二、
黒ずくめの鴉二人は、まるで忍のように顔を隠している。だから、表情が読めない。
ただ目だけがでていて、その目は異様に鋭い。
「占部ともあろう龍が、人間をかくまうとは。おちたものだな」
まるで愚かなものを見下すような目で、するどい爪を土に埋め込んでいる占部を睨んだ。
その意味がわからないまま、銀子は胸に手をあてた。そこには、あの札が忍ばせてある。
「やめておけ。こいつらの相手は、まだはやい」
「え?」
「おい、お前たち。ふつうの鴉じゃないな。……カガネの差し金か」
「残念ながら答えられぬ。われらの目的は、そこの人間。われらのあるじ、月虹姫様のおおせだ」
「ふん。月虹姫か。どうでもいいさ。月虹姫が何を求めようと。だが、こいつはやらん。そう言われているからな」
「白鷺の那由多か」
探るような目で占部を睨むが、彼は当然ながらこたえない。
いやな予感がする。
手をぎゅっと握りしめ、目をふせた。
きらきらとうつくしく輝く鱗が見える。
(……この妖怪たち、危険だ。なにかを探ろうとしてる。きっと、こころを揺さぶろうとしているんだ。)
「姫様は、この娘の命をご所望だ」
「……私の……いのち? 私の命を、どうするの?」
「飲みこむのさ」
「飲みこむ……?」
「その命、姫様のために頂戴する」
鴉のふたりが、地を蹴る。風がほおにふきつける音が聞こえた。きりきりと音がする。
占部はふたりを見定めるように見つめ、鋭い爪を土からもちあげた。直後、銀子の髪の毛をさらって、おおきな風をうむ。
ほうせんかの花びらような赤い液体が飛び散り、そして、気高い咆哮が聞こえた。
「……!!」
名も知らない鴉が、翻弄されている。
ひとりは木の幹に足をかけ、ひとりは占部の角を折ろうと、空高く飛んだ。
木々の合間から見える、かすかな日の光。まぶしい、と銀子が目をほそめ、それをめざとく見つけた、空高くとんだ鴉が銀子ののど元に刃をふりおろした。
おもわず、身をかがめる。しかし、その必要はなかった。
ぱん、と音が聞こえる。占部の尾が、その鴉をなぎ払ったのだ。軽い音だった。しかし、ひとりの鴉の体は土にはね、何メートルも引きずられた。
「あ……っ」
「おい、銀子。おまえは手をだすな。邪魔だ」
「う、うん……」
引きずられた鴉は、体をよろけさせながら、なおも向かってくる。
どうして、そこまで戦うのだろう。どうして、いのちをかけることができるのだろう。
けど、その疑問はすぐにとけた。あやつられているのだ。先刻の、するどい眼光が、今やうつろに開いているだけのビー玉になってしまっている。
「ちっ。操られたか。まったく、あいつらは本当に反吐が出るようなことをする」
足がうごかない。
恐怖で身がすくんでいるのか、違うのかわからない。
命をうしなうことを恐れない操り人形は、ただ銀子の命を奪うためだけに動いている。
どうして、こんなことを。
だが、それを考えているひまはなかった。彼らはひたすらに、骨がくだけても肉を裂かれても、むかってくる。
もうやめて、とおもう。
それでも、彼らは命の水滴を散らすように、欠けた刀を銀子に向けた。占部のするどく、血がにじんだ爪でそれをかるく凪ぐ。ぱっと血がまって、シャワーのように落ちてゆく。
銀子の青白くなったほおに、血がおちた。
そっとぬぐう。指先に、命のしずくがついていた。
「やめて。もう、やめてよ……」
ぶざまにふるえる声。なにもできない自分が、「やめて」というのはおかしいと分かっている。
それでも――。
占部はなにもいわない。ただ咆哮をあげ、風をうみ、そして鴉たちをかまいたちのように切り裂く。
土になにかが落ちる音がした。それは、鴉のふたりの首が飛んだ音だった。
ひくっと喉が鳴る。悲鳴はでなかった。ただ、痛んだ。胸が。
もう、やめてほしい。
命をこれ以上、陥れないでほしい。
首が落ちても、ふたりは血まみれのままむかってくる。
それが、とてもつらかった。もう、おわってしまっているのに。
「銀子、おいこら、なにしてる!」
あせったような声をする占部をおしのけて、銀子はふたりの前へおどりでた。
なにもできるわけがないと、分かっているのに。それでも、衿に手をさしいれて、血のように赤い札をとりだした。
占部の角からながれる幣が風にゆれる。
赤い札を二枚、手からはなす。風にのって、それは頼りなく舞った。
「馬鹿、おまえ、使い方も分からないのに、なにをしてんだ!」
「だって、もういいじゃない! もう、おわってしまってる! もう、やめようよ!」
視界がにじむ。辛くて、涙がでる。
ぼろぼろの体のまま向かってくるふたりに、ほんとうのおわりをあげたい。
銀子の白いほおが、赤く染まった。
炎が、うかんでいた。それは空気の輪のようにたゆたい、やがて――すべてを包み込むように、静かにふたりを飲み込んだ。
「なんだと!」
占部の、驚愕したような声。炎はふたりを包んで、ゆっくりと消え去った。
ふたりの姿はもう、なかった。
「銀子、おまえ……」
あっという間にひとの形になった占部は、険しい表情をして銀子につめよる。
彼からは、血のにおいがした。
「ごめんなさい……。でも、もう、見てられなかった……」
「そりゃもういい。おまえ、どうやった? どうやって、炎をだした?」
「どう、って……。分からないよ。でも、辛かった。哀しかった。ただ、それだけ」
驚いて涙はひいてしまった。それでも無意識に手で目をこする。
占部はしばらく考えるそぶりをして、そうして――口をひらいた。
「おまえ、気を失ったとき、なにを見た?」
「えっと……。海で、ギンイロっていう、人魚の女のひとと会った」
「ギンイロ……? 知らねぇな。その先は」
「さっき言ったと思うけど、私には――言霊をつむぐ力と、夢見の力がある、って」
「……。そうか。やっぱりおまえ、難儀だな」
彼は暗い目の色をして、銀子をみおろした。
どきりとする。
占部の目の色は、赤い。それでも月のない夜のようにその瞳は暗く、かなしかった。




