一、
「そうか。お前が銀子か」
占部をそっと見上げると、読めない表情をしていた。けど、緊張はしていないようにも見える。
おおぜいの女官たちは、みな一様におなじ顔をしていた。白いほお。熟れたフルーツのような赤いくちびる。
「座れ。ぼくは、銀子。お前と話がしたい」
御簾のさきの影は、ちいさい。
銀子とおなじくらいの背格好ではないだろうか。たぶん、まだ子どもだ。
「……」
銀子はおそるおそる座ると、占部もならうように座った。
「そんなに緊張するでない。ぼくが恐ろしいか。銀子」
「……まだ、わかりません」
正直に言うと女官たちは、さざなみのように口々に「無礼な」とささやき始めた。
カガネのいちばん近くにいる女官は、刀を持っていた。金色にかがやく鞘。漆のような色の柄が見える。彼女の白い、か細い手が柄にふれる。
ぎくりと銀子の肩がゆれた。
「おい。そこの。銀子は私の客人だ。銀子を斬る前に、私がお前を喰ってやる」
まるで鮫のようなことばを投げつけられた女官は、顔面が一瞬のうちに蒼白になった。
さざなみのようなことばも、もう、ない。
かすかな波さえない、夜の湖のように静かだ。
「占部。相変わらずだなぁ。お前は、この鵺の森の守護龍だろう。それが妖怪を喰ってどうする」
「私は私の好きなように生きる。守るも守らないも、私の勝手だ」
「だから鴉どもがはびこる」
はっと、銀子は御簾のうちがわにいる少年を見上げた。
カガネは鴉とつながっている、と占部から聞いた。それが、みずからその単語をいうだろうか。
「銀子。あまり、占部を信用しないほうがいい。彼は、大嘘つきだからね」
「……」
占部は黙ったまま、なにも言わない。それでも、銀子はカガネをしっかりと見据えて、膝のうえに手をあてながら、くちびるを開けた。
「私は、占部を信用してます」
「なぜだい?」
「命をたすけてくれたから。占部は、やさしい龍です」
「やさしい龍! ははは……。やさしい龍か。そう思わせておいて、銀子。お前をとって喰おうとしているかもしれないよ」
「そんなことありません。私は、占部を信じてます」
「やさしい龍は、妖怪の命を選り好みするか? 捨ててもいい命と、捨ててはいけない命を選ぶか?」
どこか憎しみの色をのせたカガネは、唸るようにつぶやいた。
そんなことあなたに言われたくない、と思うけれど、口にすることはなかった。
カガネが鴉と関わっていると知っていることを、知られてはいけないと思ったからだ。
ギンイロも言っていた。
カガネは、ほかの妖怪たちの命を、いとも簡単に捨てることができると言っていた。
それが、嘘だとはおもえない。
彼女は誠実だったからだ。
「まあいい。銀子。お前はどんな力がある? なぜ那由多が、人間をこの森に招き入れたのか知りたいのだ」
「言霊をつむぐ力。そして、ゆめを見るための力」
銀子のくちびるからは、まるで自分の意思ではないようなことばが出てきた。はっと口をおさえるが、もう遅かった。
となりにすわっている占部は、とても驚いているような顔をしている。
「なるほど。言霊と夢見か……。あいつにそっくりだ……」
「あいつ……?」
憎たらしげに呟くカガネは銀子の問いには答えなかった。
ただ、とても恨んでいるということはわかる。
カガネはそれ以上、「あいつ」の存在のことを口に出すことはなかった。
「カガネ。もういいな。私たちは帰る。行くぞ、銀子」
「まあ待て。今日は昼餉を用意してある。うまいぞ。この城の食事は」
「結構だ」
すらりと立ち上がった占部に、あわてて着いていく。まわりの女官たちはふたたび、「無礼な娘だ」と囁きあっていた。けれど、占部の悪口は誰も言ってはいなかった。別に構わないけど、それほど占部は恐れられているんだと思うと、すこしさみしい気持ちになる。
大広間から出たあと、どっと体の力がぬけていく気がした。
起き抜けで緊張したからだろうか。
占部の表情はかたい。
暗い暗い森のなかをさまよっているような目をしていた。
あかりさえない。
月も出ていない。彼の森は、永遠に暗いままだ。
「占部。どうしたの」
「相変わらず、いけ好かねぇガキだ」
吐き捨てるようにつぶやくと、占部は背中をむけて、朱色にそまった回廊をすすむ。
猫足のテーブルには、ピーター・カール・ファベルジェが作ったような、黄金色のイースター・エッグが置かれていた。図鑑でみたことがある。とても高価なものだ。
それでも、きれいだとは思えなかった。うつくしいとも。
それを見送って占部をみうしなわないように、早足で歩いた。
カガネの城から出て、その建物を間近で見ると、とても奇妙なかたちをしていた。まるで、かたつむりの殻のような、ねじまがった城。城壁は白に染められていて、きれいというよりも不気味だった。
門前には、二人の門番がいる。まるであやつられるように立って、刀をもっていた。その目はどこか、死んでいるようにも見えた。
どれくらい歩いただろう。
枯れおちそうになっている木々や草がおおい茂る林のなか。ふいに、かさり、と草をならす音が聞こえた。
「……」
占部は顔をあげて、銀子のうしろを睨んだ。
おもわず、体がかたまる。占部の瞳。憎しみも、侮蔑も、悲しみも、なにもない瞳。なにも映っていない。
ただ暗い色をたもったまま、銀子のうしろをじっと見つめた。
「鴉か」
「え……」
ぐにゃりと、占部の体がねじまがる。
青嵐のような清い風をまとわせて、守護龍はあらわれた。
うつくしい、くれない色の鱗。何百年もいきている、樹木の枝のような角。白い眼球。赤い瞳孔。背中にゆれる、炎のような赤毛。紙のように白い牙。
銀子をまもるように前へ出た占部は、林からとつぜん現れた鴉二人組をひたりと見据えた。




