(休題・永劫回帰)
つめたい風がほおを突き刺す。
屋根の上にすわって、占部はひとり月を見上げた。
長い髪の毛が風にゆれる。
丸い、湖面のような月。
占部はそれをじっと見上げて、くちびるを開いた。
「……おまえは、いつまでも変わらないな」
月は形を変え、なまえを変えている。だが、存在そのものはけっして変わらない。
変わらずに、ただじっと花のようにたたずんでいる。
「妖怪も人間も不変ではない。かならず変わっていくよ」
屋根の上。まるで、初雪のようにふわりと降り立ったのは、那由多だった。
占部は那由多をみない。
ただじっと、月を見上げている。
「永劫回帰」
「あ?」
「そのことばを知っているかい」
那由多はかすかにほほえみ、なにも答えない占部のとなりにすわった。
羽のようにふわりとした髪の毛が、赤い髪を覆うようにふれる。
「生というものは一直線というわけではない。繰り返し繰り返しそれは訪れる。かなしみもよろこびも、ずっとずっと繰り返す。生は無意味だ。あのときの哀しみも喜びも、すべて」
「……何が言いてぇんだ」
「おなじじゃないか」
「……」
「きみは、銀子になにを求めているんだい」
占部の、緋色の瞳がエメラルド・グリーンの瞳を見据える。
「……生きていてくれればいいさ」
「わたしは、なにを求めているのかと聞いているんだ」
いつになく強い口調の那由多をいぶかしむ。
彼の瞳は湖のように濃く、強い色をしていた。
「はぐらかすなんて、きみらしくないじゃないか」
「はぐらかしてなんかねぇよ。私は――」
「彼女を傷つけないでくれ」
月。
小夜鳴鳥の歌声。
那由多の、湖のような瞳。
「銀子はそんなに弱いか」
「……」
「私は、銀子を傷つけたいなどと思ってはいない。だが、遅かれ速かれ、銀子は傷つくだろう。私はそれを守ってはやれない」
こころの傷を守ることはできない。だれも。たとえ、とても強いものだとしても。それが占部でも、那由多でも。
その傷は石に文字を刻むように、消えない。
「占部。銀子はつぐみじゃない」
「分かっている。銀子は銀子だ。つぐみにはなれない」
「それでも、わたしには銀子につぐみを重ねているように見える」
「くだらねぇことを言うな」
吐き捨てるように、つぶやく。
そうだ。つぐみはもう、死んだ。
自死をえらんだのだ。
そして銀子以外の目からはつぐみは見えない。
かくれるように。まるで懺悔をするように。
「つぐみはもういない。人間の住む世界にも鵺の森にも、どこにもいない。それくらい、分かっている」
「銀子は、聡い子だ」
「だから何だ」
「つぐみにしてやれなかったことを、銀子にしているんじゃないのかい」
がちっと、歯が鳴る。
那由多のことば。
占部の想い。
氷のように冷たく、不確かな温度。
「那由多。てめぇ、なにをしたいんだ」
「わたしは銀子をできうるかぎり、守りたいだけだ。殺させない。誰にも」
そう呟く那由多の瞳は、激情を隠している。いのちは、一度奪われるともう、もどらない。そんなこと、分かっている。
「……。おまえこそ、銀子をつぐみと重ねているんじゃないのか」
「わたしは、銀子とつぐみを永劫回帰だと感じた」
「ああ? おなじだって言うのか」
那由多は頷くことも、かぶりを振ることもしなかった。
「もう、うしなわない」
「那由多、おまえ……」
「わたしは、残酷なんだ。わたしはわたしのために、銀子を守る。ただ、それだけだ」
永劫回帰。
つぐみの生を銀子がなぞるようにたどっていく。
それでも、最後はまちがわない、と言うように。
変わる。
ひとも、妖怪たちも。
そういう意味では誰もが傷つくことは避けられないのだろう。
月が、出ている。




