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鵺の森  作者: イヲ
第三章・凍てつく声
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四、

 さざんかの花の模様が刺繍された帯を、ぎゅっとしめられる。藤の着付けはとてもじょうずだ。ぜんぜん苦しくないのだから。


「すごいね。藤。藤の着付けはとっても楽だよ」

「そのようにできていますから。けれど、お褒め頂いてうれしいです」


 あざやかな紫色の着物。今まで着たことがない、紫だった。

 紫色は高貴なひとが着るもの。だから、橘の家では、決して袖をとおすことはなかったのだ。

 ほんとうは自分でも着付けはできるけれど、藤にやってもらったほうが苦しくない。


「今日は、占部どのとどちらへ?」

「ええと……。なんだか、えらい人のところに行くみたい」

「ああ……。カガネさまですか」

「カガネ……さま?」

「人間にご興味があるようすです。だからでしょうね。さあ、できました」

「ありがとう。藤」


 藤はほほえむと、すっと消えてしまった。彼女はいつも、唐突に消えてしまう。最初は驚いていたけれど、もう慣れてしまった。

 ひとりになった銀子は、占部の部屋へむかおうと、襖に手をあてた。

 すると、廊下をちいさな音でたたくような音が聞こえてくる。そっと襖を開けてみる。


「暁暗……?」


 まんまるの黒い目が、銀子を見上げた。

 足もとにいるたぬきに目線をあわせるように、銀子は廊下にしゃがみこんだ。


「やあ。銀子」


 ふさふさの毛をゆらしながら、暁暗は口を広げてわらう。


「この間は悪かったね。ひとり、鴉を逃がしてしまっていた」

「いいよ。占部がたすけてくれたから」

「今日は、カガネさまのところに行くんだろう? きをつけてね」

「うん。ありがとう」


 彼が「きをつけてね」と言った意味を、銀子はしらなかった。

 カガネという(あやかし)

 それがどんなひとなのか、なんて。


 あわなければ、分からない。

 ことばを交わさなければ、分からないのだ。

 そのひとを想像することは、六等星をさがすよりも困難だ。

 難しく、そしてかなしい。



「あ、暁暗! てめぇ、前、銀子をほっぽって帰っただろ!」


 いきなり占部の声が長い長い廊下にひびいた。

 暁暗は、悪びれるようすもなく、口をまげて、にやりと笑う。

 ひとが悪い笑みを見た気がした。


「そのことなら、銀子にゆるしてもらったよ。ねえ、銀子」

「うん。だって、結局占部にたすてけてもらったから」

「ふん。人のいいことだな。おら、さっさと行け、暁暗。踏みつぶしちまうぞ」

「ああ怖い怖い。龍にふんづけられたら、死んじまうよ」


 彼は廊下をすばやく走っていって、やがて見えなくなってしまう。占部は、あいかわらず緋色の長じゅばんと、真っ黒な着流し、そして博多帯をしめている。

 銀子がさっと立ち上がると、彼は廊下を歩きはじめた。

 ただ占部のあとをついていく。

 彼はなにも話さない。男のひとにしては華奢なせなかだ。赤い幣は、歩くたびにゆれる。


「銀子」


 玄関を出たころ、占部は注意深く目を銀子にむけた。

 くぬぎの木のしたに、どんぐりが落ちている。強い風でころころと動いた。


「カガネは、今、人間に興味があるが……いつ飽きるかどうか分からん」

「え?」

「そういう妖怪だ。カガネは。やつは、鴉とつながっていると聞いた。那由多が調べ上げた結果だ。おそらく、間違いないだろう」

「鴉……って、犯罪者たちのあつまりなんでしょう? それが、えらい人、なんて」

「えらい人、っつーか、一応鵺の森の王だ。鴉に金を横流ししている」

「横流しして、どうするの?」


 ざぁっ、と、風がつよく吹く。銀子のながい髪の毛が、ふわりと風にのる。木の実や、落ち葉がシャワーのように落ちた。

 占部の角にまかれた真っ赤な炎のような色をした幣が、落ちてゆくもみじと同じようにゆれる。


「月虹姫のことは聞いたな」

「うん」

「やつは、願いを叶えることができる力を持っている。だから鴉に金を横流ししてるんだ」

「そのひとは、なにをかなえたいの?」

「人の願いなんて興味ねぇ。まあ、那由多あたりがまた、調べるんじゃないのか。こんなとこで話しててもらちあかねぇ。さっさと行くぞ」

「……わかった」


 ふたたび占部は背中をみせて、アソウギ通りと逆の道を歩きはじめた。

 まわりの木々が、みんな赤く染まっている。まるで、炎のなかを歩いているようだ。占部の長い髪の毛もおなじような色だから、目をはなすと見失いそうになる。

 かすかな、めまい。

 目の前が赤すぎる。

 そっと首をかたむけて、目をこすった。


「おい、銀子。ちゃんと着いてこいよ。はぐれたら那由多にどやされるからな」

「う、うん……」


 緊張しているんだろうか。

 肩がかたく、すこしだけ痛む。

 かさり、と落ちた紅葉を踏む音が聞こえた。もみじのじゅうたん。


「……」


 めまいがする。

 息がきれる。

 そっと、木にふれる。がさり、と葉のこすれる音がして、銀子は視線をあげた。


「おい、どうした。銀子」


 呼吸が荒くなって、視界がゆれる。すこしだけ焦ったような占部の顔が視界にうつった。

 彼女はそっと無意味にかぶりを振って、心臓に手をあてる。

 どくどくと脈打つ心臓。ふっ、と意識が誰かに掴まれるように沈んでいった。


「銀子!」



 占部の声。


 銀子のほそい体が、しきつめられた紅葉のうえに倒れ込んだ。



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