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鵺の森  作者: イヲ
第五章・アイネ・クライネ・ナハトムジーク
27/129

三、

 背筋がこおる。

 彼女は、ふらふらとあてどなく歩いているだけだ。しかし、銀子の背は凍るように冷たくなった。

 さらさらとした髪。

 合間に見える、白い透きとおるような肌。

 

 そっと占部を見上げると、ひどく険しい表情をしていた。

 今まで見たことがないくらい、緊張していることが分かる。


 月虹姫はお供もつけずに、ただ散歩をするように歩いているだけだ。

 しかし、隙がないと思わせるのはなぜだろうか。

 銀子に隙をつくなどという芸当はできない。どこから攻めても彼女には通じないという空気がある。


「そこにいるのはだぁれ?」


 鈴のような声。

 間延びした声でも、氷のような冷たさがあった。

 占部は舌打ちをして、掴んでいた銀子の手をはなす。


「かくれんぼ? ねえ、かくれていないで、わたしと遊ぼうよ」


 幼い、舌足らずな声。

 枯れた葉を踏みつけながら、彼女は遊ぶように歩いている。徐々に、そして確実にこちらへ向かってきていた、が、突然ぴたりとその足が止まった。


「……あれ? ああ、もうそんな時間?」


 彼女はそらに向かってひとり呟いている。だれと話しをしているのかは分からない。

 しかし、まだ占部の緊張はつづいている。

 ふいに、ふわ、と漂ったやわらかな香りに気づく。


「……?」

「銀子」


 かすかな声。

 占部の苦渋に満ちた声が上からきこえる。

 顔をあげると、彼は銀子のうしろを睨んでいた。はっとその後ろをふりかえる。そこには、亡霊のように男性が立っていた。


「お前」


 耳朶にじかに触れるような、声。

 ぞくっと、背筋がふるえる。

 男性は、黄金色の明るい髪の毛をして、灰鼠の着流しを着ていた。足は素足だ。草履もはいていない。

 緑色の目。那由多とその色はよく似ている。


「――言霊と夢見の力をもつ人間というのはお前だな」

「……」

葛籠(つづら)


 占部の、鋭い声。

 葛籠、というのがこの男性の名前らしい。

 理知的な顔をしている。それでも、きっと彼は鴉なのだろう。声色に、敵意がにじんでいる。


「テメェもくだらない願いがあるんだったな」

「……貴様に言われる筋合いはない」

「ふん。どうとでも言え。で、月虹姫の玩具が何の用だ。テメェも、銀子を狙っているのか」

「姫様は力をご所望だ。故、その人間の命をもらい受ける」


 エメラルド・グリーンの瞳が、痛々しげに細まる。

 まるで、望まないことのように。


「あなたは……」


 葛籠の視線が銀子を刺す。

 きれいな目をしていた。湖のような瞳だ。


「あなたは、何をねがうの? 月虹姫は何をかなえようとしているの」

「お前に言うべきことではない」

「あなたは、命を奪うことを望んでいない。それなのに私の命や、ほかの妖怪たちの命を奪うの?」

「俺の願いのためだ。やむを得ない」

「あなたの願いのために……? 勝手すぎるよ!」


 自分のねがいのためだけに、命を奪う。そんな勝手なことは許されない。

 理性的な顔をしているのに、この人はなぜそんなことをおもうのだろう。


 それでも葛籠はまるで愚かなものを見るように、銀子を見下ろした。

 たしかに、銀子は彼のことを何も知らない。

 どんな生き方をしているのか、これまでどんな思いで生きてきたのかも、なにを望んでいるのかも。


「お前に何が分かる。ただの人間が、俺の何が分かるというのだ」

「なにも分からない。でも、命はその人のいちばん大事なものだよ。それを奪って、本当にいいの?」

「……。すべては俺の願いのため。姫様はそれを叶えてくださる。だから、俺は殺さねばならない。血にまみれてもな」


 そう言った葛籠は、どこかかなしそうだった。

 やはり、望んではいないのだろう。妖怪たちを殺し続けることを。

 だれだって、きっと好きで殺すことはしない。闇に住むことを強要されてしまった、やさしい妖怪たちの命を、だれが好きこのんで殺すことができよう。


「おい葛籠。月虹姫はどうした。いつの間にかいなくなったが、テメェのお守りは飽き飽きしたんじゃねぇか」

「……ふん。今日は帰る。しかし、次に会ったときは銀子。お前の命、もらい受ける。せいぜい、余生を楽しむことだ」


 黄金色の髪の毛がふっとゆれる。

 彼は風にとけるように、姿を消した。あとには枯れ葉が数枚、風にのってゆれている。


 銀子はそっと息をつくと、占部を見上げた。彼はもう、緊迫感のある表情はしていない。ただ、葛籠がきえた場所を睨んでいるだけだ。


「くだらねぇな。願いを人に託すこと自体が愚かだ」

「……うん……」

「いいか、銀子。お前は力をつけないといけない。言霊の力もその札の力、両方な」

「わかったよ」


 葛籠の、かなしい目。

 自分の願いをひとに託すまで、なにをそんなに望んでいるのだろう。

 

「おい、銀子。札を一枚よこせ」

「え? うん」


 どこかいらいらした様子の占部におとなしく札をわたすと、彼は札を風に乗せるように、ふっと手を離した。

 札が燃え上がり、そして炎が姿をあらわす。


 その炎はやがて何かを形作るように、ゆるやかに動き始めた。


「あっ」


 おもわず銀子が叫んだのは、その炎が馬の形になったからだ。だが、その馬の頭には一角獣のように、角がはえていた。


「札をうまく使えれば、式神のまがいものを作り出すことも出来る。まあ、ただの足止めにしか使えんがな」

「……。私にもできるの?」

「訓練すればできる。おまえを狙うものが多すぎるからな。独り立ちできるのも、まだまだ先のようだ」


 占部はおのれの髪をかきあげて、面倒くさそうにため息を吐きだした。

 それでも、彼はやさしい龍だ。

 銀子を見捨てはしないだろう。

 たとえ、何千年の孤独に耐え続けていても。


「どれだけおまえが炎を操れるか、やってみろ」

「う、うん……」


 銀子は帯から一枚札をとりだし、手からはなす。しかしそれは炎が燃え上がっただけで、なにもおこらなかった。形作ることもなく、なにかを傷つけることもない。


「駄目か。カガネの城に行った帰りに襲われたときは、うまく操っていたのになあ。あのときはなんで炎を操れたんだ」

「分からないよ。だって、無我夢中だったから」

「やっぱり人間ってのはよく分からねぇな」


 占部は諦めたのか、そらに広がる山を見上げた。

 つられて見上げて、そのうっすらと山をおおう白い雪を見つめる。山を見に来たのに、ばたばたとしてしまっていた。


「すごい、人間の世界とぜんぜんちがう!」


 そう思うのは、流れ星の緒のようなものが引いているからだ。

 山のあたりが、きらきらと輝いている。まるで、精霊が遊んでいるように。いつか行った、教会のステンドグラスにこぼれる、光のように。


「きれいだね。すごくきれい。雪の妖精がいるみたい」

「……やっぱり、おまえには見えるんだな」


 すっかり先刻の恐ろしい思いを忘れてしまった銀子に、そっと占部はつぶやいた。

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