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鵺の森  作者: イヲ
第一章・橘銀子
2/129

一、

 提灯の火が灯っている。それがずらりと並んで、まるで異世界のようだった。

 二階建ての木造建築の建物は、明治時代に建てられたものだという。その建物に提灯がつるされていて、ぼんやりと建物のなかを照らしている。

 (たちばな)銀子(ぎんこ)は両親につれられて、二階の部屋へ行くため、急な階段を上らなければならない。水浅葱色の振り袖を着ている銀子は、前をあるく両親に遅れないよう、必死に袖と裾を押さえて歩く。

 両親は、一度も銀子を振りかえることなく、二階の踊り場をすぎて、二階のいちばん奥の部屋へと入っていった。

 

 階段の端には、ちいさな鬼たちがこそこそと何かを話している。


 銀子は手すりにつかまって、ちいさな鬼たちの声に耳をかたむけた。


「何を話しているの」


 ぼろぼろの着物を着て、赤い顔をした鬼二人は、こちらを見上げて、にいっとわらった。


「秘密のはなしだよ」

「ひみつのはなし?」

「そうだよ。ひみつのはなし。この二階にはね、鬼がいるよ。怖い怖い鬼が!」

「あなたたちだって、鬼だよ」

「そうさ。でも、あっちの鬼のほうがよっぽど怖い!」

「?」

「銀子!」


 階段のすみですわっている銀子を一喝したのは、母。鬼のように顔をゆがませて、銀子を見下ろしている。


(鬼だ――。)


 銀子はかすかに思い、手すりにつかまって階段を上るが、すでに母は銀子を見ずに奥の部屋へと入ってしまっていた。




 ふつうのことだと、思っていたのだ。

 ちいさな妖怪たちや、おおきな妖怪たちが見えることを。それがちがうと理解したのは、先日のことだった。

 両親や祖母が銀子を異様なものを見るようになったのも、先日のことだった。


「……失礼します」


 銀子は冷たい床に座り、襖のむこうがわにいるはずの祖母と両親に声をかける。


「お入り」


 しわがれた声が聞こえて、襖をそっと開けた。

 だいだい色のランプが部屋を明るく照らしており、上座に色無地の着物を着た祖母がすわっている。


「あっ」


 祖母のうしろに、一つ目の大きな鬼が窮屈そうに座っていた。この鬼もぼろぼろの着物を着て、じっと祖母を見下ろしている。おもわず声をもらした銀子には目もくれず、鬼は祖母を見下ろしたまま何も言わない。

 あの小鬼たちが言っていた鬼とは、このことなのだろうか?


「何を見ている。銀子」

「あの……。鬼が……」

「銀子!!」


 母の怒号が走り、おもわず肩をすくめる。長い、ゆるい癖のある髪が揺れ、自分の母の顔を見て、凍り付く。

 鬼がいた。

 目と眉がつり上がり、鬼よりも恐ろしい顔をしている。


 母は、前はやさしかった。

 銀子にいつもやさしくしてくれていた。小学校に通っている銀子を、帰ったときはいつも出迎えてくれた。だが、つい先日――。小学校を卒業して、中学一年生になったその日だった。母が豹変したのは。小学校のときも、その前の幼稚園に通っていたときも、いつもやさしかった母は今や豹変してしまった。


「銀子。おまえ、いい加減にしなさい!」

「……でも、鬼が」

「銀子!」

「いい加減にするんだよ! なにが鬼だ。ああ、嫌だ嫌だ。こんな悪魔のような子が橘の家にいるなんて」


 祖母は身震いするように腕をさすると、にらみつけるように銀子を見下ろす。

 祖母の前に座らされた銀子は、何故自分が責められているのか分からずにいた。何よりも不思議だったのだ。何故、彼女たちは鬼や妖怪たちが見えないのだろう、と。


「……おばあさまも、おかあさまもおとうさまも、何故見えないのですか? 見えることが、ふつうなのではないですか?」

「お黙りッ! 気味の悪いことを言うんじゃないよ! 鬼や妖怪なんて、いるものか!!」


 水浅葱の振り袖がふわりと揺れる。ちいさな妖怪たちが、畳の上を走り回っているのだ。それでも銀子には、走り回る妖怪や、祖母の後ろにいる鬼のほうが、よっぽど怖くない。それよりも恐ろしいのは、祖母だ。祖母や、何も言わない父、そしてただ銀子の名を叫ぶ母たちのほうが、よっぽど怖い。


「銀子。おまえはこれから一人で生きていくんだ。いいね。もうおまえは橘の家の子どもではない」

「え……?」


 まるで、後頭部をハンマーで殴られたような感覚に陥る。

 それでも、「ああ、そうか」と理解をしてしまった。「私は、捨てられるのだ――」と。

 銀子は今まで、見定められてきたのだ。橘の家にふさわしいのか否かということを。幼い頃――小学生のころは、かわいい空想遊びだと思われて、まだ許されていたのだろう。

 そして、下されたのだ。

 この子どもは、橘家にふさわしくないのだと。

 こんな子どもは、いらないのだと。


「……明日、おまえを森に連れて行く。おまえはそこで暮らすのだ。降りてきてはならん」

「……」


 ここに来てはじめて、父の声を聞く。

 黒い髪を後ろになでつけた父は、鋭い目で銀子を見下ろしている。その目は、銀子を見ているようで、なにも見えていないように感じた。

 父は、祖母のいいなりだ。

 それを知っている銀子は、もう捨てられるということを覆せないと理解した。

 


 どこか他人事のように思うのは、どうしてだろうか。

 どうして、「いやだ」と泣きついて喚いたりしないのだろう。


 冷めているわけではない。

 悲しくないわけでもない。それなのにまるで、心に膜が張ったように薄ぼんやりとしてしまっている。

 涙も出ない自分が不思議だと思うひまもなく、ただ体が固まってしまっていた。


「ふつうではないから? 私が、ふつうではないから、捨てられるの?」

「……」


 祖母も、両親も何も言わない。おそらく、それが真実なのだろう。


「わるく思うな。これは橘の家のためでもあるのだから」


 祖母はそう言うと、座布団から立ち上がり、隣の自室へ戻ってしまった。銀子と両親はこの屋敷の隣に住んでいるが、祖母が住む場所へ訪れたことは数えるほどしかない。

 祖母は嫌っていたのだ。生まれたときからずっと、銀子を。

 理由は教えてもらえていない。



 沈黙のなか、次に口を開いたのは――母だった。

 そして、気づく。小鬼たちが言っていた「鬼」というものは、「この人たち」のことだったのだと。

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