六、
「那由多、ほんとうに大丈夫なの?」
「ああ。起こしてすまなかった。……なぜ、わたしが倒れたと分かったんだい?」
「音がしたんだ。すこしだけ。羽が落ちてしまったような、かすかな音」
「そうか……。もしかすると、それがきみの夢見の力かもしれない」
「そうなの?」
鳥のすがたのままの那由多が、すこしだけ笑ったような気がした。
もしかするとね、と、彼がつぶやく。
もう、ゆめを見ていたのか分からなくなってしまっていたけれど、音がしたことはたしかだった。
すこしだけかなしい音だった。
「さあ、もうお休み。わたしは大丈夫だから。明日になれば、ヒトのすがたに戻れるだろう」
「うん。おやすみなさい。那由多」
彼をひとりきりにするのは気が引けたが、大丈夫だと言っているのだから信じる。明日の朝にはまた、朝食をつくって待っていてくれるだろうから。
那由多のことは何も知らないな、と布団のなかで思う。
枕にほおを押しつけて、そっと息をはいた。
彼は、何歳なのだろう。
どうして、この屋敷から出られないのだろう。
体が特殊とは、どういう意味なのだろう。
分からない事ばかりだ。それでも聞く勇気はない。なぜなら、彼が聞くな、と言っているような瞳をしていたからだ。
だから、聞けない。
聞いてもきっと、かなしそうな顔をするのだろうから。
銀子は、いつの間にか眠っていた。
夢は、見なかった。
朝起きると、那由多がいつもの部屋で朝食をつくって、待っていてくれた。ちゃんとひとの形を取っていて、安堵する。
占部はいつもどおり、眠たそうにあくびをしていた。
「おはよう、銀子」
「おはよう。よかった、那由多。体調はもう、大丈夫になったの?」
「大丈夫。あんな姿を見られるなんて、すこし恥ずかしかったけどね。でも、もうこのとおり、平気だよ」
彼はほほえんで、白いほおをゆるませている。
朝食は、卵焼きと味噌汁、そして里芋と大根の煮物だった。那由多は、肉を食べない。作ってくれるけれど、豚肉や牛肉、鶏肉はけっして口にはしない。まるで、えらいお坊さんのようだなと思った。
朝食をとってしばらくすると、廊下から、忙しない足音が聞こえてきた。
暁暗とは違う、とても急いでいるような音。銀子は自室の襖をあけて、そっと音のするほうへ顔をあげる。
かげろうのように弱々しい、それでも光を発している子どもの後ろ姿が見えた。
水干を身につけて、まるで平安時代の装束のようだ。
銀子はそっとあとをつけた。
しっぽのように、黒髪がゆれている姿。その姿をおうと、那由多の部屋の前で止まった。
そして、銀子が追ってきたことを知っていたのか、くるりとこちらに顔を向ける。
目は鋭く、白いほおは雪のようだった。そして、くちびるは少年らしく、ほんのすこしだけ赤く染まっている。
「銀子どのですね」
「あ……うん」
「お初にお目にかかります。私は那由多さまの式神にございます。名を、瑞音と申します」
「瑞音……さん? そんなに急いで、なにがあったの?」
「……。あなたにも、申し上げるべきかもしれませんね。こちらに」
瑞音は、少年なのにとても大人びたことばを使っている。それが当たり前のように。もとからそうであったように。
そっと襖を開けた瑞音は、那由多のそばに走り寄って、耳打ちをした。
エメラルド・グリーンの瞳が見開く。
「そうか、わかった。ありがとう、瑞音。たすかった」
「我が君の頼みですから。では」
ふっと風が吹いたあと、瑞音は姿を消してしまう。残ったのは、白い紙切れだけだった。
那由多はそれを拾い、懐にしまった。
「消えた……。なにがあったの、那由多」
「……。前に、銀子。きみはわたしが手紙を誰に書いているのか、聞いたね」
「うん」
「その相手は、星の城と呼ばれる城に住んでいる、星夜光の姫――旭姫から手紙の返事が来なくなって一ト月がたった。床に伏せっていると思って式神を送ったんだけどね……」
「旭姫……?」
「どうやら、予感が当たったらしい。彼女は今、病で伏せってしまっている」
話しが見えない。
銀子が首をかたむけると、那由多は目を伏せて、やがて決心したように彼女を見下ろした。
「銀子。きみがその星の城に行ってくれると、わたしとしてはありがたいのだが……」
「星の城って、どこにあるの? 私でよかったら、行くよ」
「……そうか。ありがとう、銀子」
どこか彼は歯切れが悪い。決断するのが早かったからかもしれないけれど、那由多はすこしだけ悩んでいるようだ。
星の城というきれいな名前の城を見てみたいというのもあるし、那由多の力になりたいということもある。
やがて決意したように、彼は銀子を見据えた。
「星の城は、ここから一日かかって行ける場所だ。手段は馬しかない。占部も一緒に行くだろうけれど、鴉も黙ってはいないだろう。それでも行ってくれるかい」
「うん。危険だっていうのは、わかる。馬に乗るのも、構わないよ。お尻がすこし痛くなるくらいだから」
「そうか。ありがとう、銀子。きみはいい子だね」
彼はすこしだけ、疲れているようだった。
それはそうだろう、昨日、鳥の姿になってしまったくらいだから。
「那由多は休んでいて。まだすこし、顔色悪いよ」
「……ありがとう、銀子。占部、聞いているんだろう。そういうことだから、よろしく頼むよ」
そう言って、彼は襖の奥を覗くようにほほえんだ。




