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鵺の森  作者: イヲ
第三章・凍てつく声
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五、

 声がきこえた。

 

 いや、声じゃない。歌声だ。甘いにおいの花のような歌。

 銀子の体が、うつくしく透きとおった海のなかにいるようにたゆたう。波がうちよせるたびに、彼女の髪の毛がゆれた。

 まつげがふるえる。


「……」


 そっと瞳を開いた彼女は、自分の置かれている状況がいまいち分かってはいなかった。

 なにもない。

 ただ、うすい膜がはってあるような、きれいな水のなかにいるような、そんな感覚がする。

 ここは、きっと海のなかだ。

 銀子が確信したのはなぜだったのか。それはわからない。

 ただ、歌声がだんだん大きくなってくる。


「だれかいるの」


 歌が聞こえるのに、姿はない。ふわふわとした感覚をふりきって、白い砂利のうえを歩く。

 透明な、きれいな世界。

 はじめて見る、きれいなだけの世界。これは、どこの国にもない、ただただうつくしいだけの世界だ。


 ふっと、銀子の横をなにかがとおった。

 きらきらとした光が、銀子の視界にはいる。そして、それ(・・)がなんなのか、上をむいたときにはじめて分かった。


「人魚……」


 黒々とした豊かな髪の毛を波にさらして、彼女はわらった。

 瞳の色が青い。サントリーニ島の青いドアのように。

 空や海よりも青く、湖よりも(きよ)い。


「あなたは、だれ?」

「私はギンイロ。あなたの深層心理にすむ、蛍火のようなもの。ねえ、銀子。ここはあなたのこころのなかなの。何もないでしょう。それは、あなたのこころがとてもさみしいから」

「私のこころが、さみしい?」

「そう。だから、あなたはこれから、たくさんのさんごを育てなければならない」


 彼女――ギンイロは、きれいなことばを紡いで、きらきらと輝く金色の鱗をゆらした。

 黒い髪がたゆたう。まるで木の葉のように。もみじのように。


「さんごを育てるのはむずかしい。だからここをきれいな海にするのも、難しいこと。……カガネには気をつけて。彼は、子どもみたいなもの。いらないものをいらない、いるものはいる。それしかないの。ほしいものを、何が何でも手に入れようとするの。手に入れるためなら、お金も、――ほかの妖怪たちのいのちさえも、捨ててしまう」

「……そんなひとが、王様だなんて……」

「そう。だから、この鵺の森が鴉の占拠地になってしまうのも、きっと時間の問題。きをつけて。あなたは、狙われてる」

「人間だから?」

「そうね。でも、それだけじゃない。あなたが、誰ともちがう力を持っているから。私が見えるのも、あなたの力のせい」

「私の力? どんな力なの?」

「それはね、夢見の力。未来をみて、言霊をつむぐ力――。ねえ、きをつけて。私が伝えたかったのは、それだけ。ごめんなさい。すこし、強引に意識をこちらに持ってきてしまった」


 うつくしい人魚は、そっと目を伏せた。

 かなしい姿だった。

 銀子は「気にしないで」と言おうとしたけれど、ギンイロはまるで流れ星のように泳いで、姿を消してしまう。


 そうして、銀子の意識も一瞬のうちになにもない海から消え去った。




 きれいな天井。

 あめ色の、よく磨かれている木目。


「あれ……?」


 そういえば、あの炎のような紅葉の景色があったはずなのに、今はちがう。

 まるでテレポーテーションしたような不思議な感覚。

 体が重たいと感じるのは、たぶん毛布にくるまれているからだろう。

 そっと、毛布のなかから這い出す。振袖がしわになってしまっているのではないだろうかと見下ろすが、しわにはなっていなかった。

 とても不思議な素材だ。

 さざんかを刺繍した帯も、しっかりと留まっている。


 ここは、どこだろう。

 まわりはそれほど広くはなく、あるのは桐箪笥だけだ。

 立ち上がって、水墨画がえがかれている襖をあけた。


「……!」


 視界に飛び込んできたのは、とても――とても、きらびやかな廊下だった。緋色のちょうちん。銀のシャンデリア。透明度のとても高い、がらすでできた花瓶が乗っている、朱のテーブル。

 それがずっとずっと続いている。先は見えないほどに。


「占部……」


 くちびるのなかで呟く。

 彼はどこにいるんだろう。

 銀子は、白い足袋を廊下にすべらすようにただひたすら、歩く。


 とてもきらびやかだが、不思議ときれい、だとは思えない。

 なぜだろう。こんなにきらきらとしているのに。

 遠くでみる星のように、うつくしいとは思えなかった。



 どれくらい歩いただろう。

 時計もなにもないから、分からなくなってしまう。


 ふいに、くちなしの強いかおりが銀子の足をとめた。


「銀子」


 すずやかな声。占部の声だ。

 ふりむくと、やはり無愛想にたたずむ占部がいた。


「占部! ここは、どこ? 私はどうなったの?」

「ここは、城だ。カガネのな。おまえは意識をうしなって、一晩眠っていた」

「一晩も?」


 彼は目をすっとふせて、暗い色をしのばせる。おもわずその色に息をとめて、占部の瞳を見上げた。

 けど、もうその色は占部のなかに沈み込んでしまって、暗く深いものはもう、どこにもない。


 その暗い色はなに?


 銀子はそれを問うこともできずに、ただじっと彼を見上げていた。


「まあいい。来い。カガネが待っている」

「あうの……?」

「そのために来たんだろ。私がいる。そう下手に手出しは出来ないだろうよ」

「う、うん……」


 今歩いてきた廊下とは逆の方向をあるいて、どれくらいたっただろう。足が疲れてきたころ、今まで見てきたきらきらとしたものが、いっそう、まるで炎が燃え広がるように口を開けた。

 巨大な扉。いきなり天井がたかくなっていてる。不思議な構造の城だ。どうなっているのか分からないけど、きっと建てるために、たくさんお金をつかったのだろう。


 両端に、まるで仁王像のように立っている3メートルはあるだろう、巨大な男のひとたちがいた。

 口を閉じた男のひとと、口を開けている男のひと。

 阿・吽だ。

 手には槍をもっている。

 まるい目が、こちらを見下ろした。


「占部殿、銀子殿とお見受けいたす。入られい」


 すっと、自動ドアのように豪奢な扉が開く。


 その先にあったのは女官の姿をした女の人が両端にたくさん座っていて、その先には大きくて幅の広い御簾が天井から下がっている光景だった。


 その大広間の真ん中の天井には、赤い炎をともす銀のシャンデリアが吊らされている。


「銀子」


 若い男性の声が、聞こえた。

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