五、
那由多はひとり、手紙を書いていた。
すぐに切れてしまいそうな油。
その頼りない明かりのなかで、ゆらりと影がゆれた。
「……お呼びですか。我が君」
「ああ、きたね」
水干姿の少年が、手をついている。水色の、うつくしい色の水干を身につけた那由多の式神は、そっとくちびるを開いた。
「久しぶりのお声で、うれしゅうございます」
「すまないね。最近呼び出す機会がすくなくて。早速だが、きみに頼みたいことがある」
「なんなりと」
長い髪の毛をうしろで束ねた少年姿の式神の顔だちは、とても凜々しい。目が鋭く、黒い瞳が印象的な式神だ。
彼の名を、瑞音という。
名のとおり、みずみずしい、まだ幼いつぼみのような声をしている。
「星夜光の姫はどうしているか、使いを頼まれてくれないか」
「旭姫でございますか?」
「ああ。最近すこし、静かだからね。床に伏せっていなければいいんだが」
瑞音は目をまるくして、思考するように視線をあげた。
旭姫は、星の城と呼ばれる城の主だ。
女性にして、城を一代でたてたという女傑でもある。
きれいな白い城に似合う、うつくしい女性だが、最近彼女の噂をきかない。
たとえば大きな熊を捕っただとか、凶暴な狼を捕っただとか。そういう噂が絶えなかったのだが、最近まったく聞かない。
「かしこまりました。ではさっそく、行って参ります」
「頼んだよ」
彼はそっと頭を下げると、那由多の部屋から消え去った。
残された那由多は、丸窓のさきからぼんやりとかたち作られる、月を見上げた。
その瞳は、どこか疲れたような色をにじませている。ここのところ、眠っていない。息をついて、顔をふせる。
じわ、と、ほおのあたりから、鱗のようなものがうかぶ。
だが――それは、鱗ではない。鳥の羽根だ。
「……」
その羽根が、しずかに落ちる。影ができたが、すぐに消えてゆく。
やがて那由多の体が、畳の上に音も立てずに倒れた。
ウォーター・クラウンのように、羽根が那由多のまわりにふわりと散る。
月の光のした、彼の体がぐにゃりとゆがんだ。
かすかな音がした。
羽根が舞い落ちるような、そんなちいさな音。
硝子がくだけるような音が。
銀子は飛び起きて、浴衣のうえに羽織をはおり、廊下に出た。
夜の廊下は暗い。
おそらく銀子がここに来てから、夜の廊下を歩くのは片手で数える程度だろう。
長い廊下がいっそう長く見える。まるで迷路の入り口に立つように、一歩を踏み出すことに勇気がいる気がした。
はだしのまま、銀子は廊下を走る。
那由多の部屋の隙間から、明かりが漏れていた。
とてもいやな予感がする。
襖をあける手が、かすかにふるえた。
「……那由多?」
明るいけれど、どこかさみしい部屋。
文机のうしろにある白鷺が描かれた屏風があるだけで、那由多はどこにもいなかった。
「那由多」
小声で囁く。
それでも、あのやさしい声は聞こえない。
部屋のなかに入る。
畳がきしむ音が聞こえた。ふいに、足の甲にふわ、と白く軽いなにかが落ちてきた。
「羽根? あっ」
そっとかがんでそれをつまむが、すぐにうつくしい羽根は消えてしまう。
「那由多……?」
かがんだときに見えたのは、白く大きく、そして見たこともないくらいに美しい鳥だった。
その鳥は――白鷺だ。
まるで、星のように白く輝く羽根。
長く、しなやかな首。
この鳥は那由多だ。
銀子はすぐに理解し、駆け寄る。
「那由多……那由多でしょう! どうしたの!?」
そっと羽にふれる。それでも、彼はぴくりとも動かない。
いつものエメラルド・グリーンの瞳は閉じられて、開かないままだ。
「占部、呼んでくる!」
くせのある長い髪をひるがえして、占部がいる部屋に走った。足の裏が冷たく、痛む。長い廊下をただ走り、隣の占部の部屋の襖を開けた。
占部の部屋に入ったのは、はじめてだ。
なかは、とても簡素だった。文机、桐箪笥、そして布団と、那由多の部屋とおなじ丸窓があるだけだ。
「占部!」
彼は畳の上に横になっていて、うとうととしているようだ。
銀子の声にようやく顔をあげて、面倒くさそうに「なんだ」とうめく。
「なんだ、じゃないよ! 那由多が倒れてる!」
「ああ? ああ、なんだ。もうそんな時期か……」
「え?」
「しかたねぇなあ」
のんきなことを言っている場合ではないと思うけれど、占部のことばにすこしだけ、ひっかかる。
ゆっくりと起き上がって、のんびりと那由多の部屋へと歩き出した。
「はやく! 那由多が死んじゃう!」
「死なねぇよ」
まるで軽口を言うように、占部があくびをしながら呟く。その様子は、何ともないとでも言っているようで銀子はすこしだけ、安堵する。
それでも、那由多が倒れてしまっているところを直に見て、ショックを受けたのも事実だ。
那由多の部屋の襖を開けっ放しだったことに、今更気づいた。。
部屋のなかに入り、占部は畳の上に伏せっている那由多の隣に片膝をつく。
「おい那由多。いつまで寝こけてるつもりだ。せっかく私がいい気持ちで寝てたのに、銀子に起こされたんだぞ」
「……」
二メートルはあるだろう、那由多はほんのすこしだけ身じろぎした。
ゆっくりと長い首をあげ、エメラルド・グリーンの瞳を開く。白と翠のコントラストが、とてもきれいだった。
「悪かったね、銀子。驚かしてしまった」
やさしい声。
やはり、那由多だ。
銀子は彼のそばに駆け寄り、そっとその体にふれる。とても暖かかった。
「ううん。だいじょうぶ?」
「ああ。きみに話をしていなかったね」
「どうして、鳥の姿になってしまったの?」
そっと体をゆらせて、ちいさな声でわらう。
隣にいる占部はあきれたように頭を掻いた。
「わたしの体はすこし特殊でね。数ヶ月に一回、体調を崩してしまうときがあるんだ。最近眠っていなかったし、それに重なってしまったようだ」
「……特殊? ほんとうに、大丈夫なの?」
「ああ、大丈夫だよ。そういう周期が必ずくるんだ。だから、心配いらない」
「だとよ。いいな、私は戻るぞ」
「すまなかったね、占部」
「けっ」
占部はどこかすねたように、那由多の部屋からさっさと出て行ってしまった。
起き抜けで、すこし機嫌が悪かったのだろう。




