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鵺の森  作者: イヲ
第七章・金木犀の香りをたずさえる
47/129

三、

 札から、かげろうのような火があふれる。

 それは波のように、そっと銀子の髪の毛にふれた。

 それでも髪に火が燃え移ることはなく、ただあるじの髪で遊ぶように、浮かんでいる。


「だめだよ」


 銀子がささやく。

 火は炎とよぶにはまだ、つたない。


「私はまだ、弱いもの。でも、急には強くはなれない。分かってる。鵺の森の時間はとても長いから、ゆっくりと、強くなればいいって……」


 火は、一瞬燃え上がると、とたんに消えていく。

 やさしい火だった。

 銀子のことばを肯定してくれたような気さえ、した。



 銀子の姿をじっと見つめている目があったことを、彼女は知らない。

 その視線が凍るように冷たく、するどい棘のように凶暴的だったことも。






 春が近かった。

 

 梅のかたいつぼみが、ゆるやかに綻ぼうとする季節。

 那由多の竹林のそばに、梅の木があった。

 銀子はそれを見上げて、そのうつくしいつぼみに笑いかける。

 そこには、梅の木の精霊がいた。

 精霊ではないかもしれないけれど、銀子にとっては精霊のようにうつくしく見えた。うめ色の羽衣を身にまとい、ゆらゆらと体をゆらせている。


「お嬢ちゃん。(わたくし)が見えるのね?」

「うん。見えるよ」

「そう。私の姿が見える妖怪たちも、すこしずつ減ってきてしまった。那由多どのも、占部どのも、もう私の姿は見えないみたい」

「さみしくないの?」

「そうね……。さみしくないといえば嘘になる。だって、私はここにいるんですもの」

「うん、そうだね。みんな、なんで見えていないんだろう」


 梅の精霊は、ふわふわとした羽衣をまといながら、わらった。

 まるで内緒話をするように、彼女は銀子の耳にくちびるを寄せる。

 彼女の声は、どこか幼く聞こえた。


「私たちの存在は、認知なの」


 それだけ言うと、彼女は銀子のそばからそっと離れた。

 どういうこと、と問おうとしたけれど、梅の精霊の姿はもう、どこにもなかった。


「消えちゃった……」


 ぼうっと立ちすくんでいると、竹林のほうからかすかに残っている雪を踏みしめる音が聞こえた。

 反射的に身構えると、そこには水干を身につけた、那由多の式神が立っていた。

 名前をたしか、瑞音(みずね)と言っただろうか。


「瑞音!? 久しぶりだね」

「銀子どの!」


 彼はとても険しい表情をしていた。

 なぜだろう、とても緊迫しているような――。

 瑞音は銀子に駆け寄り、懐から脇差(わきざ)しのような、小ぶりの刃を取り出した。


「銀子どの。お下がりください。ここは危険です」

「瑞音、どうしたの。何があったの?」

「我が君――那由多さまの結界をやぶり、ここまで来た鴉がいるようです」

「鴉!!」


 銀子の声がかたくなる。

 梅の精霊は、鴉がきたことを知って姿を消したのだろう。


「……」


 ここで逃げたら、鵺の森にきたときとおなじだ。

 立ち向かうことの恐ろしさも、まだ知らない。それでも、怖いといって逃げてはだめだ。

 銀子の世界には、たしかにさんごが育っているのだから。


「だめだよ。下がらない。私は――もう、逃げない」

「銀子どの。銀子どののお命はひとつなのです。私ども式神の命はいくつもあります。だから――」

「もう、遅い」


 凍えるような声。

 その声は、以前聞いたことがある。


 葛籠(つづら)だ。


 黄金色の髪の毛。亡霊のようなたたずまい。

 灰鼠の着流し。緑色の静脈が見えてしまうような、透きとおる白い肌。


 那由多とおなじか、すこし薄い、エメラルド・グリーンの瞳。


「葛籠……」


 銀子の細い声を聞いた葛籠は、驚いたようにその瞳を見開いた。


「驚いたな。覚えていたのか」

「わすれないよ。だって、私の命を狙っているんでしょう。忘れたくても忘れられない」


 彼はくちびるの端をあげて、皮肉そうに、不器用に笑う。

 望んでいない、とでも言うかのように。


「そうか――。そうだったな。では、覚えているだろう。次に会ったときは殺す、と。俺の願いのため、その命もらい受ける」

「……そう。私のことを憎んでいないのに、あなたは私を殺すんだね」

「そうだ」


 きっぱりと、彼は肯定した。

 銀子とて、死にたいわけではない。ちゃんと生きると決意したのだ。


「でも、私は死にたくない。まだ、死んじゃだめなんだ。だから、あなたと戦わなくちゃいけない」

「ほう」


 葛籠は片眉をあげて、興味深そうに彼女の目をみつめた。

 彼の瞳には、以前と違う銀子の姿がうつっていたのだろう。一度目を伏せ、そして、緑色の静脈が見えそうな手を銀子にむけた。


 黙って聞いていた瑞音が銀子の前に、まもるように立つ。


「瑞音。だめだよ。ここは私が何とかするから、占部を呼んできて。私の足じゃ、きっと瑞音よりとても遅いから」

「ですが――」

「大丈夫」


 銀子は青が強い、浅葱色の瞳を葛籠にむけた。

 かたくうなずいた瑞音は姿を変え、クロウタドリになる。黒い羽を散らしながら、屋敷のほうへと飛び去っていった。


「どうして、行かせたの。占部はとても強い。あなただって、殺されるかもしれないのに」

「そうだな。そうかもしれない」

「……あなたは、死ぬのがこわくないの?」

「さぁな。俺には分からん」


 薄いエメラルド・グリーンの瞳を銀子に向け、彼はくちびるを開いた。

 直後、鋭い風が吹く。

 木々をなぎ倒すような力ではなく、ナイフのように鋭く、とがった力だった。梅の枝が切られ、うすい雪の上に落ちた。


「……梅の枝が……」


 葛籠の姿を視界に入れるようにして、落ちた枝を見下ろす。

 切り口はとても鮮明だった。


「何……?」


 葛籠の顔が、かすかにゆがむ。

 そんな表情をさせた理由が分からなかったが、銀子は注意深く彼を見つめた。


「お前、なにをした」


 顔を疑問にゆがめたまま、銀子を睨む。

 なんのことか分からなかった。

 札もなにも使っていないし、占部がもう来たわけじゃない。


「……言霊か」

「私はなにもことばにしてない」

「……」


 ふっと、風が吹く。

 やさしい風だった。


 そして、銀子は見たのだった。

 つぐみの姿を。

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