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鵺の森  作者: イヲ
第四章・カナリヤの鳴く夜
22/129

四、

「ゆめを見たよ」


 朝食を食べたあと、ふたりにそう告げた。

 那由多の顔がすこし、こわばったように固まる。


「つぐみっていう子が、でてきた。私とおなじ力を持っていたって。でも、こころを殺されて、自分から死を選んだんだって……」

「そうか……。彼女は、ほかになにか言っていたかい?」


 ちゃぶ台の上にある茶碗や、湯飲みはすっかり空になっている。

 占部をそっと見上げると、丸窓をぼうっと見つめていた。太陽はもうとっくに上っていて、その先にある枝の影がちいさくゆれている。


「鴉によって鵺の森が壊されるのが怖かったって。鵺の森が好きだったって言ってた」

「……つぐみが……」


 那由多のエメラルド・グリーンの瞳がふせられた。彼女は自死をえらび、そして海の底にねむっている。誰もくることがないような、さみしい場所で。月だけが出ている、哀しい海で。


「つぐみを知っているんだね。那由多は」

「ああ、知ってる。わたしは、彼女を守りたかった。けれど、彼女は――ある日突然、湖のなかに入って死んでしまった。すべては、わたしたちのせいだ。まだあどけない少女であったというのに。こころが壊れてしまったことに気づくのが遅かったんだ」


 彼の瞳は暗く辛そうな色をたたえ、後悔していることを如実にあらわしていた。

 汚れのない雪のような髪の毛をしたつぐみ。

 彼女も、妖怪を見ることができるからと、家族に捨てられたのだろうか。分からない。


「その湖に行きたい。行って、お花をそえたい」

「……。占部、行ってくれるかい」

「ああ? しかたねぇな……」

「ありがとう」


 銀子は茶碗をもって、台所にむかった。

 自分がつかった食器は自分で片付けるのが、当たり前になっていた。

 ここにきて、ひと月がたっていたのだ。

 冷たい水を手にあびながら、銀子は蛇口にうつる、ゆがんだ自分の顔をみおろした。


 こころを殺された。

 それは、どんなに辛いことだろう。

 辛いということも、哀しいということも、嬉しいということも――ぜんぶ、分からないんだ。

 そぎ落とされてしまったこころは、もどらない。修復できない。


 銀子は食器をふいてから、自室にもどった。

 桐箪笥のなかには黒い着物があって、これを身につけようと丁寧に畳の上においた。

 色無地だった。

 まるで、海の底にいるような黒い色。


 白い長襦袢に、そっと黒をはおる。

 くるぶしまで着物を上げる。おくみを整えて、腰紐を結ぶ。おはしょりを手のひらで作る。伊達締めを前でむすび、着物の形を整えた。


 姿見にうつる銀子は、ほぼ機械的に帯を締めていた。

 締めおわったころ、襖のむこうで占部の急かす声が聞こえてくる。


「おい、銀子。まだか?」

「今行く!」


 急いで襖を開けて、占部のそばに走りよる。


「あ……」


 銀子は、そっと息を飲み込んだ。彼の――占部の長襦袢が、白かった。いつもの緋色ではない。悼むための色だ。

 だが占部は、何事もなかったように銀子に背中をむける。


 つぐみは――。それだけで、彼女はとても素晴らしい人だったのだと知った。


(きっと、私はそんな人にはなれない。)


 なぜなら、銀子はつぐみではないからだ。おなじひとにはなれない。


「ここからつぐみが死んだ湖まで、二時間くらいかかるんだが……。馬に乗った方が早いな。おまえも、二時間歩くのは疲れるだろ」

「え? 馬? 馬がいるの」

「人間の世界の馬とはちょっと違うがな。どうせおまえ、馬に乗れないだろうから、私の前に乗れ。いいな」

「うん」


 占部は早口でいうと、背中をむけてアソウギ通りのある方角へ歩きはじめた。

 花を買うためだろう。

 この寒い時期に花があるかどうかは分からない。


 アソウギ通りの両脇につらなる出店をのぞいても、花を売っているところはどこにもない。


「お花、ないね」

「そりゃ、こんな時期だからな」


 肩をおとして歩いていると、ふいに高い音程の声が聞こえてきた。


「いらっしゃい。お嬢ちゃん」


 にこっと笑った、ねずみのような女の商人が、今度は着物のほかに花も売っていた。

 その花は白く、まるで菊のような落ち着いた色をしている。だが、その花は菊でなかった。菊よりも、花びらがびっしりと細かく連なっている。


「あ、お花!」

「花? ああ、これかい。うちの裏庭に咲いている都雅(とが)という花だよ。きれいだろう?」

「うん。ねえ、占部! このお花にしよう!」

「あ? 何でもいいから、馬借りてさっさと行くぞ」

「いつもありがとうございます。占部さま!」


 彼女は頭をさげ、紙につつんで花を手渡された。

 都雅という花に、鼻を近づけてもかおりはしない。


「きれいなお花だね」

「知らん。さっさと馬借りに行くぞ。こっちだ」

「う、うん!」


 アソウギ通りのいちばん奥に、馬小屋があった。白い馬が小屋から顔を出している。

 とてもきれいな馬だ。透けるような白。


「占部様じゃないですか。馬をご所望で?」

「ああ。5時間くらい借りるぞ」


 主人にそっけないことばを返すと、一頭の馬を小屋から出した。


「すごい。真っ白!」


 きれいな毛並みの馬は見ても、人間の世界の馬とどう違うのか分からない。

 赤い馬具をつけられた馬は、とても神々しく見える。

 まるで、どこかで見た神馬(しんめ)のようだった。


 占部は(あぶみ)に足をかけて、軽々と馬に乗る。


「ほら、手を出せ。いいか。ぜったいに馬を蹴るなよ。危ねぇからな」

「が、がんばるよ……」


 高い位置にある鐙に足をかけて、そっと馬にのぼって占部に支えられながら前に座った。

 足が開いてしまうので、袴のほうがよかったかもしれない、と今更思った。

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