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鵺の森  作者: イヲ
第五章・アイネ・クライネ・ナハトムジーク
29/129

五、

 那由多はひとり、手紙を書いていた。

 すぐに切れてしまいそうな油。

 その頼りない明かりのなかで、ゆらりと影がゆれた。


「……お呼びですか。我が君」

「ああ、きたね」


 水干姿の少年が、手をついている。水色の、うつくしい色の水干を身につけた那由多の式神は、そっとくちびるを開いた。


「久しぶりのお声で、うれしゅうございます」

「すまないね。最近呼び出す機会がすくなくて。早速だが、きみに頼みたいことがある」

「なんなりと」


 長い髪の毛をうしろで束ねた少年姿の式神の顔だちは、とても凜々しい。目が鋭く、黒い瞳が印象的な式神だ。

 彼の名を、瑞音(みずね)という。

 名のとおり、みずみずしい、まだ幼いつぼみのような声をしている。


星夜光(せいやこう)の姫はどうしているか、使いを頼まれてくれないか」

(あさひ)姫でございますか?」

「ああ。最近すこし、静かだからね。床に伏せっていなければいいんだが」


 瑞音は目をまるくして、思考するように視線をあげた。

 旭姫は、星の城と呼ばれる城の主だ。

 女性にして、城を一代でたてたという女傑でもある。

 きれいな白い城に似合う、うつくしい女性だが、最近彼女の噂をきかない。

 たとえば大きな熊を捕っただとか、凶暴な狼を捕っただとか。そういう噂が絶えなかったのだが、最近まったく聞かない。


「かしこまりました。ではさっそく、行って参ります」

「頼んだよ」


 彼はそっと頭を下げると、那由多の部屋から消え去った。


 残された那由多は、丸窓のさきからぼんやりとかたち作られる、月を見上げた。

 その瞳は、どこか疲れたような色をにじませている。ここのところ、眠っていない。息をついて、顔をふせる。

 じわ、と、ほおのあたりから、鱗のようなものがうかぶ。

 だが――それは、鱗ではない。鳥の羽根だ。


「……」


 その羽根が、しずかに落ちる。影ができたが、すぐに消えてゆく。

 やがて那由多の体が、畳の上に音も立てずに倒れた。

 ウォーター・クラウンのように、羽根が那由多のまわりにふわりと散る。


 月の光のした、彼の体がぐにゃりとゆがんだ。




 かすかな音がした。

 羽根が舞い落ちるような、そんなちいさな音。

 硝子がくだけるような音が。


 銀子は飛び起きて、浴衣のうえに羽織をはおり、廊下に出た。

 夜の廊下は暗い。

 おそらく銀子がここに来てから、夜の廊下を歩くのは片手で数える程度だろう。

 長い廊下がいっそう長く見える。まるで迷路の入り口に立つように、一歩を踏み出すことに勇気がいる気がした。

 はだしのまま、銀子は廊下を走る。


 那由多の部屋の隙間から、明かりが漏れていた。

 とてもいやな予感がする。

 襖をあける手が、かすかにふるえた。


「……那由多?」


 明るいけれど、どこかさみしい部屋。

 文机のうしろにある白鷺が描かれた屏風があるだけで、那由多はどこにもいなかった。


「那由多」


 小声で囁く。

 それでも、あのやさしい声は聞こえない。


 部屋のなかに入る。

 畳がきしむ音が聞こえた。ふいに、足の甲にふわ、と白く軽いなにかが落ちてきた。


「羽根? あっ」


 そっとかがんでそれをつまむが、すぐにうつくしい羽根は消えてしまう。


「那由多……?」


 かがんだときに見えたのは、白く大きく、そして見たこともないくらいに美しい鳥だった。

 その鳥は――白鷺だ。


 まるで、星のように白く輝く羽根。

 長く、しなやかな首。


 この鳥は那由多だ。


 銀子はすぐに理解し、駆け寄る。


「那由多……那由多でしょう! どうしたの!?」


 そっと羽にふれる。それでも、彼はぴくりとも動かない。

 いつものエメラルド・グリーンの瞳は閉じられて、開かないままだ。


「占部、呼んでくる!」


 くせのある長い髪をひるがえして、占部がいる部屋に走った。足の裏が冷たく、痛む。長い廊下をただ走り、隣の占部の部屋の襖を開けた。

 占部の部屋に入ったのは、はじめてだ。

 なかは、とても簡素だった。文机、桐箪笥、そして布団と、那由多の部屋とおなじ丸窓があるだけだ。

 

「占部!」


 彼は畳の上に横になっていて、うとうととしているようだ。

 銀子の声にようやく顔をあげて、面倒くさそうに「なんだ」とうめく。


「なんだ、じゃないよ! 那由多が倒れてる!」

「ああ? ああ、なんだ。もうそんな時期か……」

「え?」

「しかたねぇなあ」


 のんきなことを言っている場合ではないと思うけれど、占部のことばにすこしだけ、ひっかかる。

 ゆっくりと起き上がって、のんびりと那由多の部屋へと歩き出した。


「はやく! 那由多が死んじゃう!」

「死なねぇよ」


 まるで軽口を言うように、占部があくびをしながら呟く。その様子は、何ともないとでも言っているようで銀子はすこしだけ、安堵する。

 それでも、那由多が倒れてしまっているところを直に見て、ショックを受けたのも事実だ。


 那由多の部屋の襖を開けっ放しだったことに、今更気づいた。。

 部屋のなかに入り、占部は畳の上に伏せっている那由多の隣に片膝をつく。


「おい那由多。いつまで寝こけてるつもりだ。せっかく私がいい気持ちで寝てたのに、銀子に起こされたんだぞ」

「……」


 二メートルはあるだろう、那由多はほんのすこしだけ身じろぎした。

 ゆっくりと長い首をあげ、エメラルド・グリーンの瞳を開く。白と翠のコントラストが、とてもきれいだった。


「悪かったね、銀子。驚かしてしまった」


 やさしい声。

 やはり、那由多だ。

 銀子は彼のそばに駆け寄り、そっとその体にふれる。とても暖かかった。


「ううん。だいじょうぶ?」

「ああ。きみに話をしていなかったね」

「どうして、鳥の姿になってしまったの?」


 そっと体をゆらせて、ちいさな声でわらう。

 隣にいる占部はあきれたように頭を掻いた。


「わたしの体はすこし特殊でね。数ヶ月に一回、体調を崩してしまうときがあるんだ。最近眠っていなかったし、それに重なってしまったようだ」

「……特殊? ほんとうに、大丈夫なの?」

「ああ、大丈夫だよ。そういう周期が必ずくるんだ。だから、心配いらない」

「だとよ。いいな、私は戻るぞ」

「すまなかったね、占部」

「けっ」

 

 占部はどこかすねたように、那由多の部屋からさっさと出て行ってしまった。

 起き抜けで、すこし機嫌が悪かったのだろう。

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