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鵺の森  作者: イヲ
第四章・カナリヤの鳴く夜
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六、

 湖から消えたつぐみの影。

 銀子がひとりで話していた様子を、占部は静かに見守っていた。


「占部。あのね、つぐみは、さみしくないって。大丈夫だよって言ってた。あたたかい海にいるからって」

「……そうか。海にいるのか。あいつは」

「うん」


 赤い瞳を湖へとむけている彼は、きっとつぐみを思い出しているのだろう。


「つぐみは、どんな子だったの」

「んなこと聞いてどうする」

「とてもいい子だったから。つぐみの思いが私を呼んだからって……」

「……つぐみは、純粋な娘だった。この世界をありのまま受け止め、そして受け入れてきた。だから、殺されたんだろう」


 純粋。

 ありのままを受け入れた子。

 だから――自死を選んだ。こころを殺された。


 彼は馬の手綱をひいたまま、湖の底をみおろすように目を細める。

 清くうつくしい湖面は、鏡のように占部の赤い瞳をそのままうつしていた。

 この湖のように、彼女のこころは世界をうつしていたのだろうか。


 手の中の都雅の花束を、そっと湖のなかに沈めた。

 泡をまとって沈んでゆく花束。

 重しをつけないで沈めることができたのは、きっとつぐみが望んでいたからだろう。


 占部は、それからなにも言うことはなかった。

 ただ、湖をそっと見下ろしているだけだ。


 空が白く染まっている。

 彼女の髪の色のように、白く、白く。


「そろそろ行くぞ」


 銀子が着ている、色無地の着物の裾がはためいたころ、彼は言った。

 風が出てきたのだ。


「うん」


 冷たい風。

 かなしい温度。


 つぐみのこころを置き去りにして、二人は馬に乗った。


 馬の長い足が、草をかきわける音。

 風のつめたい音。

 そのなかに、つぐみの声が聞こえた気がした。





「ただいま、那由多」


 アソウギ通りの馬小屋に馬を返し、屋敷につくと、まっさきに銀子は那由多の部屋へむかった。

 彼はあいかわらず書き物をしていて、墨のついた筆をそっと置いて、顔を上げる。


「おかえり。どうだった。彼女とは会えたかい?」

「うん。白い影だったけど、つぐみを話ができたよ」

「そうか……」


 エメラルド・グリーンの瞳を眩しそうに細めて銀子をみつめ、くちもとをゆるめた。

 そしてそっと立ち上がり、丸窓へむかう。銀子もならってその丸くくりぬかれた窓に寄り添った。


「つぐみは、この丸窓が好きだった。ここから見える月が、いちばん好きだと言っていた」

「そうなんだ……。似ているのかな。つぐみがいる海の月と」

「そうかもしれないね。彼女は月が好きだったから」


 辛そうだった。

 那由多はとてもやさしい妖だ。それは知っている。それでもたまに、銀子に読ませないような表情をするときがあった。

 なにかを隠しているような気がする。けど、彼に問う勇気はなかった。


「あのね、つぐみ、寂しくないって。あたたかい海にいるからって。そう言ってたよ」

「さみしくない、か……」


 つぐみと同じ、雪のように白い髪がゆれる。まるで、風をまとったように。


「彼女はやさしい少女だった。そんな少女を、死に追いやったのはわたしたちだ……」

「でも、つぐみは誰も恨んでいないようだったよ」

「うつくしい少女だったからね。……だれも恨まない。だれも妬まない。そんな清く、きれいな少女だった。だからこそ、こころのなかに淀みがたまってしまったのだろう。はき出せなかった。こころの奥にたまった鬼を」

「……」

「銀子。きみは、つぐみのようになって欲しくないんだ……」

「ならない。自死は、とてもかなしい死に方だから」


 彼はそっと銀子を見下ろして、かすかにほほえんだ。

 やさしい笑みだった。

 手がでないほどの、長い袖を銀子の頭にのせて、そうっと撫でる。


「それでも、覚えておいて欲しい。きみは、つぐみの代わりではないということを」

「うん」

「たとえ、つぐみの力がきみとおなじだったとしてもね」

「うん」


 那由多は、安心したように再びほほえむと、長い裾をひきずって、文机の前にすわった。

 いつもいつも、何を書いているのだろう。

 丸窓がある場所から覗いても、流麗な文字だけれど、何を書いているのかは分からなかった。

 人間の世界の文字と、鵺の森の文字はちがうのだろうか。


「ねえ、那由多。いつも何を書いているの」

「ああ、これかい。これは、手紙だよ。さまざまな妖へのね」

「さまざまな妖……?」

「わたしは、ある城主の姫から鴉の監視を任されているんだ」


 その「姫」への手紙を書いているのだという。

 それでも、占部は那由多は「外に出られない」と言っていた。

 どうやって監視をしているのだろう。

 彼は、まるで銀子の疑問を見透かすようにこう答えた。


「わたしには、幾人かの式神がいるからね。この屋敷からでなくとも、監視は出来る」


 と。

 たしかお手伝いさんのような藤も、那由多の式神だと言っていた。


「さあ、今日は疲れただろう。夕餉ができるまでお休み」

「うん」


 たしかに、慣れない馬にゆられるのは疲れた。




 その夜、きれいなゆめをみた。

 つぐみがいる海ではない、きれいな海。

 まるで空のような、透明な海のなか。

 ギンイロがいた海だ。

 銀子の海。

 白い砂のなかから、ちいさなさんごが顔を出していた。

 守らなければならない。

 このうつくしいものを。

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