表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鵺の森  作者: イヲ
第六章・月影の歌
34/129

一、

 鵺の森に受け入れられたということは、人間ではなくなったということだ、と占部は言った。

 

 布団のなかで、月を見上げる。占部も、布団にもぐりこんで眠ってしまった。

 銀色の月が浮かんでいる。

 鼻のあたりまで毛布をあげて、目だけ出す。

 銀子の瞳が、一度閉じた。すぐに開いて、ふたたび月を見上げる。


 この月は、どこまでつづいているのだろう。

 人間の世界とおなじ月なのだろうか?


(人間の、世界……。)


 そうだ。

 もう、人間ではない。

 どこが人間ではなくなったのかと問われれば、はっきり言ってわからない。なにも変わっていないような気がする。


(私は、人間の世界になにかを置きわすれてしまった気がする。)

(なんなのかは分からないけど、それでも――まるで、こころのどこかが欠けてしまったみたい。)


 そっと呼吸をする。

 静かだった。

 占部の呼吸音さえしない。静かすぎて、きっと聞こえないのだ。


「これが、人間じゃなくなるってこと?」


 囁くようにこぼす。

 きら、と、星がきらめいた。

 ギンイロの尾のようだった。





 次の日の朝食も、占部は食べなかった。


「どうして食べないの」

「私はいいんだよ」


 そう言って、いれたばかりの熱いお茶を飲んだ。

 外は、白い切片がきらきらと輝いている。雪が降っているのだ。つないである馬は大丈夫だろうか。寒い思いをしていないだろうか。


「馬、大丈夫かなあ」

「あの馬は、寒さにも暑さにも強い。……便利なもんだ」

「ふうん……。でも、冬も夏も感じないって言うことでしょう。やっぱり、さみしいね」


 水だけで生きていける体は、便利かもしれないけれど、さみしい気がする。

 占部は興味なさそうに「ふうん」と鼻を鳴らした。



「銀子」

「なに?」


 食事を終えて、星の城にむかう準備をしていると、ふいに占部に呼び止められた。

 彼は昨日とおなじ、緋色の羽織をはおっている。


「いいんだな」

「?」


 すっと瞳をほそめ、彼は銀子を険しい表情で見据えた。


「本当に、鵺の森に住むんだな? 人間の世界にもう、未練はないのか」

「……分かんない。未練がないかって言われれば、あるとおもう。でも、もう人間のいる場所には戻れない……」


 そっとうつむく。

 ゆるいカーヴをえがく髪の毛が、肩をなでた。


 人間の世界は、便利だった。車があるし、テレビもラジオも、パソコンもある。けど、それは銀子のこころを慰めてはくれなかった。逆に、どんどんとむなしくしてゆくだけだ。

 けど、この森は――この、鵺の森とよばれる場所は、どれも銀子のこころを癒やしてくれた。

 不便といえば不便だ。命もねらわれている。

 それでも、ここでは銀子は「生きている」。生きているのだと、実感できている。なぜかは分からない。けれど、たしかに銀子は今、幸福だった。


「鵺の森に受け入れられたということは、人間ではなくなるということだ」


 夜に言ったことばを、もう一度占部は呟いた。

 うん、とうなずく。

 わかってる、とは言えない。どういうことなのか、いまだに分からないからだ。


「占部。なんだろう。こころの一部が欠けてしまったみたい。人間の世界になにかを置き忘れてしまったような気がする」

「……そうか」

「これが、人間じゃなくなるってこと?」


 占部は相づちをうっただけで、なにも言わない。

 おそらく、自分で考えろということだろう、と思ったけれど、占部のくちびるが開いた。


「つぐみも、鵺の森に認められた存在だった……。それでも、あいつは自死をえらんだ。殺されたとおなじだ。鵺の森に」


 その瞳は、暗い色をしていた。まるで、鵺の森を憎むような色を。


「おまえは、つぐみのようにはならないでくれ。那由多もそう願っている」

「……うん……」


 答えはなかった。かわりに、占部のこころの淵を見たような気がした。

 つぐみの死を悼んでいる。今も、きっと、これからもずっと。まるで、自分のせいで死んだと言うように。


「じゃあ、行くぞ」

「うん」


 宿屋に働いている女性に礼を言って、ふたたび馬に乗り込んだ。

 白い、ちいさな雪がほおにふれる。ちりっとした痛みを感じた。

 つめたい、と思う。風がきびしく吹く。手がかじかみ、感覚がなくなってくる。足先もとても冷たい。

 肩がふるえはじめると、占部は馬を操作して、走る速度を落としてくれた。


「じき、つく。それまで我慢できるか」

「できる。大丈夫だよ」

「そうか」


 林をぬける。

 そこまで、泊まった宿屋以外の集落はどこにもなかった。

 やがて占部は崖のさきへ馬を移動させると、下にひろがる銀世界を銀子にみせた。

 その白く輝く、真珠のなかのような世界に一等光り輝くのは、雪の中でも分かる、藍色の城壁だった。

 藍の色の壁、そして白い、星の色の瓦屋根が銀子の瞳にうつった。


「あそこが星の城と、その城下町だ」

「すごい、きれいだね!」

「まあな」


 まるで、夜空のなかにいるようだ。

 手綱をひいて、馬はゆるやかな坂をくだりはじめた。


「……ゆっくり、考えればいい」

「え?」

「鵺の森は、まだ待ってくれる」

「待ってくれる……?」

「おまえは、やさしい娘だ。……鵺の森にいては、それを邪魔してしまうかもしれない」


 ぽつりと呟いたあと、手綱を握る手に力を入れた。

 やさしい娘だと、言ってくれる。占部が――。やさしい、龍が。銀子のこころをあたためてくれることばをくれた。

 

(でも、邪魔してしまうって、どういうことだろう?)


「どういうこと?」

「ここでは、優しさだけだと傷つくということだ」


 そっと呟き、馬の手綱を引いて坂を一気に駆け下りた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ