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鵺の森  作者: イヲ
第五章・アイネ・クライネ・ナハトムジーク
31/129

七、

 聞いていないふりをすればいいのに、占部は意外と素直な性格をしていると思う。

 むっとした表情で、襖を開けた。


「那由多、おまえ、私がいるってこと知ってて言ったんじゃないんだろうな!」

「いなかったら、そんなこと言わないよ」

「そうなの?」


 那由多はほほえんでうなずいた。

 彼は、どうして占部が聞いているということを知ったのだろう。銀子は、まったく気づかなかったというのに。


「銀子は行ってくれるようだ。占部、きみはかよわい少女ひとりで行かせるようなことはしないだろう?」

「おまえなあ! そうやって、面倒くさいことを私に押しつけて楽しいのか?」

「楽しいもなにも、わたしが外に出られたら、こんなことは頼まないよ。わたしはきみを信頼しているんだから」

「けっ! どうだかな! まあいい。信頼されるのはやぶさかじゃない」


 このふたりは、きっと長いつきあいなのだろう、と思う。

 そして、信頼しあっているのだ。銀子には分かる。彼女には、信頼しあえるひとはまだいない。そう思うと、すこしさみしい思いになる。


 胸のうちがわで、クロッカスの白い花が咲くように、かすかな芽吹きを感じた。

 そして、さんごがしっかりと育っている。育ち始めている。そのことを、彼女ははっきりと自覚した。


「銀子、行くんだろ。さっさと支度しろ」

「う、うん」


 あわてて自分の部屋に行くと、部屋の前に藤が立っていた。彼女はにこりとほほえんで、「どうぞ」と襖を開けてくれた。

 藤はどこまで知っているのだろう。


「馬に乗られるようでしたら、振袖よりも袴のほうがよいのかもしれませんね」

「私も、そう思う」

「ええ。そうでしょう」


 紅色の、占部の髪の毛とおなじような色をした袴を身につける。着物は黒いもので、赤いぼたんがまるで、その生地に咲くように染められていた。


「ねえ、藤」


 着付けをしてもらっている間に、そっとくちびるを開く。


「はい。なんでしょう?」

「那由多は、どうしてこのお屋敷から出られないの?」

「……」


 彼女はいったん手を止めたが、すぐに帯を銀子の胴体に巻き付けた。その力は、とても弱く感じる。


「那由多どのは、とても繊細なお体をしていらっしゃるのです。私に言えるのは、これくらいです」

「……そうなんだ……」


 繊細な体。とても、体が弱いと言うことだろうか。銀子にはまだ、わからない。

 それはとても、かなしいことだ。さみしいことだ。

 芙蓉の花びらのように、弱々しいということなのだろうか。


「さあ、できました。着替えも、ご用意してあります。馬にくくりつけて、お持ちください」

「うん、ありがとう。藤」


 彼女はふたたびにこりとほほえんで、ふっと消えてしまった。

 風呂敷につつんである着替えを持って、那由多の部屋へむかう。


「那由多――」


 そっと襖をあけると、占部もいた。彼は暁暗のような、真っ赤な羽織を身にまとって無愛想に立っている。

 よく見ると、その赤い羽織は金糸で龍を刺繍されていた。かなり細かく刺繍されている羽織に見とれていると、占部に急かされてしまった。


「おら、早く行くぞ。馬も借りなきゃならん」

「うん。じゃあ那由多、行ってくるね」

「すまないね、急で。星の城の場所は占部が知っている。それに、城下町はとても栄えていて、おいしいものもたくさんあるから、食べてくるといい」

「私、那由多のごはんがいちばん、おいしいとおもうよ」

「……ありがとう、銀子。きみはほんとうに、やさしい子だ」


 彼はうれしそうにほほえんだ。その表情に嘘はない。

 たとえ、何かを隠しているとしても、その表情は(まこと)だと信じた。




 アソウギ通りについて、さっそく馬を借りると、主人が風呂敷を馬にくくりつけてくれた。占部の荷物はどこにもない。大丈夫なのだろうかと思ったけれど、いつもおなじ着流しを着ているからきっと、大丈夫なのだろう。


 占部の手を借りて、馬に乗る。

 手綱をひくと、馬は颯爽と走り出した。冷たい風が、ほおを駆ける。


「すごい。馬ってこんなに早く走れるんだ。車みたい」

「鵺の森の馬は、人間の世界の馬とは違うっていっただろ。ここの馬はずっと走ってもそんなに疲れないし、水だけて生きていける」

「草もたべないの?」

「食べようと思えば食べられるだろうが、腹がふくれるって事はない」

「ふうん……。すこしさみしいね」


 占部はこたえなかった。

 ただ、手綱をひいて、馬を走らせている。それから、どれくらいたっただろう。ほんのすこし、雪が舞ってきた。


「雪だ。馬、だいじょうぶ?」

「これぐらいの雪でどうにかなることはない」


 彼は短く呟いて、舞ってくる雪にすこしだけ目をとじた。

 まわりはもう、暗かった。

 冬は日がとても短い。


「あ、明かりだ!」


 銀子が指さしたさきに、集落のようなまとまった明かりがあった。


「宿屋の群れだ。そろそろ休むか」

「うん」


 明かりのある場所につくと、占部と銀子は馬から下りて、手綱をもった。白い馬はまだまだ走れそうなほど、元気があるように思える。

 馬の長いまつげが、風でふるえた。そして、その黒い瞳は輝いていて、黒真珠のようだった。


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