五、
「占部……」
龍の姿の占部は眉間にしわを寄せて、うなり声をあげている。
「どうやら、私が来なくともよかったようだなぁ。おい葛籠。死ぬか生きるかどっちかにしろ」
「……あいかわらず傲慢だな。占部」
「ああ? どうだっていいだろ、そんなこと。銀子がテメェを殺せないなら、私が殺す」
占部は本気だ。
本気で葛籠を殺そうとしている。それでも銀子は、覚悟ができていない。死というものは銀子にとってまだ、遠いものだと信じているからだ。
だが、命は重い。抱えきれないほどの重さがあるのだ。
(私は、覚悟なんてできていない。ひとの生を奪うことなんて、できない。私は逃げている。葛籠のいのちから。)
けど、占部は――。
「……俺の願いは、姫様にしか叶えられない。だが、ここで死ねるのなら、それでもいい」
「死ねる? あなたは、死ぬことも望んでいるの?」
「どうでもいいことだ。俺が死のうが生きようが、お前には関係ないことだろう」
そうかもしれない。きっと葛籠にとっては、銀子など餌にしかすぎないのだろう。
それでも、銀子にとって葛籠はひとつの命だ。
葛籠は敵だ。けど、彼を「絶対悪」とは呼べない。
「ああもう面倒くせぇなあ。そんなボロボロの体で立ち向かわれても夢見が悪い。さっさと出て行け」
「……」
葛籠は諦めたようにため息をつき、腹を手でかばいながら徐々に足をうしろへ下げていく。
うすい翠の瞳は暗く、闇をやどしていた。
やがて、葛籠は風の音とともに消え去ってしまった。
そっと息をつく。
占部をみると、いつの間にかひとの姿に戻っていた。
「まったく、面倒くせぇ奴だ。死にたいなら勝手に死ねばいい」
「占部……」
彼の緋色の瞳は冷めていた。
死にたい奴は死ねばいい。たしかに、占部は本気で言っているのだ。
銀子とて――死にたいと本気で思っているひとのこころを救うことはできない。
死はとても、強い力をもっている。惹かれてしまうのも、無理はないだろう。
「葛籠は、死にたがっているの」
「さぁな。だが、願いを叶えたいと思っているのも事実だ。どっちにしろ、私には奴の思っていることは分からんし、分かろうと思わん」
「……私は……」
「銀子。おまえが悩むことじゃない。おまえはまだ、自分以外の命を抱えることはできんだろ。私とは違う」
胸に、氷の破片が刺さったような痛みが銀子を襲った。
そうだ。占部はきっと、だれかを殺したことがある。望もうと、望まなかろうと。
「占部……。占部は、殺したことがあるの……」
「ああ、ある」
彼は何ともないことのように、きっぱりとうなずいた。
そうして、しろい手のひらを見下ろす。自分の手なのに、汚らわしいものを見るような瞳。
その色を見て、銀子は熱がともったような頭のなかに、冷水をかけられたような思いになった。
占部は――。
占部はきっと、たくさんの鴉たちを殺してきたんだろう。
命をまもる守護龍が、命をうばう。
その矛盾。
そのくるしみはきっと、占部にしか分からない。孤独な龍が、そこにいた。
「どうした。今更、私が怖くなったか? 銀子」
「どうして、そうおもうの。私は、怖くなんてないよ。占部。だって、占部の手は殺すためだけにあるんじゃない。守ることだって、できるんだよ」
占部は守るためだけじゃないことを、銀子は知っていた。
守るということは、その分誰かを傷つけてしまうということ。
顔をかすかにこわばらせた占部の手のひらに触れる。その手が、わずかにふるえた。
緋色の髪の毛が風にゆれる。
彼のほおは、雪が凍ってしまったように白い。
「……銀子。守ることも傷つけることも、おなじだ。どちらか一方だけということはない」
「うん」
「私はたくさんの鴉を殺してきた。すべて、鵺の森だと言い聞かせてきた。だが、私は……ただの殺人者だ」
暗い沼底をのぞき込むような瞳。
占部はきっと、ずっと暗いところを見てきたのだろう。
日の当たらない場所を。
「占部、私は――」
鈍い音がした。
背中を押されるようにして、銀子の体が占部の体にたおれてくる。
白く、絹のような雪の上へ、血液が大量に降り注いだ。
「銀……」
浅葱色の髪の毛が、血液でよごれ、とても奇妙な色になっている。
占部は彼女のなまえを最後まで呼ぶことが出来なかった。ただ体を支え、呆然とたよりなく寄りかかっている銀子を見下ろす。
手のひらは、血で汚れていた。
占部のほおを風がなでた。
それだけだった。
占部を傷つけることもなく、ただ静かに風がながれている。
なんてたよりない力だろう。銀子の体は、こんなにも小さかっただろうか。
「銀子!!」
占部の声は、ただむなしく竹林に響いた。




