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鵺の森  作者: イヲ
第五章・アイネ・クライネ・ナハトムジーク
33/129

九、

 占部はそのまま、ふたたび眠ってしまった。

 よほど疲れていたのだろうか。占部の思うところは、銀子には分からない。

 ただ、もう彼はうなされることはなかった。



 食事が運ばれてきたけれど、占部は食べることもせずにただ眠っている。

 ただ、夕食はひとり分しかなかった。食べないということを伝えていたのだろうか。


「……いただきます」


 ぽつりと呟いても、かえってくることばはない。

 ひとりきりの食事は久しぶりだ。

 あじのフライに、キャベツを刻んだサラダ、味噌汁に白米。おいしかったけども、やはりひとりきりの食事は味気なかった。

 那由多は、けっしてひとりで食事をとることはない。銀子と占部をかならず食事の時には呼んでくれた。

 それは、幸福なことだったのだ。



「占部、私、お風呂入ってくるね」


 眠る占部に呟いても、やはり返事はない。ただ、静かな寝息をたてているだけだ。備え付けられている浴衣と羽織をもって、女湯へむかう。紅色ののれんに「ゆ」と書いてあるところは、人間の世界とまったくおなじだ。


「だれもいない……」


 そっと呟いたつもりだったが、風呂場のなかはとても響いた。なかは誰もおらず、貸し切りの状態だ。

 ひろい檜の湯船にはいり、そっと息をつく。


「占部、だいじょうぶかなあ」


 なかはとても広い。当たり前だけど、那由多の屋敷のお風呂より、何倍も。

 宿屋の温泉なのに、だれもいないからだろうか。すこし、心細い。おもわず湯船の角によって、薄茶色のすべすべとした壁を無意味にふれる。


 占部の様子がどこかおかしかった。寝ぼけていたのだろうか。だから、あんなに弱々しい姿を見せてくれたのだろうか?

 考えても、彼の思いはまったく分からない。

 銀子と占部はちがう。

 占部のように、何千年も生きていない。その苦しみも、つらさもわからない。

 孤独なのだろう。

 ひとりきりで生きてゆくということは。

 孤独はかなしい。つらい。それでも、そうしなければならなかった哀しみも、銀子には到底知り得ない。


「占部はかなしいのかな」


 辛くて、苦しいゆめを見たと言っていた。どんな夢だったのだろう。彼のことばに、引き込まれる。まるで、ギンイロの海のなかにしずむようだ。

 ギンイロの、銀子の海には、たしかにさんごが育っている。

 なにもない、うつくしい海。

 それが、徐々にさまざまな色に染められてゆく。


 彼のことばは、真実だ。

 そして、銀子のこころを軽く叩く。

 いつもの掴めさせない瞳の色ではなくて、やさしい、とてもやさしい色をした瞳が、銀子の虹彩に残っていた。

 とてもやさしい龍の姿が、銀子の脳裏にうかんだ。



 銀子はそっと湯船から出て、浴衣を身につけた。

 そして裸足のまま、あてがわれた部屋へ走る。タオルでぬぐっただけの髪の毛は、湿っていた。


「占部」


 襖をそっと開けると、彼は何事もなかったように座布団の上にあぐらをかいていた。

 あついお茶をすすって、背中を丸めている。


「なんだ、銀子。風呂にいっていたのか」

「うん。そうだよ」

「そうか。銀子、そっちにすわれ」

「? うん」


 占部がいる反対がわに座ると、占部は湯飲みにお茶をいれてくれた。

 それを両手でうけとると、そっと息を吹きかける。


「なに?」

「ゆめをみたと言ったな」


 どこか、痛んでいるようなトーン。

 銀子はぎくりとして、くちびるを閉じた。


「おまえには、話さなくてはいけない」

「なんのこと?」


 占部の瞳は、銀子をしっかりと見据えている。

 あの哀しいほどやさしい瞳はどこにもない。真剣な表情だった。


「おまえ、ここにきてから爪を切ったか」

「……切ってない」

「髪は伸びたか」

「伸びてない……」


 愕然とする。

 ここにきてから、爪も髪の毛も伸びていなかった。それに気づくこともなかった。

 おもわず自分の爪を見下ろす。透明で、すこしだけピンクかかった色。それは、伸びることがなかった。


「どうして……」

「鵺の森が、おまえを受け入れてしまったからだ」

「うけいれた……?」

「鵺の森は生きている。生きて、ヒトの目から鵺の森を守っていたんだ」


 そういえば、ここはどこなのだろう。

 銀子が住んでいた場所とは似ているようで、まったくちがう。東京でも、埼玉でも、千葉でもない。北海道でも、沖縄でもない。

 占部が言っていることは、そういうことなのだ。


「もし、鵺の森が人間の目に見つかったら、大変なことになる。人間は自分とちがうものを恐れ、嫌う。ここの妖怪たちをみな、皆殺しにするだろう。ここの妖怪たちは温厚だ。戦うことをよしとしない。鵺の森は伊予姫とつながり、そして私とつながっている。そして、選ぶんだ。人間が、ここで生きていけるかどうかを。あるいは――鵺の森が、おまえを殺すか否かを」

「殺す……」

「だが、鵺の森はおまえを受け入れた。おまえは、ここで生きていけるだろう。鴉に殺されなければの話しだがな」

「もう、人間の世界には戻れないって言うことをいっているの?」


 占部はいったんくちびるを閉じてから、そっとうなずいた。


「一生な。なぜなら、人間の一生の年月と、ここに住むものの一生の年月は違うからだ」

「だから、爪も髪の毛も伸びない?」

「そうだ。鵺の森にすむものたちは、みな長寿だ。何百年も生きる。あるいは、千年も生きるものもいる」

「そう、なんだ……」


 うつむき、手をにぎりしめる。

 それでも鵺の森が受け入れてことを、ほんのすこしだけ、誇った。



 占部の夢にふれてしまったから。

 だからでしょう。

 鵺の森に認めてもらえたのは。

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