七、
聞いていないふりをすればいいのに、占部は意外と素直な性格をしていると思う。
むっとした表情で、襖を開けた。
「那由多、おまえ、私がいるってこと知ってて言ったんじゃないんだろうな!」
「いなかったら、そんなこと言わないよ」
「そうなの?」
那由多はほほえんでうなずいた。
彼は、どうして占部が聞いているということを知ったのだろう。銀子は、まったく気づかなかったというのに。
「銀子は行ってくれるようだ。占部、きみはかよわい少女ひとりで行かせるようなことはしないだろう?」
「おまえなあ! そうやって、面倒くさいことを私に押しつけて楽しいのか?」
「楽しいもなにも、わたしが外に出られたら、こんなことは頼まないよ。わたしはきみを信頼しているんだから」
「けっ! どうだかな! まあいい。信頼されるのはやぶさかじゃない」
このふたりは、きっと長いつきあいなのだろう、と思う。
そして、信頼しあっているのだ。銀子には分かる。彼女には、信頼しあえるひとはまだいない。そう思うと、すこしさみしい思いになる。
胸のうちがわで、クロッカスの白い花が咲くように、かすかな芽吹きを感じた。
そして、さんごがしっかりと育っている。育ち始めている。そのことを、彼女ははっきりと自覚した。
「銀子、行くんだろ。さっさと支度しろ」
「う、うん」
あわてて自分の部屋に行くと、部屋の前に藤が立っていた。彼女はにこりとほほえんで、「どうぞ」と襖を開けてくれた。
藤はどこまで知っているのだろう。
「馬に乗られるようでしたら、振袖よりも袴のほうがよいのかもしれませんね」
「私も、そう思う」
「ええ。そうでしょう」
紅色の、占部の髪の毛とおなじような色をした袴を身につける。着物は黒いもので、赤いぼたんがまるで、その生地に咲くように染められていた。
「ねえ、藤」
着付けをしてもらっている間に、そっとくちびるを開く。
「はい。なんでしょう?」
「那由多は、どうしてこのお屋敷から出られないの?」
「……」
彼女はいったん手を止めたが、すぐに帯を銀子の胴体に巻き付けた。その力は、とても弱く感じる。
「那由多どのは、とても繊細なお体をしていらっしゃるのです。私に言えるのは、これくらいです」
「……そうなんだ……」
繊細な体。とても、体が弱いと言うことだろうか。銀子にはまだ、わからない。
それはとても、かなしいことだ。さみしいことだ。
芙蓉の花びらのように、弱々しいということなのだろうか。
「さあ、できました。着替えも、ご用意してあります。馬にくくりつけて、お持ちください」
「うん、ありがとう。藤」
彼女はふたたびにこりとほほえんで、ふっと消えてしまった。
風呂敷につつんである着替えを持って、那由多の部屋へむかう。
「那由多――」
そっと襖をあけると、占部もいた。彼は暁暗のような、真っ赤な羽織を身にまとって無愛想に立っている。
よく見ると、その赤い羽織は金糸で龍を刺繍されていた。かなり細かく刺繍されている羽織に見とれていると、占部に急かされてしまった。
「おら、早く行くぞ。馬も借りなきゃならん」
「うん。じゃあ那由多、行ってくるね」
「すまないね、急で。星の城の場所は占部が知っている。それに、城下町はとても栄えていて、おいしいものもたくさんあるから、食べてくるといい」
「私、那由多のごはんがいちばん、おいしいとおもうよ」
「……ありがとう、銀子。きみはほんとうに、やさしい子だ」
彼はうれしそうにほほえんだ。その表情に嘘はない。
たとえ、何かを隠しているとしても、その表情は真だと信じた。
アソウギ通りについて、さっそく馬を借りると、主人が風呂敷を馬にくくりつけてくれた。占部の荷物はどこにもない。大丈夫なのだろうかと思ったけれど、いつもおなじ着流しを着ているからきっと、大丈夫なのだろう。
占部の手を借りて、馬に乗る。
手綱をひくと、馬は颯爽と走り出した。冷たい風が、ほおを駆ける。
「すごい。馬ってこんなに早く走れるんだ。車みたい」
「鵺の森の馬は、人間の世界の馬とは違うっていっただろ。ここの馬はずっと走ってもそんなに疲れないし、水だけて生きていける」
「草もたべないの?」
「食べようと思えば食べられるだろうが、腹がふくれるって事はない」
「ふうん……。すこしさみしいね」
占部はこたえなかった。
ただ、手綱をひいて、馬を走らせている。それから、どれくらいたっただろう。ほんのすこし、雪が舞ってきた。
「雪だ。馬、だいじょうぶ?」
「これぐらいの雪でどうにかなることはない」
彼は短く呟いて、舞ってくる雪にすこしだけ目をとじた。
まわりはもう、暗かった。
冬は日がとても短い。
「あ、明かりだ!」
銀子が指さしたさきに、集落のようなまとまった明かりがあった。
「宿屋の群れだ。そろそろ休むか」
「うん」
明かりのある場所につくと、占部と銀子は馬から下りて、手綱をもった。白い馬はまだまだ走れそうなほど、元気があるように思える。
馬の長いまつげが、風でふるえた。そして、その黒い瞳は輝いていて、黒真珠のようだった。




