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鵺の森  作者: イヲ
第四章・カナリヤの鳴く夜
23/129

五、

 鞍はかたい。馬にのってから30分はたっただろうか。あと30分でつくという時に、うしろにすわっている占部の手が馬の手綱を引いた。

 馬はその力に忠実に、草むらのなかで止まる。


「占部、どうしたの」

「馬に水を飲ませる。このあたりにも湖があるからな」


 彼はひとりで草むらに降りると、銀子をのせたまま手綱を引いた。草をかきわける、かわいた音を聞きながら、すぐに見えた湖を見上げる。

 きれいな場所だった。

 しらかばのような、白い木がたくさん生えている。真っ青に染まってしまったような湖。

 もとからこうだったのか、後天的にこうなったのか、分からない。


「銀子、ゆっくり降りろ」

「う、うん」


 鐙に足をひっかけ、そっと降りる。

 馬は長い首をおろして、湖の水をおいしそうに飲み始めた。喉が渇いていたのだろうか。

 その姿は、まるで絵のようだった。

 白い木、青い湖。そのなかで水をのむ白馬。


「ずいぶん地味な着物を着てきたなあ」

「占部だって、長襦袢白だよ」

「血で汚れたんだよ」


 嘘だと言うことはわかる。

 つぐみを悼むためだということ。それが白い長襦袢を着てきた意味だ。

 それでも銀子はなにも言わない。


「そろそろ行くぞ」

「うん」


 ふたたび占部にひっぱられて馬に乗り込む。馬の腹を蹴らないようにのるのは、すこしだけ難しかった。

 彼が手綱を引くと、馬は素直に走り出した。草をかきわける音。空気が冷たい。まるで、氷をほおに宛がったようだ。

 きんとした冷たさが、ほおを刺す。

 森のまわりは、人工物はなにもない。ただ、木々と草、そしてときどき赤い実をつける、ハナミズキの木があるだけだ。

 きれいだけど、さみしい場所。


「……?」


 直後、耳に雪がそっと舞い降りたような、かすかな音が聞こえる。

 ちいさな音だ。とてもとても、ちいさな音。

 粉雪が地に落ちたような、かすかな音。

 銀子は首をそっと伸ばして、まわりを見回した。


「あ……」


 銀子の背くらいの、白い影。

 木々の合間をぬうように、走っている。まるで、不安や悲しみから解き放たれたように、無邪気に。


「つぐみ……?」

「何か言ったか」


 うしろにいる占部が問うも、言うべきかすこしだけ、迷う。

 彼女が、つぐみがいるということを。楽しそうに走っているということを。


「占部、つぐみが亡くなった湖って、このあたり?」

「そうだが」

「つぐみが呼んでるみたい」


 まるで誘うように、彼女は止まったり、走り出したりしている。

 占部の手が、ひきつるように動く。

 そして、そっと呟いた。


「まだ、ここにいるのか……」

「まだ、って、ここで見たことあるの? つぐみを」

「私には見えない。聞こえない。なにもな」

「そうなんだ……。でも、つぐみ、とても楽しそうだよ」


 こごえそうなほどに冷たい髪の色。髪の先がふわり、とゆれる。

 彼女にいざなわれて、5分ほどたっただろうか。

 いきなり視界が開けた。


「すごい……。すごく、すきとおってる……」


 つぐみが自死をした湖は、とても、とてもきれいな場所だった。

 太陽の光で、きらきらと湖面がやさしく光り輝いている。やわらかな、まるで虹のような光をもつ色。

 月がでる時間になると光が湖面を透けて、きっと底まで届くだろう。

 つぐみは、還ったのだ。

 月へ。そして、光のなかへ。

 

 まわりは先刻の湖とおなじ、白い木々がまわりをぐるりと囲んでいる。 

 葉はほとんどつけていないが、時折、黄金色の葉がぽつりぽつりとついていた。



 その湖の上。

 つぐみが立っていた。

 湖面の上を踊るように、彼女はくるりとまわったり、楽しそうに走っている。


「きてくれたの」


 やわらかな、雪のような声。

 占部は、ほんとうに聞こえていないのか、馬の手綱を持ってぼんやりと湖を見下ろしている。


「うん。つぐみ。約束したから。夢じゃたしかなこと、覚えていられないよ」

「ありがとう。銀子。たしかなことにしてくれたのね」

「つぐみに、お花を持ってきたよ。都雅っていうお花」

「私に?」


 ぼんやりとした影だから、輪郭だけしかわからない。

 目や鼻、くちびるは見えない。

 それでも、彼女はすこしだけほほえんだ気がした。


「都雅。私がだいすきだったお花よ。ありがとう。銀子。この都雅はね、白のほかに、黄色、赤、紫があるの。でも、私はこの白がいちばん好き。だって、とても純粋で、清いもの。雪のように、白い色……」

「そうだったんだ。よかった。……ねえ。つぐみ。私が話しているあなたは、一体なに?」


 ふいに問うと、つぐみは顔をそっとそらせた。

 太陽の光が、かすかに白い影に反射して、彼女が月のように輝いた気がした。


「今の私は、この湖で死んだあとの残滓」

「死んだあとの……残滓?」

「そう。私の殺されてしまったこころが、この湖に還ったの。この湖で、残っているのはそれだけ。私の骸は、海にねむってる。私がそう願ったから」

「そうなんだ……。だから夢は湖じゃなくて、海だったんだね」

「そうなの。海は好きよ。とても。誰もが還る場所。寂しくない。あたたかいの。とても」

「そっか。さみしくないなら、いいんだ。私、あの場所、とてもさみしい場所だって思ってたから」


 彼女は、ほほえんだ雰囲気をだして、そっと占部を見上げた。

 目は見えないのに、すこし、眩しげに目を細めたように見える。


「夢をわたってきてくれて、ありがとう。私は今、さみしくない。そう伝えて。占部と、那由多に。あのひとたちはとてもやさしいから、私のことでこころを砕いてしまっている」

「……うん。わかった。占部にもあなたが見えたらいいのにね」

「私が、そう願ったから。私が見えたら、占部たちはきっと、私を慰めてくれようとしてくれる。でも、私はもうよかったの。自死を選んで慰められるのは、それでおしまいにしたかった。だから、いいの」


 つぐみのぼんやりとした影が、徐々に消えてゆく。

 まるで霧のようにぼやけはじめた彼女は、とてもやさしいほほえみをしているような気がした。


「お花、湖に沈めておくね」

「うん。大事にする。また、あおうね。さみしくないけど、お話しできるのは、あなたしかいないから」



 彼女はそっと手を振って、くるりと背をむけた。


 その影が徐々に消え去っていくのを、銀子は見つめた。

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