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鵺の森  作者: イヲ
第二章・すゞね
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七、

「那由多、ただいま」

「ああ、おかえり」


 いまだに文机に顔をおとしていた那由多はそっとほほえんで、筆をおいた。衣擦れの音をさせながら、那由多が立ち上がる。なぜだろうか、彼の表情はすぐ険しくなった。

 銀子は内心どきりとして、緊張するように肩をこわばらせる。


「……あの……ごめんなさい」

「きみが謝ることはないよ。暁暗……彼のことは信用がおけると思っていたのだけれどね」

「でも、守ってくれたよ」

「そうか。だが、彼もそれほど弱くはないと聞く。鴉の下っ端を相手にしても、そうそう苦戦することはなかっただろう」


 彼が怒っていることは銀子にも分かった。

 しかし、すぐに顔をゆるめて、「無事ならよかった」とほほえむ。銀子も安堵して頷き、そういえば、と思い返した。


「鴉がね、人間の生き血を献上すればご褒美がもらえるって言ってた。那由多、いったい誰に献上するの?」

「……」


 那由多はかすかに顔をこわばらせたあと、あきらめたように息を吐き出す。

 そこまで知っているのか、とも呟いた。


月虹姫(げっこうひめ)と呼ばれる少女に。彼女は、鴉のトップだ。わたしもよくは知らない。しかし、危険な妖なのは間違いないね」

「……そうなんだ……」

「きみはまだ、力の使いかたを知らない。だから、一人で外出することだけは控えておくれ」

「うん。わかった」

「いい子だね」


 那由多はそっと笑い、銀子の頭に手をおいた。頭を撫でられることはあまり慣れていないからか、すこしむずがゆい。


「その鴉って妖に襲われていたとき、占部がたすけてくれたんだ」

「そうか。どうりでいなかったわけだ」


 納得したようすでうなずくと、銀子のむなもとに目を落とした。

 真っ白な髪の毛が、ふっとゆれる。


「あ、これね、心臓だけのこれば、助かるからって。占部からもらったんだ」

「……。占部は何か勘違いしているようだね」


 彼は眉間にゆびをあてて、やれやれとため息をつく。

 それはそうだろう、と思う。やはり、手足がもげても、死なないというわけでは、絶対ない。それに、もし死ぬのをまぬがれたとしても、首が飛んでしまったらそれだけで即死だ。たとえ心臓だけ残っていても、ぜったいに助からないではないか。


「まあ、彼は龍だ。だから人間のことはよく分かっていないようだね。そもそも妖のこともあまりよく分かっていないようだから」

「そうなの?」

「ああ。ただ単に、興味がないといったほうが正しいのかもしれないけれどね」

「……」


 興味がない。それはすこしだけ、寂しいことのような気がする。

 銀子の家族のように、銀子に興味がないとしたら、やっぱりどこかかなしい。

 袴の帯にさした短刀を、無意味にふれる。


「けど、大丈夫だよ、銀子。占部は、ああいう性格だが強く、やさしい龍だ。きっと、きみが一人前になるまで守ってくれる」

「……興味がないのに?」

「ああ――。すこし、悪いことを言ったかな。彼は、たしかにいろんなことに興味がないが、ちゃんと分かっている。使命でもなんでもなく、ただ守りたいという想いがあるということをね」

「那由多!」


 がらり、と襖が傷みそうな音をたてて占部が急に部屋に入ってきた。

 憤慨しているのか、どこか顔が赤い気がする。


「なにを勝手なこと言ってんだ!!」

「ああ、占部。銀子を守ってくれたんだね。ありがとう」

「あ、ああ?」


 突然礼を言われて出鼻をくじかれたのか、占部はすこし困惑したようすでくちびるを閉じてしまった。

 那由多は占部の扱いかたが分かっているのだろう。すごい、とおもう。


「さて、もう遅い時間だ。銀子、まだここに慣れなくて疲れただろう。それに、頬の傷も何とかしないとね。女の子なんだから」

「あっ、う、うん……」


 そういえば、ほおを切られてしまったんだった。もう痛みはないけど、あとになってしまっているのだろうか。

 無意識のうちに手をほおに当てたが、すこしかさかさしている程度だった。


 それから、那由多はていねいに傷を脱脂綿のようなもので拭いて、消毒をしてくれた。

 絆創膏のようなものを貼られて、すこし不格好だけど傷跡がのこらないように、とのことだった。

 占部は興味なさそうに畳の上にごろりと横になって、あくびをしている。


 手当てをしてもらったあと、銀子は自室に戻り、文机のうえに置いてある墨で一本線を引かれた赤い札を見下ろした。

 そっと手をふれると、かすかなぬくもりを感じる。

 まるで、生きているようだ。


「……」


 その札は紙のようで、紙ではない感触をしている。ごわごわしているようで、つるつるしている。まるで、この世界の織物のようだ。

 不可思議な感触を堪能したあと、銀子はそっと天井をみあげた。

 

 きれいな色をしている木。

 あめいろの、つやのある天井。

 銀子の家とおなじ。

 それでももう、戻れない。戻る場所がない。

 けど、那由多は自分を家族だと思ってくれていいと言ってくれた。

 

 甘えているな、とおもう。

 甘えたままではいけないのだ、ともおもう。


「私は、ちゃんと生きなくちゃいけないんだ」


 生かしてくれたのだから。那由多も、占部も――暁暗も。

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