九、
舞踏会は終わりをむかえ、妖怪たちはそれぞれ扉から出て行った。
カガネも、いつの間にかいなくなっていた。
「銀子」
「?」
ふいに呼ばれて顔をあげると、旭姫と、見知らぬ肌の白い女性が立っていた。
彼女たちはきれいなドレスを着て、ほほえんでいる。
「旭姫、と……」
「ああ、この姿でははじめてだったの。私は月江。アソウギ通りで会っただろう?」
「月江?」
「そう。私は蛇だが、ひとの姿になることもできる」
「そうなんだ……。ふたりとも、どこにいたの? 私、探したけどどこにもいなかったよ」
「ちゃあんとそなたを見ておったぞ。王に誘われたときは驚いたが、うまく踊れたようじゃの」
二人は顔をよせあって、くすりと笑った。
ほかの妖怪たちのような、侮蔑に満ちた笑みではなくて、やさしいほほえみだった。
「すこし、怖かった」
「ほう。まあ、王はなにを考えているか分からんからのう」
「だが、占部。驚いたぞ。そなた、踊れるではないか。この私が誘ったのに、かたくなに断ったくせ、銀子とは踊るとはなあ……」
「ただの気まぐれだ」
すこしだけ妬ましそうに月江が見るも、占部は飄々とこたえた。
けど、月江は納得したようにうなずく。
「まあよい。さて、私たちはもう帰らねば。私はともかく、旭姫の居城はここからずいぶん遠い場所にあるからな」
「うん、わかった。旭姫、気をつけて」
「ああ。体調も良くなったことだし、本当は一晩泊まる予定だったのだが。少々、急ぎの仕事ができたようだからの。これで失礼するよ」
銀子はうなずいて、大広間から出て行くふたりを見送った。
旭姫の体調がよくなったことに安堵する。そっと息をついたあと、占部を見上げた。
彼も銀子にきづいて、こちらを見下ろす。
「なんだ」
「ううん。帰ろう。那由多がきっと、待ってる」
「……」
占部はうなずきもせず、ただじっとうすいヴェールのある奥を睨んだ。銀子もつられるようにして奥を見据えると、そこにいつの間にかカガネがすわっていた。
「何の用だ。カガネ」
「何の用、とはあいかわらずだね。占部。ぼくは銀子。お前に用があるんだ」
「……私に……?」
首を絞められる直前のような、不安感。
そっと足をうしろに下げる。それが見えたのか、カガネは楽しそうに喉で笑った。
「そう怖がるな。ぼくはお前を取って喰おうなどしていない。忠告をしにきた。それだけだ」
「それはそれは、王みずからご苦労なことだ」
占部はくだらないことを聞くように吐き捨てる。
しかし、カガネは余裕があるのか、ふふっとわらう。椅子の肘掛けに肘をあてて、ゆらりと体をうごかした。
「鴉は、お前を狙っている。気をつけることだ」
「待って。やっぱり、あなたは、鴉を騙しているの?」
「まあ、そういうことになるかもしれないな。今日、この舞踏会を開いたのは、お前のためだよ。銀子」
「え? お披露目って聞いたけど、ちがうの」
「あの少女の時はそうだ。だが、今宵はちがう。旭姫をけん制しようとしたわけでもないさ。なにより、銀子、お前のためだけだ」
頭が混乱する。
占部の顔をみれない。
彼に頼ってはだめだ。
「私のため……? どういうこと。それに、あの少女って、つぐみのこと?」
「質問ばかりだなあ。お前は。まあ、いい。順に答えよう。まずは、おまえのため。それは、鴉どもをけん制するためさ。ぼくという王が銀子。お前を味方につければ、鴉はそうそうお前に手出しができないだろう」
「私が、あなたの味方?」
「お前の本心は関係ない。見かけだけでいいさ。見かけだけでも味方であれば、それでいい」
「それでいいの? あなたは……」
「結構だ」
カガネはなにを思ったのか、ヴェールをくぐりぬけ、再び銀子たちの目の前に立った。
赤い布が、血だまりのようにカガネの足もとに落ちる。
「ぼくも、おまえには生きていてもらいたいと願っている。この森に認められただけでは、生きていけないよ。銀子。鴉がいるからな」
「よく、わからない……」
「まだ、それでいい。いずれ、嫌でも分かるようになる。そして、つぐみ、あの少女は鵺の森に危害を加えようとした」
「え……」
もしかすると、カガネと初めて会ったときに、憎々しげに呟いたのは、つぐみのことだったのだろうか――。
それでも銀子は、つぐみが言った、「鵺の森が好き」ということばを信じたかった。
「そんなはず、ない。つぐみは……鵺の森が好きだって言ってた。鴉にむしばまれるのが哀しいって言ってた……」
「それはそうだろう。それは本心だっただろうから。しかし彼女の力は暴走し、こころを壊していき、そして――自死をえらんだ」
「……力の暴走……」
「そうだ。言霊の力の暴走。それは、鵺の森を脅かすものだった。言霊の力が充満し、月虹姫にまで行き渡ろうとしたときに――あの少女は自死をえらんだのだ」
「なのに、あなたはつぐみを憎んでいるの?」
「憎む? なぜだ。逆さ。哀れな少女だった。鵺の森に殺されたも同然だからな」
カガネはどこか、遠いところを見るように、つぶやく。
おそらく、彼が憎んだのは彼女の力だったのだろう。望んで手に入れた力ではない、呪われた力を。
そして、銀子に生きていてほしいということばは、本当だったのだと知る。
「私に生きていて欲しいというのは、力を暴走させないため?」
「それもある」
銀子とおなじほどの背のカガネ。
彼はそっと目を細めて、口もとをゆるめたけれど、ことばを紡ぐことはなかった。




