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鵺の森  作者: イヲ
第七章・金木犀の香りをたずさえる
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一、

 舞踏会からおよそ半月がたった。

 鴉たちが銀子を襲うこともなく、ただ平和な時間が流れている。

 カガネが言った、襲うことも少なくなるということは、本当だったのだろうか。


「……」


 そっと、伊予姫を見上げる。雪がふり、徐々に地面を白く染め上げていた。まだ、だれも触れていない地面は純白のまま、汚れていない。


「雪がきれいだね」


 呟いたことばに誰もとどかず、ただ空にきえていく。

 聞いているとすれば、伊予姫だけだろうか。


 銀子は、コトのことばを引きずっていた。

 人間の愚かさ。人間を守る気持ちが分からないと言った、コト自身の思い。それは、きっと本心だろう。

 すみかを奪った人間。それを憎む気持ちは当然だと思う。逆に、なぜ人間の銀子によくしてくれているのだろう。旭姫も、月江も――那由多も、アソウギ通りの妖怪たちも。


 たとえ性格が温厚でも、憎む思いはある。それは、当然のことだ。

 人間とおなじ、感情があるのだから。

 だから、受け入れることしかできない。

 飲み込むことしかできない。


「そんなところにいると、風邪を引くよ」


 やさしい声。

 顔をあげると、那由多がほほえんでいた。真っ白な髪の毛。まるで、雪の結晶をあつめたような、きれいな白。


「那由多」

「どうしたんだい? なにか、悩みごとでもあるようだね」


 エメラルド・グリーンの瞳を、銀子のこころを見つめるように細めた。

 そっとうつむく。

 うん、と素直に言えなかった。

 それでも那由多は、それさえ見透かしたように、ゆっくりと銀子のとなりにすわった。


「どうしてわかるの?」

「わかるよ。わたしにはね」

「……あのね。那由多。どうして、人間を憎まないの? すみかを奪った、愚かな人間たちのことを」


 羽のような髪の毛が、風に乗ってふわりとゆれる。

 白いあごが見えた。彼は空を見上げて、くちびるを開く。


「銀子。人間も妖怪も、憎むという感情はもろいものだ。とてもね。永遠に憎むことはとても、辛いことだよ。自分の身に、とても辛い塊をためこんでいくということだ。だれも、そんなことは望まない。例外はあるかもしれないけれどね」

「私……ここにいて、いいのかな。那由多たちと一緒にいていいのかな」

「どうしてそう思うんだい?」


 とてもやさしい声。

 那由多はやさしい。だから、すぐに返事をしない。

 ふっと、鼻先に白い切片が舞う。

 雪だ。

 けれど、それほど寒くはない。だから、きっとすぐにやんでしまうだろう。


「嫌われることがいやだから、じゃないんだ。人間は、人間のいるべき場所にいなくちゃいけないんじゃないかって……」

「それはちがう。銀子。もしきみが、人間の世界に未練があって帰りたいというのならば別だ。けど、いるべき場所にいなくてはいけない、ということはないと思うんだ。わたしはね。きみがいたい場所にいればいい。だれも、それを否定することはできないよ」

「……いたい場所に、いる……?」

「そう。きみがいたい、と思う場所だ。だが――未練があっても、もう、戻ることは難しいだろう……」

「いいんだ。私は、ここにいたいって思っているから。鵺の森に認められたっていうことでしょう? だから、未練は切り捨てる。もう、もどらないって決めたから」

「きみは強い子だね」


 那由多のきれいな瞳を見て、わらってみせる。

 そうだ。

 もう、もどらない。

 人間ではなくなったからじゃない。

 受け入れてくれたからだ。人間の銀子を。そして、なによりも――自分で決めたのだから。ここで生きていこう、と。


「人間じゃなくなるってまだ分からないけど、だいじょうぶ。私、もうひとりじゃないから。那由多も、占部もいてくれるから、平気」

「……それでいい。きみはひとりではない。決して」

「うん」


 うなずいて、そっと空をみあげる。

 太陽に反射して、雪がきらきらと輝いていた。


 那由多は、銀子がいたいと思う場所をつくってくれた。それがきっと、自身の居場所となるんだろう。

 橘の家でさえ、居場所はなかったのに。


「居場所があるって、とてもうれしいことだね」

「そうだね。銀子。きみの言うとおりだ」


 だから悲しむなんてこと、できない。

 そんなことできない。


「そういえば、占部はどこにいったんだろう。今日、朝から見ていないね」

「ああ、彼ならまた、朝から酒でも飲んでいるんだろう。最近、飲む回数が増えているような気がするね……」

「また、お酒飲んでいるんだ。大丈夫かな?」

「まあ大丈夫だろう。占部から、本当は食べ物を食べないでも生きていけると聞いただろう? だから酒をいくら飲んでもいいんだろう。きっとね」

「どうして、食べないでも生きていけるの?」


 那由多はそっと目を伏せて、どこかかなしいことを紡ぐように、くちびるを開いた。


「彼は、龍だ。命そのものを守るための、守護龍。だから、命をいただくことをしないんだ。本来はね」

「やっぱり、さみしいね」

「そう。だから、彼に食べ物をすすめているんだ。最初はまったく食べようとしなかったけれど」

「そうなんだ……」


 命そのものを守る。

 だから、命をいただくことはしない。

 それは、占部にとってあたりまえのことだったのだろうか?

 けど、那由多が占部を救ってくれた。

 

(でも、私は?)

(私は、占部に恩を返すことが出来ているのだろうか。ずっと、私を守ってくれていた。だから――。私は、占部に……。)



 守ってもらってばかりではいけないと言うこと。それはずっとまえから分かっていた。

 占部がゆめを見てうなされたとき、銀子は自分自身の無力を知った。

 なにもできない。それがこんなにも悔しいことだったなんて。

 いや――。

 なにもできない、ということが当たり前だった。当たり前でいいと思っていた。


(でも、それじゃいけない。)



 銀子のこころのなかを察したのか、那由多はなにも言わず、そっと銀子の頭に触れた。

 それでも、その手に甘えてはいけないのだ。

 銀子が甘えれば、那由多は受け入れてくれるだろう。

 それでは、だめだ。


「那由多。私、ちゃんと生きる。ちゃんと自分自身で考えて、かたちづくっていきたいと思う」

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