三、
星くずが、宝石のように空に散らばっている。
ダイヤモンドや、サファイヤ。白い光と、青い光が銀子の目に届いた。
人間の世界にいたころよりも、空はずっと澄んでいて、まるで透明な湖のなかにいるようだった。
「絵みたい」
縁側で、ひとりだけになった銀子が呟く。誰かに聞いてほしいわけではない。
「銀子」
けど、それを誰かが拾ってしまった。ふりむくと、那由多が絹のような白い髪を月光に照らして、こっそりとほほえんだ。
彼は、ひきずるような長い裾の直衣を上手に払って、縁側に座りこみ、うすいくちびるをそっと開く。
彼の声は、気高い鳥のように透明で、耳に心地よくふれた。
「ここでの暮らしはどうかな。なにか、不自由なことはあるかい?」
「ううん。みんな、よくしてくれてるよ。占部も」
「そうか……。それはよかった。だが、あまり外に出してやれなくてすまないね。まだきみは幼い。力の使い方もまだ、分からないだろう」
「……うん」
するりと、首筋から髪の毛がこぼれおちる。
月のしたで那由多を見ていると、こころが透明になっていくような気がした。
真っ白な髪の毛が、星のようにきらきらと輝いている。
「那由多の髪の毛、きれいだね」
「そうかい? ありがとう。わたしは生まれたときからずっとこの髪色でね。人間は、染めたりするんだろう?」
「那由多は染めたいの?」
「いや。そういうわけじゃない。鵺の森にはそんな技術はないしね」
きれいなエメラルドグリーンの瞳。
銀子はその瞳の色をじっと見つめてから、空をふたたび見上げた。人間の世界にいたときに見た空よりも、鵺の森にきてから見た空のほうがきれいな気がする。
なぜだろう。
ビルがないから?
高い建物がないから?
空気がここよりもくすんでいるから?
きっと、どれもがちがう。
銀子の、こころのなかに変化があったからだろう。
ここにきてから、銀子のこころはつぼみのように堅かったものが、ほころんだのだ。
空は、おなじ。どこまでも、おなじように続いているのだから。
「ご両親が恋しいかい」
「……。わからない。でも、なんでだろう。ここにきてから、私が私でいられる気がするんだ。まるで、生きてるみたい」
「きみは生きているよ。ちゃんと。ここで」
「そうかもしれないけど、でもね、私、人間の世界にいたときは死んでいた。こころを押し殺して、ずっとずっと閉じこもってた。私は私に嘘をついて、生きてきた。それって、死んでるってことだよね。ほんとうなんて、どこにもないんだもの」
「……ひとの心理は、わたしにはわからない。でも、きみが生きているなら、それでいい。きみは、生きなければいけない子だからね……」
那由多の手が、銀子の頭にそっとふれる。
シルクのような、コットンのような手触り。銀子の着ている袴も、おなじ素材で出来ているのだろう。おなじ手触りがする。
いいかおり。
お香の、きれいなままのかおりがする。
とうとつに、眠くなってしまう。
目を開けていられなくて、銀子は湖のなかにそうっと沈みこむように、意識を手放した。
「……」
那由多は眠ってしまった銀子の肩をささえて、彼女とおなじように空を見上げた。
星々が光またたいている。
彼女は――銀子は、まだ幼い少女だ。
家族にすてられ、それでも気丈にふるまっている。那由多には、「家族」という概念はわからない。だが人間の世界へむかったとき、母であろう女性とたのしそうにしていたのを、たしかに見た。
その女性が娘である銀子を捨てるとは、思いもしなかったのが本心だ。
「伊予姫。彼女は、生きていけるだろうか」
彼女はなにも言わない。なにも、語らない。
ふいに、廊下のきしむ音がする。
一定の音。
占部だ。
「占部か」
「ああ? こんなところで何やってんだ」
「また、夜店で酒をのんでいたのか。におうぞ」
「ふん。どこで何をしようと私の勝手だ」
彼は縁側にすわり、燃えさかる火のような髪の色を、夜のなだらかな闇にぼうっと浮かべた。
膝にひじを当てて、行儀悪くおおきなあくびをする。ふあ、と、息がもれる音がきこえた。
「月江と会ったようだね」
「ああ。もしなにかあったとき、助けてくれるだろ」
「――すこし変わったね。きみは」
「変わった? 私が?」
「前のきみは、何事にも関心がなかった。どうでもいいと思っていただろう」
ちいさな呼吸音。
銀子のねむる、かすかな音。
占部はちら、と彼女の姿をみおろしたが、すぐに視線をはずした。
「べつに、興味がないだけだ。別に、悪いことじゃないだろ」
「そうかな」
「なんだよ、悪いのか?」
「どうだろうね。きみがいいと思っていても、まわりの子たちはきっと、さみしい思いをしているんじゃないかな」
「ふん、関係ないね。私は私だ」
那由多はそっと息をついて、尊大な態度の占部を見据えた。
緋色の瞳が、かすかに影をおとす。那由多はそれをめざとく見つけたが、なにも言うことはなかった。
彼は、何千年も生きている。
龍となって、鵺の森を守ってきた。そう、彼は――生きる意味をみうしなっているのだ、と知る。
那由多はそれを知っているから、なにも言わない。――なにも、言えない。
しかし、銀子が変えてくれるのではないかと、おもう。
彼女と占部の奥深くのこころは、似ているのではないか、と。
そして、銀子は希有だ。
人間の少女だからではない。
彼女が――力を持っているからだ。
ほかの誰とも似ていない、力を。




