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鵺の森  作者: イヲ
第五章・アイネ・クライネ・ナハトムジーク
28/129

四、

「え?」

「私には見えない。雪の精霊も、つぐみの思いの残滓もな。その見る力を大事にしろ。おまえだけに見える、大事なものだ」


 彼はどこか寂しそうに囁いた。

 見えない。占部には。つぐみも、この雪の精霊たちも。なぜだろう。なぜ、龍である彼には見えないのだろう。

 そして、背筋が凍るような思いになる。

 見えたのだ。

 人間の世界で、妖怪たちが。

 銀子だけに見える、妖怪たち。そのせいで、銀子は捨てられた。

 傷口をえぐられるような思いになる。


 それでも、占部は「大事にしろ」と言ってくれた。

 占部には見えない、その目の力を。

 それがとてもうれしい。

 銀子はうなずいて、そのうつくしい雪の精霊たちを見上げた。

 透明で、きれいな羽衣。

 尾を引くように楽しげに空を舞うすがた。

 

 霧雨が若い芽をうるおすように、彼女のこころで、なにかが芽吹く。

 

 家族に捨てられてから、生きているという実感がもてなかった。

 生きていることとは、一体どういうことなのか。銀子は橘の家にとって、どうでもいい存在だったのだ。生きているということを拒絶され、疎まれた。それでも、那由多と占部は違った。銀子のそのものを受け入れてくれた。そのことが、こんなにも嬉しいとは思わなかったのだ。


「うん。大事にする」

「それでいい。じゃ、そろそろ帰るぞ」

「うん」


 那由多の屋敷に帰るまで、占部はなにも話すことはなかった。ただ、銀子の前をあるく姿がすこしだけ、辛そうだった。彼がほんとうに辛そうだったのかは分からないが、銀子にはそう思えた。


 雪はもう、どこにもなかった。



「ただいま、那由多」

「おかえり」


 那由多はいつものように手紙を書いていて、そっと顔をあげる。

 彼はとても深刻そうな表情をして、「月虹姫と会ったみたいだね」とつぶやいた。


「うん……。なんて言うんだろう。すごく、冷たそうな子だった……」

「冷たそうな子、か。そうだね。彼女は、氷のような少女だ」


 筆を置き、うしろに立っている占部をみあげる。つられて銀子も彼を見上げるが、占部はぶっきらぼうに「なんだよ」と顔をゆがめた。


「いや。どうかしたのかと思ってね……」

「ああ? おまえ、どこまで見てやがったんだ! プライバシーの侵害だぞ!」

「わたしだって、見たくて見たわけじゃない。いたずら好きの式神に文句を言ってくれ。ことこまかにあれは喋ってくれたからね」

「な、ななな何だって!? おい、奴を今すぐ呼べ! 踏んづけてやる!」


 どうやら、先刻の言い合いを那由多の式神が盗み聞きしたらしい。

 銀子はとくべつ困ることはなかったが、占部はちがうようだ。

 それにしても、那由多の式神は、藤以外見たことがない。一体、何人いるのだろう。


「踏んづけてもいいが、すぐにただの紙切れになって逃げるだろう。いつもそうだったじゃないか。きみのいらいらの原因のひとつだ」

「ああ? じゃあ、口を縫ってやる!」

「それは困る。しゃべれなかったら、仕事ができない」

「知るかよ!」


 まるで、子どもの口げんかだ。

 ふっと、銀子が吹き出す。占部が彼女をにらんだが、怖くはなかった。月虹姫のほうが、よっぽど怖かった。


「銀子。きみは、この世界でも希有だ。けれど、だからといってなにも臆することはないよ。生きていてくれれば、それでいい。力を得ようとか、そんなことをきみは考えていないだろう?」

「うん」

「それならば、心配はいらないね。鴉以外の妖怪たちはみな、温厚だ。戦いを好むものはいない」


 まるで今のやりとりがなかったかのように、やさしく笑う。

 それでも、銀子は――彼のほほえみの裏に、なにかがあるような気がしてならない。

 那由多の考えていることは到底、銀子には理解が及ばないことだ。占部よりも、彼は底知れない何かがあるような思いになる。

 いや――疑うのは哀しいことだ。

 銀子はかぶりを振って、うん、とうなずいた。





「あ」


 廊下をあるいていると、暁暗が暗い廊下の先から歩いてきた。

 ふたつの目が、暗がりで光っている。


「暁暗?」

「ああ、銀子。元気かい」

「うん。元気だよ。暁暗、これからアソウギ通りにいくの?」

「いいや。ねぐらに帰るところだよ。アソウギ通りのあたりにあるんだ。そういえば銀子。月虹姫に会ったんだって? よく無事で帰ってこれたねえ」

「占部がいたから。それに、すぐにいなくなっちゃったよ」


 暁暗はなにかを考えるように、まるまるした首をそっとおろした。

 そして、ふいにくるりとその場をまわり、人間のかたちになった。灰色の着流しに、肩に真っ赤な羽織りをはおっている。

 すずしい顔をしている彼は、細いゆびを顎にあてて、「ううん」とうなった。


「占部どのね……。俺はちょっと苦手なんだよねえ」

「占部が?」

「そう。だって、何を考えているか分からないんだもの。そりゃあ、鵺の森を守ってくれていることには感謝しているけどさ」

「占部は、やさしい龍だよ。私のこと、守ってくれたもの」

「そりゃ、ただの気まぐれかもしれないよ。まあ、俺が言うことでもないけどね。占部どののことは占部どの自身しか知らないから」

「……そうかもしれないけど」


 それは、すこしかなしい。

 自分のことを、誰かにしってほしい、そう言うこともあるのではないだろうか。


 暁暗は飄々とした顔で、銀子の頭に手をあてた。


「嬢ちゃんと占部どのは似ているのかもしれないねえ」


 そう言い、暁暗は人間の姿のまま廊下を歩いていった。

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