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鵺の森  作者: イヲ
第一章・橘銀子
3/129

二、

「おまえが、ふつうの子だったら……。ふつうの子だったら、こんなことにはならなかったのに……」


 哀れむような声色に、銀子はさっと正座している膝を見下ろす。

 うつむく銀子を、母と父は口々に「ふつうの子だったら」と言い合っている。

 ふつうの子って、何だろう。

 ふつうの子だったら、捨てられずにすんだのだろうか。視界の端に、大きな鬼の膝が見える。この膝が見えなかったら――小鬼の声が聞こえなかったら、捨てられることはなかったのだろうか。


「……」


 それでも、銀子の胸のうちは静かだった。

 おそらく、うすうす感じていたからだろうか。小学生のころも、幼稚園のころも、どこか不気味なものを見るような目をしていた。


「銀子。今日はここで寝泊まりしなさい。明日、森に連れて行くから」

「……」


 せめて、返事はしないでおく。意趣返しのつもりだったが、心のなかに残ったのは、うつろにも似た、むなしさだった。

 母と父はこの部屋から何も言わずに出て行って、一人残された銀子は、(いや、一人じゃないか――。)大きな鬼と、ちいさなものたちが部屋にいてくれている。

 ちいさな頃からずっと一緒にいた、妖怪や鬼たちは銀子に危害を加えることは一切なかった。


「行くのか」


 大きな鬼が囁くようにつぶやく。銀子は、はっと頭をあげて、一つ目の鬼を見上げた。

 ぼろぼろの黒い着流しを着た、赤い色の鬼は銀子を見下ろして、ゆっくりと立ち上がる。


「行くのか。鵺の森へ」

「ぬえのもり……?」

「そうだ。この近くにある森は、われわれの間で鵺の森と呼ばれている。鵺の森は、われわれのようなものが住む森だ。おまえは、そこに行くのか」

「そこに、捨てられるの?」

「ちがう。おそらく、鵺の森よりもずっと南の場所だろう。……われは、言付かっている」


 赤鬼は袂から白い紙を取り出し、銀子に渡した。和紙のようにごわごわとした紙を開くと、墨で「橘銀子殿」と銀の名前が書かれている。


「たちばな……ぎんこどの。……時間がない。この手紙をたくした鬼についてきてくれ。そうしなければきみは……」


 ほんとうに死んでしまうだろう――。


「これは、だれが書いたの?」

「白鷺の那由多(なゆた)だ」

「なゆ、た?」

「そうだ。おまえが望むのなら、鵺の森へつれてゆこう。鵺の森は、おまえを歓迎するだろう」

「……」


 このままだったらほんとうに森へ捨てられて、いずれ死ぬだろう。

 町へ戻っても、きっとまた森へ捨てられるのだろうから。それか――誰かに殺されるか。


「おまえは、まだ生きていたいのか?」


 鬼が問う。


「まだ幼きおまえは、分からないのだろうが――。死ぬことも生きることも、すべて自分で決めなければならないことだ」

「自分で……決める……」

「そうだ。しかし、まだおまえは幼い。ゆえ、一人で考えるのも、難しいだろう――。だからこそ、那由多殿はこの手紙をよこした。おまえには、生きていて欲しいと願うものがいる」

「……ほんとうに?」


 赤い大きな鬼はゆっくりとうなずき、銀子の手より数十倍も大きな指を握った。

 背中を丸めて歩く赤鬼と手をつなぎ、襖を音を立てずに開ける。こんなに大きな鬼なのに、足音はまったくしない。それは、鬼だからだろうか。分からないが、銀子も足音をたたせずに歩く。

 隣の部屋を通り過ぎるとき、母と父の声が聞こえてきた。

 その声は楽しげで、テレビを見ているようだった。

 そうして、理解する。

 銀子――娘のことを、もう何とも思っていないということを。いてもいなくても、どうでもいいということを。

 銀子はぐっとくちびるを噛みしめて、立ち止まった。


 しかし、両親が銀子のことをどう思っていようと、銀子の両親はこの二人しかいないのだ。

 悲しい思いや、辛い思いが今銀子を襲っていても、両親はそれにはきづかない。それでも――たった二人だけの両親なのだ。


 銀子は楽しげに話をしている襖のむこうの両親にむかって、一礼をする。


 きっともう一生、二人の顔を見ることはないのだろう。


「……鵺の森でくらそう。われわれは、おまえを歓迎する」

「……うん」


 母はうつくしく、やさしかった。

 父は強く、厳しかった。

 でもそれは、ほんのすこしの時間だった。否、最初からそうではなかったのかもしれない。


 玄関をぬけると、すでに提灯の火は消え、電灯だけが夜の回廊を照らしている。

 二階はまだ明かりが灯っていて、まだ消えないようだ。


「……」


 きっと、すぐに忘れるだろう。

 銀子がいなくなったことを。鵺の森という場所にいようといまいと、きっとすぐ忘れる。そういう人たちだということを、銀子は知っているからだ。痛いほどに。


「こっちだ」


 下駄で石畳を引っかけないように十分注意しながら、街灯の明かりと赤鬼の指だけを頼りに歩く。

 たまに通る町の人は、まるで銀子が見えないかのように、通り過ぎていった。不思議に思うひまもなく、赤鬼はどんどんと歩いていってしまう。

 だんだんと暗い森のほうに近づいていくごとに、ほんのすこし銀子を恐れさせたが、戻ることもできない。

 ふたたび、祖母と自分の家がある方向へ顔をむける。

 

「恋しいか」

「……分からない。でも、私に生きていて欲しいって思っている人がいるなら、私は生きていたい」

「そうか。わかった。ならば、このまま連れて行こう」


 鬼はそう言い、銀子を連れ立って暗い森のなかへと入っていった。

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