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鵺の森  作者: イヲ
最終章・結ビ
129/129

契り、結ぶ。

 那由多は言っていた。


 たしかにきみは、占部やわたしのように長くは生きられない。

 けれど、きみと過ごしたこの鮮やかな日々は、占部にとって、生涯の宝物となるだとう、と。

 それはわたしも同じ。

 きみと過ごせた日々は、たしかにこの心に刻まれた、と。


 私は、そんな大げさなことはできていなかったよ、と答えた。





「銀子」

「なに?」


 占部の声に、ふりかえる。

 手には、籠。

 籠の中には、たくさんの野菜。

 みんな、畑からとれたものだ。


「いや――、おまえ、背が伸びたな、と思っただけだ」

「そうかな? だったら、うれしいけど」


 占部と銀子が結婚式を迎えてから、3年がたった。

 半妖の成長の速度は、誰にもわからない。

 髪の毛や爪の伸び具合。背の伸びる速度も、一定ではなかった。

 数か月爪が伸びない時もあれば、ひと月ほどで切らなければならない時もある。


 けれど、3年たってようやく占部が自覚できたということは、今はそういう時期なのかもしれない。

 また、止まってしまうのだろうけれど。


「畑仕事は楽しいか」

「うん。藤も手伝ってくれるし、たのしいよ。占部もやる?」

「気が向いたらな」

「そういって、ずっと気が向かないじゃない」


 時折、月江がきて、野菜の苗をくれる。

 その苗を畑に植えて、その季節にとれる野菜を頂いただく。

 最初はうまく育てられなかったけれど、今はもう、慣れたものだ。


 呆れたように銀子がわらう。

 

 変わらないな、と思った。

 ただ、ひとつ。

 銀子の容姿が変わったといえば、腰までとどいていた髪の毛を、ばっさりと肩の長さまでに切ったことか。

 畑仕事に邪魔なのだと、そんな理由で切ってしまった。

 そのためか、以前よりも大人びて見える。


「今日は何にしよう。春野菜とれたけど、ちょっと今日はまだ寒いね」

「鍋にでもすりゃ、いいんじゃねぇか」

「占部は鍋が好きだもんね」


 桜が咲いている。

 ざっと、風が吹いた。これでは、桜も明日、明後日ももたずに散ってしまうだろう。


「そろそろ冷える。中に入れ」

「うん」




 那由多は言っていた。


 こんな穏やかな日々が、きみには、占部には、そして私には必要だったのかもしれない、と。

 

 そう言った那由多の表情は、とてもやさしかった。


 今まで、おおくの命を絶ってきた那由多。

 ゆるされないことをしているのだ、と那由多は思いながらも、森の裏の王として、しなくてはいけないこと罪を背負うように、つづけてきたのだろう。

 それでも、玉斧の件以来、那由多は誰の命も奪ってはいない。

 目星(・・)もついていないのだ。

 誰かがなにかを企んでいる、だとか、そういったさまざまなものが、全くない。

 これ以上、罪を重ねなくていいのかもしれない、とも思うが、それはおそらく「今は」その時ではないというだけなのだろう。

 また、手を汚す時がくる。

 それは知っている。

 それでも、銀子が生きているうちは誰も手にかけるようなことは、したくない、とも思っている。


 このふたりを見守っていけたなら、これ以上の幸福はない。



「カガネから?」


 三、四か月に一度、カガネの城に呼ばれることがある。

 未だ采女たちからはいい顔をされない銀子を気遣って、数人しか入れないような部屋で、話をするのだ。

 無論、占部も当たり前のようについてくる。


「今日は何だろうね?」


 那由多の式神から受け取った書に目をとおしても、特に緊急性はないような文だった。

 けれど、それはいつものこと。

 ただ、唯一の肉親のコト姫を亡くしてから、銀子と何気ない話をすることは、カガネにとっての息抜きなのかもしれない。




 那由多は言っていた。


 望んでも、こぼれていくものはこの世界にはたくさんあるのだと。

 それでも、希望を捨てられないのはこの世界のやさしさのひとつ、残酷さのひとつなのだと。



 星が出ている丘で、占部とふたり、空を見上げてた。

 銀子の指先が、ひときわ輝く星に似たものを差した。


「あれが、鵺の森の意思なんでしょう?」

「そうだ」

「私たちのことを、ゆるしたのかな?」

「さあな。鵺の森の意思なんざ、私はどうでもいい。おまえとこうなったのは、私たちの意思だ」

「……うん。そうだね」


 銀子はうれしそうに頷いてみせた。

 この娘は単純で、嬉しいときはうれしい、と笑うし、悲しいときは悲しい、という。


 占部には、それがまぶしい。

 占部自身も、自分には正直だと思っていた。

 けれど、この娘とは、どこかちがう。

 どこがだろうと考えてみれば、答えは簡単なことだった。

 この娘は、ひとのために嬉しさを伝え、悲しさを伝えていたのだ。


 以前、言われたことがある。


「占部がうれしいと、私もうれしい」


 と。

 そういうことなのか、と、そんな簡単なことが占部には、あったようでなかった。


「ねえ、占部!」


 はじけるような、うれしそうな声。


「また、私を持ち上げて!」

「あ?」

「ずっと前、私を持ち上げて、空を見上げたことがあったでしょう。あの時みたいに……うわっ」


 言い終わる前に、銀子を軽々と持ち上げた占部は、それでも銀子のうれしそうな表情を見つめた。


「舌噛むところだったよ」

「噛んでないからいいだろ」

「そうだけど。……変わらないね。占部」

「そうか?」

「うん。私の背は、すこしずつだけど伸びてる。でも、占部は変わらない。でもね、それでいいって、私は思ってるよ」


 かすかな静寂が、ふたりを包み込む。

 占部の腕のなかにある、たしかな重さ。ぬくもり。

 それが、なによりいとおしい。


「私は占部を置いていってしまうけど、私は消えない。占部が覚えていてくれるかぎり。最近、そう思うようになった。前はね、占部を置いていってしまうことが怖かったんだ。でも、分かってたんだよね。占部は」

「そうだな。おまえがいなくなっても、おまえが消えることにはならない」

「うん」

「私のなかに、残っている。ずっと」

「うん」




 私は覚えている。

 自分の記憶さえ改ざんされた、右も左も分からなかった、か弱い娘のことを。

 私を救い、那由多の思いも救い、この鵺の森さえも救った、娘のことを。


 私は幸福だった。

 そして、彼女も幸せだと笑っていた。


 ああ、違う。

 あの娘は、「だった」とは言っていなかった。

 現在も、過去も、未来も、幸福なのだ。


 あの娘は、今も私のなかで生きている。

 幸福だ。

 声が聞こえなくても、丘の上で感じた、重みもぬくもりも、今はなくとも。


 消えない。

 あの娘の声も、笑みも、泣き顔も、すべて。

 記憶も、思い出も、すべてここにある。





 (あやかし)が暮らす(ぬえ)の森は、今もここに息づいている。

 変わらずに、ここにある。


 それでもたったひとつ、変わったことがある。

 それはひどく平坦で、目を凝らさなければ分からないことだ。


 鵺の森にすむ、一匹の守護龍。

 ()が、誰かにやさしくなったこと。


 たった、それだけのこと。

 ただ、それだけのこと。


 けれど、それは確かにだれかを救っている。


 ひとりの半妖の娘が、そうしたように。

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