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鵺の森  作者: イヲ
第七章・金木犀の香りをたずさえる
48/129

※四、

「つぐみ……?」


 白い影。霧のなかから、白くても色鮮やかな影が銀子のそばに現れたのだ。

 葛籠は「つぐみだと」と怪訝な顔をした。

 やはり、つぐみは銀子以外見えないのだ。


「知っているの、葛籠……」

「知っている。彼女も、姫様に狙われていた。しかし自死をえらび、永遠に手に入らないと思っていた先に、お前が現れたのだ。銀子」

「……。私は……」


 なにも話さないつぐみは、じっと葛籠を見上げている。

 白く豊かな髪が、ゆるやかに風に乗ってゆらめいた。

 少女特有の赤いくちびるが、そうっと開く。


「――」


 それでも彼女の声は銀子にさえ聞こえず、ただ、風の通り過ぎる音と重なった。

 彼女はただ静かに立ったまま、次に銀子を見つめる。その澄んだ瞳は、銀子になにかを訴えているようだった。

 つぐみのくちびるが、もう一度うごく。


――だいじょうぶ。あなたはきっと、力の使いかたをまちがえない――。


 そのことばは、銀子のこころから聞こえてきたようだった。

 つぐみがそのことばを銀子へ紡いでいる間にも、雪を切るような、にぶい音が聞こえてきている。

 葛籠は決して油断することはなかったのだ。

 彼の攻撃的な「力」は、銀子を傷つけることなく、外し続けている。


 これはきっと、つぐみの力だ。

 攻撃的ではない、守るための力。


「これが、つぐみの――」


 ほんのすこしだけ息を詰まらせたような声色の葛籠は、銀子を睨んだ。

 あじさいの色の振袖を着たつぐみは、そうっと白い指を葛籠にむける。


「!?」


 その()というものは、つぐみのこころをきっと、壊していったのだろう。

 それほど強力で、とても暴力性にみちていた。


 葛籠の体を吹き飛ばし、うしろに伸びていた木々に体を打ち付けたのだ。


 汚れない白い雪に、点々と血が散っている。地にはうように倒れた葛籠の体は動かない。


「……」


 銀子はその場に立ったまま、葛籠のそばに駆け寄ることはなかった。

 それはきっと、葛籠の尊厳を傷つけることになるし、葛籠は銀子にとってたがいに敵でなくてはいけないのだから。


「つぐみ……?」


 そばにいたはずのつぐみが、葛籠を見ていた間に消えていた。

 まるで、溶けてしまった雪のように。


「……ぐ……っ」


 血を吐くような声。

 その声に、地にはう葛籠をはっと見下ろした。


「……」


 頭のなかが熱い。まるで、熱があるようだ。ぼうっとしてしまう。血を見たからだろうか。

 さくり、と雪をふむ。

 下駄が雪に沈んだ。

 赤い鼻緒に雪の結晶がふれる。


「なるほど……。その力は、姫様の力となり得る……」


 傷ついたというのに、どこか楽しそうにわらう葛籠。

 黄金色の細い髪の毛が太陽に反射して、きらりと輝く。

 その髪の毛の合間から、瞳が見えた。ゆがんだ、その色。

 銀子の背筋が凍るように冷たくなる。それでも、頭のなかの熱はそのままだった。


挿絵(By みてみん)


 葛籠の手が、銀子にのびる。

 鋭い風が、銀子のほおを切った。熱い血が流れてゆく。


「どうした。突っ立っているだけじゃ、俺を殺せんぞ」


 傷つくことを喜ぶように、彼はわらう。立ち上がることができずに、ただ銀子へと手を伸ばす姿は、とても――恐ろしく見えた。


「殺そうとしているわけじゃないもの」

「ほう。では、殺されるつもりなのか?」

「殺されるつもりもない」

「自己中心的な娘だな」

「そうだね」


 そっと頷く。

 殺したくはない。それでも、殺したくはない。それはきっと、わがままなのだろう。それでも、それが銀子の本心だった。

 手を汚したくないわけではない。

 ただ、そのうすいエメラルド・グリーンの瞳を殺したくなかったのだ。もっとも――殺せるような力をまだ、発現させていないのだけれど。


「私は、やさしい子なんかじゃないと思う。わがままだし、無い物ねだりをすることだってある。もしも、家族に捨てられなかったら――もしも、妖怪たちが見えなかったら……。そうしたらきっと、ふつうのひとの生を送っていたはず。命を狙われることもなかったはず」

「……」


 咳き込んだ葛籠は、血を吐いた。しろい雪に赤い花のような血が散る。

 銀子はその血から決して目をそらさずに、さらにくちびるを開いた。


「それでも、私はこの世界で生きていくって決めたんだ。ちゃんと、自分で考えて自分の生をきちんと全うしようって。だから、だれかに殺されるつもりはない」

「見上げた娘だ。簡単ではないことを、簡単なように言う」

「……。簡単だなんて、思っていないよ。だって、さんごはまだ育ちきっていない。私は強くないから」


 もう一度血を吐いた葛籠はゆっくりと立ち上がり、くちびるに残った血液を手の甲で乱暴にぬぐった。


「今も、つぐみにたすけてもらった。私はまだ弱い。私以外のひとを傷つけるのだって、怖い」

「……」

「だから、傷つけるためじゃなくて、違う方向に強くならなくちゃいけないんだ。私、あなたと対峙して分かった。つぐみは、望んでいなかったんだ。傷つけることを。そして、私だってそう。傷つけることができるのを強いと思っちゃいけない。あなただって、あなたの望みがなかったら、傷つけることを望んでいないはず」

「俺の心を代弁するな」


 吐き捨てるようにつぶやいた葛籠は、木に背中を預けて、くちびるの端をあげた。


「時間切れだ」


 銀子が立っている地面がずしん、と揺れた。

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