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鵺の森  作者: イヲ
第五章・アイネ・クライネ・ナハトムジーク
25/129

一、

 雪が降っている。

 ほんのすこしだけ。初雪だ。手にのせると、すっと溶けてしまった。


「銀子、そんなところにいると風邪を引いてしまうよ」

「あ、那由多! 雪だよ。雪が降ってきた!」


 伊予姫がある中庭に立っていると、那由多が通りかかった。

 はしゃぐ銀子を見て、彼はやさしい表情でほほえむ。それでも、彼の表情の奥には、底知れないなにかがあるような気がした。


「鵺の森の冬は早く、厳しい。火鉢をだそうか。それに、こたつも」

「こたつ、あるの?」

「あるよ。行火(あんか)だけどね」

「そうなんだ。あ、占部!」


 廊下のさきから、占部がだるそうに歩いてくる姿をみつけ、草履をぬいで廊下にあがった。


「占部、外に出たい!」

「ああ? 何だ、いきなり」

「雪ふってるから。山、きっときれいだよ」

「冗談じゃねぇ。寒いだろうが」


 あたたかそうな髪の色をしているけれど、やはり龍も寒いのだろう。腕をさすって寒そうにしている。

 たしかに寒いけど、それよりも外の景色が見たい、と占部にいっても、いやだの一点張りだ。


「占部、最近は銀子も部屋に閉じこもったままだ。久しぶりに外に出たらどうだい」

「……ちっ、しかたねぇな……」

「やった! 準備してくる!」


 廊下を走っていく銀子を、ふたりが見送る。

 伊予姫の木は、いまだ花をつけていた。赤と白のコントラストがうつくしい。


「銀子は、まだ危うい」

 

 ふいに、占部がつぶやく。

 ルビーのような瞳は伊予姫の木へむけられていた。

 那由多はなにもこたえない。


「生きながらえることができるのかどうか、まだ見極めができねぇな」

「そうか……。きみも、まだ分からないか……」

「札の印書きも、だいぶうまくなった……が」

「どうした?」


 彼はそっと息をついて、眉間に手をあてた。

 それを見守っていた那由多は、おのれの手を見下ろす。病的なまでに白い、雪のような手。しかし、爪は黒いマニキュアをぬりたくったように黒く、長く鋭い。

 彼は、おのれの手が嫌いだった。

 鋭く、冷たい手。

 ふれた誰かを傷つけてしまう手が。


「力をうまく、コントロールできていない。カガネの城から帰ったとき、鴉に襲われただろう。それから、何度試しても炎は不安定だ」

「……銀子がまだ、少女だからだろう。気持ちがまだ不安定だ。つぐみと違い、彼女は家族に捨てられた」

「つぐみと比べるな。銀子とつぐみは違うと言ったのはおまえだろ」

「そうだった。すまない」

「ふん。相変わらず、食えねぇやつだ。まあいい。訓練は続けるが、結果どうなるかどうかは分からねぇぞ」

「きみに任せるよ」


 那由多がそっとほほえむと、その場から立ち去った。


 残された占部はため息をつき、銀子がくるのをただ待つ間にも、雪は降り続いている。

 伊予姫はただ寒そうに立っていた。


「占部!」

「……。着ぶくれてんなあ」


 首にマフラーと、長羽織りを何枚か着込んでいる。

 占部がおもわず呟くと、彼女はすこし気分を害した顔で、藤が着ていけっていうから、とほおを膨らませた。

 彼女のほおは白いが、ほんのすこしだけ、赤くなっている。

 おそらく、それでも寒いのだろう。


「行こう、占部」

「札は持ってるな」

「え? うん、もってるよ」


 不思議そうに首をかたむける銀子は、ほんとうにただ外を見たいだけらしい。

 これまで札の使いかたを何度か教えてきたが、彼女は飲み込みが早い、と思う。しかし、すすんで教えを請うことはない。


「外でも訓練できるからな」

「……うん」


 玄関から出て、アソウギ通りと反対の方角へむかう。

 銀子が倒れた場所につれていくのは、わずかに抵抗があったが、あそこがいちばん山がきれいに見える。


「おまえ、札を使うのが嫌いか」

「え?」

「まあ、戦うのが好きってわけじゃなさそうだからな……」


 もこもことした銀子を見下ろして、頭にいつの間にか乗っていた、なごりの葉をつまんだ。

 その葉は黄色く、すこし黒ずんでいる。占部の指から離れていった葉は、ひらひらと舞って、やがて土のうえにおちた。


「戦うのは、いやだよ。怖いし、鴉だって、妖怪。やさしい妖怪たちを傷つけるのも、こわい」

「お人好しだな、おまえ」

「……占部は、守るんでしょう。ただ戦うことと守るために戦うことはちがうよ」

「おなじだ。どっちも血が流れる。それに私は、守る守らないをえらぶ。私が守らない妖怪が死んでも殺されても、なにも思わん」

「占部。それが占部の考えなら、私はなにも言わないよ。だって、守るのはあなただから。私にはね、占部、あなたがとても孤独に見える。だって……ときどき、とても暗い目をしているから」


 風が吹いた。

 銀子と占部の髪がそっとゆれる。まわりに何本もたっている木々の、枯れた葉が舞い散る。まるで、モザイクのように占部の顔をなでた。

 

 占部の燃えるような瞳の色が、暗くくすぶる。

 火が消えてしまう直後の、暗闇の色。


「私は、もとからひとりだ。生まれたときからな」

「那由多がいるじゃない。那由多は、友達じゃないの?」

「あいつは友達なんかじゃない。ただの腐れ縁だ」

「……ひとりは、さみしい。かなしいよ。占部は、そう思っていて哀しくないの? 辛くないの」

「哀しい、辛いっていう思いは、ない。邪魔になるだけだ。私は、鵺の森の守護龍だ。それ以上でもそれ以下でもない。なにも、ない」


 占部はそっと瞼をふせた。

 そこには、いつも飄々とした占部の姿はどこにもなかった。

 気高い、守護龍。それ以上でも、それ以下でもない。それはきっと、かなしいこと。つらいことだ。


「なにもないなんて、そんなことない!」

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