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鵺の森  作者: イヲ
第七章・金木犀の香りをたずさえる
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五、

「占部……」


 龍の姿の占部は眉間にしわを寄せて、うなり声をあげている。


「どうやら、私が来なくともよかったようだなぁ。おい葛籠。死ぬか生きるかどっちかにしろ」

「……あいかわらず傲慢だな。占部」

「ああ? どうだっていいだろ、そんなこと。銀子がテメェを殺せないなら、私が殺す」


 占部は本気だ。

 本気で葛籠を殺そうとしている。それでも銀子は、覚悟ができていない。死というものは銀子にとってまだ、遠いものだと信じているからだ。

 だが、命は重い。抱えきれないほどの重さがあるのだ。


(私は、覚悟なんてできていない。ひとの生を奪うことなんて、できない。私は逃げている。葛籠のいのちから。)


 けど、占部は――。


「……俺の願いは、姫様にしか叶えられない。だが、ここで死ねるのなら、それでもいい」

「死ねる? あなたは、死ぬことも望んでいるの?」

「どうでもいいことだ。俺が死のうが生きようが、お前には関係ないことだろう」


 そうかもしれない。きっと葛籠にとっては、銀子など餌にしかすぎないのだろう。

 それでも、銀子にとって葛籠はひとつの命だ。

 葛籠は敵だ。けど、彼を「絶対悪」とは呼べない。


「ああもう面倒くせぇなあ。そんなボロボロの体で立ち向かわれても夢見が悪い。さっさと出て行け」

「……」


 葛籠は諦めたようにため息をつき、腹を手でかばいながら徐々に足をうしろへ下げていく。

 うすい翠の瞳は暗く、闇をやどしていた。

 やがて、葛籠は風の音とともに消え去ってしまった。


 そっと息をつく。

 占部をみると、いつの間にかひとの姿に戻っていた。


「まったく、面倒くせぇ奴だ。死にたいなら勝手に死ねばいい」

「占部……」


 彼の緋色の瞳は冷めていた。

 死にたい奴は死ねばいい。たしかに、占部は本気で言っているのだ。

 銀子とて――死にたいと本気で思っているひとのこころを救うことはできない。

 死はとても、強い力をもっている。惹かれてしまうのも、無理はないだろう。


「葛籠は、死にたがっているの」

「さぁな。だが、願いを叶えたいと思っているのも事実だ。どっちにしろ、私には奴の思っていることは分からんし、分かろうと思わん」

「……私は……」

「銀子。おまえが悩むことじゃない。おまえはまだ、自分以外の命を抱えることはできんだろ。私とは違う」


 胸に、氷の破片が刺さったような痛みが銀子を襲った。

 そうだ。占部はきっと、だれかを殺したことがある。望もうと、望まなかろうと。


「占部……。占部は、殺したことがあるの……」

「ああ、ある」


 彼は何ともないことのように、きっぱりとうなずいた。

 そうして、しろい手のひらを見下ろす。自分の手なのに、汚らわしいものを見るような瞳。

 その色を見て、銀子は熱がともったような頭のなかに、冷水をかけられたような思いになった。

 占部は――。

 占部はきっと、たくさんの鴉たちを殺してきたんだろう。

 命をまもる守護龍が、命をうばう。

 その矛盾。

 そのくるしみはきっと、占部にしか分からない。孤独な龍が、そこにいた。


「どうした。今更、私が怖くなったか? 銀子」

「どうして、そうおもうの。私は、怖くなんてないよ。占部。だって、占部の手は殺すためだけにあるんじゃない。守ることだって、できるんだよ」


 占部は守るためだけじゃないことを、銀子は知っていた。

 守るということは、その分誰かを傷つけてしまうということ。


 顔をかすかにこわばらせた占部の手のひらに触れる。その手が、わずかにふるえた。

 緋色の髪の毛が風にゆれる。

 彼のほおは、雪が凍ってしまったように白い。


「……銀子。守ることも傷つけることも、おなじだ。どちらか一方だけということはない」

「うん」

「私はたくさんの鴉を殺してきた。すべて、鵺の森だと言い聞かせてきた。だが、私は……ただの殺人者だ」


 暗い沼底をのぞき込むような瞳。

 占部はきっと、ずっと暗いところを見てきたのだろう。

 日の当たらない場所を。


「占部、私は――」



 鈍い音がした。


 背中を押されるようにして、銀子の体が占部の体にたおれてくる。

 白く、絹のような雪の上へ、血液が大量に降り注いだ。


「銀……」


 浅葱色の髪の毛が、血液でよごれ、とても奇妙な色になっている。

 占部は彼女のなまえを最後まで呼ぶことが出来なかった。ただ体を支え、呆然とたよりなく寄りかかっている銀子を見下ろす。

 手のひらは、血で汚れていた。


 占部のほおを風がなでた。

 それだけだった。

 占部を傷つけることもなく、ただ静かに風がながれている。



 なんてたよりない力だろう。銀子の体は、こんなにも小さかっただろうか。


「銀子!!」


 占部の声は、ただむなしく竹林に響いた。

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