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鵺の森  作者: イヲ
第六章・月影の歌
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八、

 カガネが、銀子の手をひく。

 その力は驚くほどやさしかった。


 静かな大広間。カガネと銀子以外は、誰も踊っていない。

 だが敵意のある瞳が、銀子を刺している。

 目の前にあるカガネの瞳。

 うまく隠蔽されている、暗い色。


「あなたは、何なの?」


 音楽にかき消されそうな声を拾ったカガネは、顔をどこか満足そうにほほえんだ。


「ぼくは、鵺の森の王。それ以上でも、それ以下でもないさ。占部と同じようにね」

「……」

「お前は、ぼくを鴉とつながっていると思っているんだろう?」

「!!」


 おもわず、手を離しそうになる。それでもカガネはしっかりと銀子の手をつかんで離さなかった。それどころか、体をよけい添わされて、身動きさえできなくなる。怖い、とおもった。

 それでも、足は動く。

 ここで、動揺したらだめだ。

 カガネは銀子にしか聞こえないような声で、そっと囁いた。


「それは、正解だ」

「……どうして、私にそんなことを言うの」

「お前には、嘘など無意味だ。夢見の力があるのだから。だが――。ぼくが鴉とつながっているというのは、すべて鵺の森のためをおもってのこと」

「どういうこと?」

「月虹姫の懐に入りこむためさ。あれはひどく危険な女だ。鵺の森の敵となりえる」

「もしかして、あなたは――」


 カガネは満足そうにうなずくと、そっと銀子から距離をとった。

 音楽はまだ流れている。


「銀子」


 占部の声を聞くまで、銀子はヴェールのむこうに再びすわったカガネを見つめていた。

 はっと占部の顔を見ると、どこか険しい表情をしていた。おそらく、聞こえていたのだろう。


「あまり、思い詰めるな」

「え?」


 ふたたび踊り始めた妖怪たちは、何事もなかったかのような表情をしている。今までの会話は、まったく聞こえていなかったらしい。


「聞こえていたの?」

「私は耳がいいからな。だが――やはり、食えん奴だ。どこまで信用していいか分からん。まあ、いい。今のことは、まわりには漏らすな。那由多には私から告げておく」

「わ、わかった……」


 鵜呑みにしてはいけないと思うけれど、すべて嘘だとも思えない。

 なぜだろう。

 哀しい色をした、赤い瞳をしていたからだろうか。


(やめよう。思い詰めるなって言ってくれたし、考えても今のところ、どこまでが本当かも分からないから。)


 かぶりを振って、ふたたび壁のほうに向かおうとすると、誰かに手首をつかまれた。

 

「どうしたの、占部」


 そばにいたのは占部しかいない。予想通り、手首をつかんだのは占部だった。

 むすっとした表情。

 いつもの顔だった。

 まわりはみな、ワルツにあわせて踊っている。

 その光景はまるで、水面にうかんだ花びらのようだった。


「どうしたの」


 もう一度尋ねたあと、占部は手首をつかんだまま踊る妖怪たちの輪に入ってゆく。

 スカートのすそを踏まないように気をつけながら、あとを追った。


「わっ」


 いきなり立ち止まり、彼は銀子の手をとったまま、腰に手を触れた。ぎくりと体がこわばる。

 それでも、カガネに触れられたときのように、怖いとは感じない。

 占部が絶対的な味方だと分かっているからだろうか?

 わからない。


「占部?」


 無愛想な表情のまま、銀子をそっとエスコートした。

 ゆっくりと音楽はながれる。

 銀子の目が見開かれた。背の高さは関係ないようだった。それほどまで、占部は慣れていた。

 今までだれかと踊ったことがないと言っていたのに。


「慣れてる」

「まぁな」

「踊ったこと、なかったんじゃないの?」

「こういう場所では踊らねぇよ。だが、訓練はしていたからな」

「……いま、踊ってる」

「いいんだよ」


 なにがどういいのか分からないけれど、銀子は自然と笑みを浮かべていた。

 占部の手はあたたかかった。

 こころの奥の寂しさや哀しさを感じさせないほどの、手のあたたかさだった。


 聞いたことのある音楽が聞こえてきた。

 フレデリック・ショパンの「華麗なる大円舞曲」だ。

 華やかな旋律。

 きらきらと輝くような音。


「この曲、知ってる」

「そうか」

「学校で習ったんだ。華麗なる大円舞曲っていうんだよ。私、音楽がだいすきだった。おじいさまの部屋で、クラシックをたくさん聴いた。ハチャトゥリアンの仮面舞踏会、剣の舞……ヨハン・シュトラウス……ウイーンの森の物語、美しく青きドナウ……。たくさん聴かせてもらった。でも、おじいさまは二年前に亡くなってしまった。今おもうと、おじいさまだけが私を見ていてくれたのだと思う」


 ピアノの、華々しい旋律。うつくしく、昼間の空のような、明るい音色。


「おじいさまが亡くなってから、私はずっとひとりぼっちだった。ううん、ひとりぼっちということに気づいたのは、鵺の森にきてから。ひとりぼっちって、とても哀しくて、さみしい」

「私はそうは思わない」

「どうして?」

「ひとりは楽だろう。誰かをうしなうこともない。誰かを傷つけることも、誰かに傷つけられることもない」

「そうだね。占部のいうとおり。でも、私はひとりぼっちはもう、いやだ。たとえ傷ついても、私は……」

「おまえは強い娘だな」


 占部の緋色の瞳が、すっと細められる。

 眩しいもの、うつくしいものを見るような瞳を目の当たりにして、銀子の胸がかすかに痛んだ。


「だが、鵺の森ではそれを塗りつぶす輩がいる。いくら温和な妖怪たちといえど、姑息な手段をつかって、おまえを危機にさらすかもしれない。この城の妖怪どもは信用するな」

「どうして……」


 信用するな、と言われたことに対してではない。

 銀子がいいたいのは、どうしてそこまでして、心配してくれるのだろうということだ。

 そう呟くと、占部はかすかに笑った。


「なんでだろうな。私は、おまえをなぜか放っておけない」

「……」


 占部の笑った顔は、あまり見たことがない。

 だから、じっと見つめてしまった。すぐに笑みは消えたけれど、銀子の胸にたしかに刻まれた。

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