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鵺の森  作者: イヲ
最終章・結ビ
128/129

一、

 旭姫や月江がきている、と聞いた。

 月江はアソウギ通りの主で、この近くだからそれほど大変ではなかったと思うけれど、旭姫は、だいぶ遠い場所に住んでいるから、大変だったと思う。


 銀子の着付けは、藤がしてくれた。

 着物がこんなにも重たいなんて、思う日がくるとはおもわなかった。


「さあ、これでおしまいです。重たいと思いますが、今日くらいはがまんしてくださいね? 花嫁様」

「……すわってられるかな」


 占部と銀子は、結婚することとなった。


 あれから、3年たった。

 占部は律儀に、3年後の、同じ日、同じ時間に銀子へもう一度、聞いた。

 銀子は迷わなかった。

 いや、全く迷わなかったのかと問われれば、迷った、と言ったほうが正直だろう。

 けれど迷ったのは、その時(・・・)ではない。

 春がきて、夏が過ぎ、秋がおとない、冬がまためぐる。

 その間、迷っていた。


 占部を置いていってしまう。

 半妖の寿命は、何年か分からない。

 けれど、占部の寿命より数百年、いや、数千年短いだろう。

 寿命を迎えるまで、また占部はだれかを愛するかもしれない。

 そう思うと、すこし胸が痛んだ。


 占部は言っていた。

 銀子との時間を大事にしたい、と。


 そうだ、とおもった。

 自分も、占部との時間を大切にしたい、と。

 寿命のあとのことを考えても、答えなんて出ないに決まっている。


 だから、決めた。

 銀子は、占部のことが好きだ。

 一緒にいたい。

 いちばん、となりにいたい。


 それだけではない。ことばにできない、あたたかい何かが、銀子のこころにあった。


「銀子どの。さあ、こちらへ。占部どのもお待ちですよ」

「う……うん」


 紅を差したのは、いつぶりだろう。

 きっと、カガネの城で舞踏会の時以来かもしれない。


「緊張しておいでですか?」

「それはそうだよ」

「そうですねえ、まさか、あの占部どのと銀子どのがこの日を迎えるなんて、あの時は思ってもみませんでしたから」

「私も思ってみなかった」


 誰もいない長い廊下を、重たい打掛を羽織って歩く。

 裾を踏んで転んでしまわないか、心配だ。

 気づいた藤は銀子の手をとってくれた。


「ありがとう」

「いいえ。花嫁様の手をひくことなんて、そうそうないですから」


そして、占部のいる襖の前にたどりつく。


「この奥に、占部どのがいますよ。さ、銀子どの」

「うう……、ちょっと待ってもらって……」


 ことばの途中で襖があいた。

 開けたのは、銀子でも藤でもない。

 占部だ。


「なにボソボソ言ってんだ?」

「わっ」

「銀子どの!」


 いきなり開いたので、打掛の裾を踏んで転びそうになったが、藤に肩を支えられてことなきを得た。


「あ、あぶない!」

「あ? あ、ああ……」


 銀子の剣幕におされたわけではない。

 打掛は鮮やかな赤に、ていねいな手刺繍で白い鶴が描かれている。

 白い振袖には、金糸で縫われた筥迫を衿に差していた。

 

 これらはすべて、今日の日のために紡ぎ、縫われてきたものだ。

 揃えたのは、ひと月前。

 

 今はもう、桜が咲いている。

 あたたかい日だ。


 まじまじと占部に見られて、気まずそうに銀子はうつむいた。


「馬子にも衣裳っていうんでしょ?」

「んなことはもう、言わねえ」


 占部は当たり前のように紋付き袴だ。いつも黒い着物を着ているからか、あまり変わらない気がする。


「いつも通りですね。銀子どの、占部どの」

「いつも通りでいいんだよ、こういうのはただの通過点だ」

「そうだね」


 銀子の笑みに、占部はわずかに驚いているようだった。


「今日で終わりじゃない。今日から、はじまるんだもの」

「さ、おふたりとも。那由多どのたちがお待ちです。こちらへ」


 藤が促したのは、見たこともない廊下だった。

 銀子は目を見開いく。このお屋敷の構造はどうなっているのかいまだ分からないが、もういちいち驚かないことにした。


 木目が見える天井と壁。

 そこに赤い絨毯が敷かれ、奥までつづいている。


 足元に打掛の裾がまとわりつかないように、慎重に歩く。

 ここで転んでは、占部に笑われてしまう。

 

 藤の誘導でたどり着いたのは、牡丹と蝶が描かれた襖の前だった。


「う、うごいてる……」


 牡丹は風にゆれるようにわずかに動き、蝶は自由に動き回っている。


「あら。銀子どのはご覧になるのは初めてでしたか?」

「襖の絵が動くなんて、はじめてみるよ……」

「那由多が術か何かでもかけたんだろ。ほら」


 銀子の手をとって、前をむく。

 占部に倣い、銀子も前を向いた。


 襖が勝手に開くが何よりも目を奪われたのは、この部屋にいる、妖たちの数。

 

 旭姫も、月江も、アソウギ通りの、ねずみのような商人も、暁暗も、そして、那由多も。

 ほかにも、那由多の式神たちもいるし、見たことがない妖たちもいる。

 何人いるのだろう。分からないくらい、たくさん。

 それでもこの部屋は、狭く感じない。


 呆然としていると、占部の、かすかな笑い声が聞こえた。

 そして、今更ひどく緊張してくる。

 

 (――さあ、足を踏み出して。)


 聞こえてきた声に、え、と声を出しそうになったが、伊予姫だと気づいて、頷いた。


 (あなたは、強くなった。変わったところもあるし、変わっていないところもある。優しい子だから、きっとたくさん傷ついた。これからも傷つくこともあるでしょう。でも、恐れないで。あなたには、占部がいる。あなたを、いとおしんでくれるひとがいるのだから。)



 高砂や、この浦船に帆を上げて


 月もろともに、入汐の


 波の淡路の 明石潟


 近き鳴尾の 沖行きて


 はやすみのえに 着きにけり

 


 誰かが高砂を謡ってくれている。

 誰かは分からない。

 けれど、力強い、やさしくてあたたかい声だ。

 


「このハレの日を迎えられたこと、嬉しく思う」


 大きな屏風の前にすわった占部は大勢の妖たちの前で凛と、そう言った。

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