※四、
「つぐみ……?」
白い影。霧のなかから、白くても色鮮やかな影が銀子のそばに現れたのだ。
葛籠は「つぐみだと」と怪訝な顔をした。
やはり、つぐみは銀子以外見えないのだ。
「知っているの、葛籠……」
「知っている。彼女も、姫様に狙われていた。しかし自死をえらび、永遠に手に入らないと思っていた先に、お前が現れたのだ。銀子」
「……。私は……」
なにも話さないつぐみは、じっと葛籠を見上げている。
白く豊かな髪が、ゆるやかに風に乗ってゆらめいた。
少女特有の赤いくちびるが、そうっと開く。
「――」
それでも彼女の声は銀子にさえ聞こえず、ただ、風の通り過ぎる音と重なった。
彼女はただ静かに立ったまま、次に銀子を見つめる。その澄んだ瞳は、銀子になにかを訴えているようだった。
つぐみのくちびるが、もう一度うごく。
――だいじょうぶ。あなたはきっと、力の使いかたをまちがえない――。
そのことばは、銀子のこころから聞こえてきたようだった。
つぐみがそのことばを銀子へ紡いでいる間にも、雪を切るような、にぶい音が聞こえてきている。
葛籠は決して油断することはなかったのだ。
彼の攻撃的な「力」は、銀子を傷つけることなく、外し続けている。
これはきっと、つぐみの力だ。
攻撃的ではない、守るための力。
「これが、つぐみの――」
ほんのすこしだけ息を詰まらせたような声色の葛籠は、銀子を睨んだ。
あじさいの色の振袖を着たつぐみは、そうっと白い指を葛籠にむける。
「!?」
その力というものは、つぐみのこころをきっと、壊していったのだろう。
それほど強力で、とても暴力性にみちていた。
葛籠の体を吹き飛ばし、うしろに伸びていた木々に体を打ち付けたのだ。
汚れない白い雪に、点々と血が散っている。地にはうように倒れた葛籠の体は動かない。
「……」
銀子はその場に立ったまま、葛籠のそばに駆け寄ることはなかった。
それはきっと、葛籠の尊厳を傷つけることになるし、葛籠は銀子にとってたがいに敵でなくてはいけないのだから。
「つぐみ……?」
そばにいたはずのつぐみが、葛籠を見ていた間に消えていた。
まるで、溶けてしまった雪のように。
「……ぐ……っ」
血を吐くような声。
その声に、地にはう葛籠をはっと見下ろした。
「……」
頭のなかが熱い。まるで、熱があるようだ。ぼうっとしてしまう。血を見たからだろうか。
さくり、と雪をふむ。
下駄が雪に沈んだ。
赤い鼻緒に雪の結晶がふれる。
「なるほど……。その力は、姫様の力となり得る……」
傷ついたというのに、どこか楽しそうにわらう葛籠。
黄金色の細い髪の毛が太陽に反射して、きらりと輝く。
その髪の毛の合間から、瞳が見えた。ゆがんだ、その色。
銀子の背筋が凍るように冷たくなる。それでも、頭のなかの熱はそのままだった。
葛籠の手が、銀子にのびる。
鋭い風が、銀子のほおを切った。熱い血が流れてゆく。
「どうした。突っ立っているだけじゃ、俺を殺せんぞ」
傷つくことを喜ぶように、彼はわらう。立ち上がることができずに、ただ銀子へと手を伸ばす姿は、とても――恐ろしく見えた。
「殺そうとしているわけじゃないもの」
「ほう。では、殺されるつもりなのか?」
「殺されるつもりもない」
「自己中心的な娘だな」
「そうだね」
そっと頷く。
殺したくはない。それでも、殺したくはない。それはきっと、わがままなのだろう。それでも、それが銀子の本心だった。
手を汚したくないわけではない。
ただ、そのうすいエメラルド・グリーンの瞳を殺したくなかったのだ。もっとも――殺せるような力をまだ、発現させていないのだけれど。
「私は、やさしい子なんかじゃないと思う。わがままだし、無い物ねだりをすることだってある。もしも、家族に捨てられなかったら――もしも、妖怪たちが見えなかったら……。そうしたらきっと、ふつうのひとの生を送っていたはず。命を狙われることもなかったはず」
「……」
咳き込んだ葛籠は、血を吐いた。しろい雪に赤い花のような血が散る。
銀子はその血から決して目をそらさずに、さらにくちびるを開いた。
「それでも、私はこの世界で生きていくって決めたんだ。ちゃんと、自分で考えて自分の生をきちんと全うしようって。だから、だれかに殺されるつもりはない」
「見上げた娘だ。簡単ではないことを、簡単なように言う」
「……。簡単だなんて、思っていないよ。だって、さんごはまだ育ちきっていない。私は強くないから」
もう一度血を吐いた葛籠はゆっくりと立ち上がり、くちびるに残った血液を手の甲で乱暴にぬぐった。
「今も、つぐみにたすけてもらった。私はまだ弱い。私以外のひとを傷つけるのだって、怖い」
「……」
「だから、傷つけるためじゃなくて、違う方向に強くならなくちゃいけないんだ。私、あなたと対峙して分かった。つぐみは、望んでいなかったんだ。傷つけることを。そして、私だってそう。傷つけることができるのを強いと思っちゃいけない。あなただって、あなたの望みがなかったら、傷つけることを望んでいないはず」
「俺の心を代弁するな」
吐き捨てるようにつぶやいた葛籠は、木に背中を預けて、くちびるの端をあげた。
「時間切れだ」
銀子が立っている地面がずしん、と揺れた。




