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鵺の森  作者: イヲ
第十四章・扇面
127/129

八、

 なにもかもをつつみこむような、雪。

 白く、日に当たって輝く雪は、きれいなばかりではない。

 足を踏み入れれば汚れる。黒くなる。

 

 銀子は、その雪景色をみつめていた。

 紫色の羽織をはおって、あわい桜色の羽織紐で留めている。

 着物のすそとゆたかな長い髪の毛がゆれた。


「さむいけど、つめたくない」


 となりにいる占部は、意味が分からない、という顔をした。


「鵺の森も、そう。きれいだけど、こころの汚さもある。私は、それを見てきたよ、占部」

「……そうか」

「それがきっと、あたりまえなんだね。きれいなまま、汚いままなんて、ない」


 木の幹から、雪がぱさり、と落ちる。

 占部は、その様子をぼんやりと見送った。


 銀子の、望んだ世界がここにあるわけではない。

 占部が望んだ世界がここにあるわけでもない。

 那由多の、カガネの、つぐみの、月虹姫の。

 それぞれのための世界は、ここにはない。


 コトが死んだと伝えられたのは、玉斧が死んだ十日後の、今日だった。


 誰かが望めば、それがかなう世界ではない。

 どうしようもないこともある。


 それが、だれかの命ならば、なおさら。


「公にしないんだね」

「玉斧どもの手のものにやられたんだ。そんな公にはしないだろ」

「……私が気づいたら、なにかが変わったのかな」

「言霊の力は、そう簡単に使うものじゃない。たとえ、命がかかわっていようと、なかろうと。おまえが助けることを望むようなそんな姫じゃない。あいつは」

「そう、なのかな」

「まだおまえは子どもだからな。分からないのも、無理はねぇ」

「……私は、まだ届かない?」


 占部は、銀子のことばに視線をさげた。

 かじかんだ手のひらを、銀子はそっとこする。

 その手はまだいとけなく、ちいさい。


「占部に。まだ、届かない? 私のこころが」


 そのことばに、占部はまじまじと銀子を見据えた。

 銀子の目じりは赤い。

 寒さのせいだけではないことは、分かっているつもりだった。


「銀子。私は、子どもだからとか、大人だからとか、そういう色眼鏡で見てきたつもりはなかったんだが、言葉が悪かったな」


 いつになく素直な言葉に、銀子は顔をあげた。

 胸元に手をあてる。

 占部の逆鱗がはいったお守りをにぎりしめた。

 あたたかい。

 じわりとした、まるでほのかな熱をもったような、温度。


「いや。最初は、ただの娘に、どうして私が世話しなけりゃいけないんだと思っていた」


 風がふく。

 銀子は思わず目を閉じて、着物の裾をおさえた。


「だが、今はちがう」

「うん」


 切れ長の目が、優そうに細められる。

 最近、占部はやさしい表情をすることがおおくなった。

 那由多も、前から笑うことはしていたけれど、今はどこか違った笑みをしてくれるようになった。

 誰かを安心させるために笑うことよりも、自分が笑いたいから笑ってくれるようになったような気がする。


 銀子の頭に、あたたかい手でそっと触れる。


「私は、私の意思でおまえのとなりにいる。だから、届いているはずだ。おまえの、心も」

「……占部」

「おまえへの私の心は変わらない」


 真摯なことばだと、おもう

 嘘いつわりない、ことばだと思った。


「おまえが分からない、本当のこともあるだろう」


 大きな鳥が、空に弧を描いている。まだ早い、春のおとないを知らせるような鳴き声。

 占部の、炎の色の長い髪の毛が、ふっとゆれる。銀子と視線をあわせた彼は、はるか昔のことを思い起こすように、目を細めた。


「私もそうだった」

「占部も?」

「私が知らない真実も、この世界にはたくさんあった。だが、今はほとんど知っている。それは、危ういことかもしれないが、私は間違えない」


 過ちを犯したこともある。

 悔いたこともある。

 そう、占部は言った。


「私は恐れない。私の知らない本当のことを知っても、恐れないよ、占部」

「おまえは強くなった」


 占部の、骨ばった手が銀子のほおに触れる。

 あたたかかった。首からさげている、あの逆鱗よりもずっと。

 生きているのだと知った。


「そして、おまえはいい女になる」


 唐突に、彼は笑った。


「鵺の森の意思は、これからも続くだろう。間違いを犯した妖たちを、赦さないだろう。それは、鵺の森が崩壊を迎えるまで、変わらない」

「……うん」

「だが、鵺の森の意思はおまえを選んだ。この森にひとりしかいない半妖の子どもを、招き入れた。こうなることを、分かっていたのかもしれない」


 占部のことばは、あっちこっち飛んでいて、要領を得なかったが、銀子はその意味を探した。

 けれど、探しても探しても、彼の言わんとしていることはとうとう、分からなかった。

 そして意を決して問いかけた。


「占部、何をいいたいの?」

「……おまえは」


 すこしだけ間を開けてから、彼は言った。

 つぶやくように。ささやくように。


「――前、鵺の森の意思を見に行ったことがあっただろう」

「丘の上のこと?」

「そうだ。おまえがもうすこし大きくなったら言いたいことがある、と私は言った」

「おぼえているよ」


 無垢な瞳。

 それが、占部を見据えている。

 同じ高さの、目を。


「おまえはまだ、ちっとも大きくなっちゃいないが、言っておく」

「なに?」


 銀子はその先のことばがどんなに重要なことか、まったく分かっていないようだった。

 いつもは人の思いに敏感なくせに、こういうところでは鈍感なのだ。

 占部はわずかに苦笑いをしてから、銀子の手をとった。


「私と、結婚してくれないか」

「!?」


 銀子は目を見開き、息を止めた。

 まさか、結婚を申し込まれるとは思わなかったのだろう。本人にしてみれば。


「わ、私は……」


 まだ子どもで、と言いそうになったのを、すんでのところでやめる。

 このことばは卑怯だ。


 その代わり、ほんとうに心から思っていたことをたずねた。


「私は、あなたを置いていってしまう……。それでも、いいの」

「おまえとの時間を、大事にしたい、とおもう。それだけだ」


 ぽろ、と銀子の無垢な瞳から涙がこぼれおちた。

 彼女自身、泣くとは思いもしなかった。


「泣き虫なところは変わらないなあ」


 占部は笑い、指でその涙をぬぐう。


「まだ先のことだが、覚えておけ。先約があるってことを」

「……忘れようとしても、忘れられないよ」

「そうだな。そういう娘だな、おまえは。人の思いを無下にしない。あと3年。3年たったら、おまえにもう一度、聞く」



 雪が積もった日だった。

 風がすこし、強い日だった。


 年を重ねるからおとなになるのではない、と知った日であった。

 年が若いからこどもということでもない、とも。


 銀子は占部にたいして真摯でいようと、誓った日でもあった。

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