道は、私が決めなければいけない。けれど、今、私はさ迷っていた。

 どこにいけばいいの。

 死は、私にとってまだ遠くていいの?


 そっと手をのばす。

 月をつかむように。


 あたたかい感触が、たしかにそこに存在していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ