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鵺の森  作者: イヲ
第十四章・扇面
126/129

七、

 事がおこったのは、それからひと月たったあとだった。


 秋も深くなり、本格的に険しい冬がおとずれようとしたころ。

 灰色のそら。

 心もとない色。


 玉斧は、とうとうカガネをその手を汚さずに、鴉の残党を率いて殺そうとした、そのとき。



「どういうことだ。話が違う!!」

「いいから、蹴散らせ! 俺を守れ、と言っている!」


 玉斧が雇った、鴉の残党10人では、相手にならない。

 たった10人。

 その人数で、鵺の森の守護者である存在を、傷ひとつつけられることなど、できはしない。


那由多(・・・)


 カガネは手に刀を持ったまま、呟いた。

 白く輝く、鵺の獣。

 

「わたしは、裏の王。鵺の森の意思に背いたものを、すべて等しく消し去る、守護者」


 だらしない肉をつけた玉斧は、その声に、ひっと喉をひきつらせた。


「那由多……那由多だと! 命を守る存在が、鵺の森の住人を殺すとは、どういうことだ……!」


 男は、声をふるわせながら叫んだ。

 鴉の残党は、そのことばの意味すらしらず、ただその獣に刃を向けている。


「わたしは迷わない」

「こ、殺せ! 那由多だろうと何だろうと、刃が通るなら――」


 エメラルド・グリーンの瞳。

 哀れなものを見るような目で、獣は数人の鴉の残党の命を消した。

 呼吸をするように。

 血さえ流れず、ただ気を失ってそのまま命を失ったかのように、男たちはもう、二度と動くことはなかった。


「ひ……っ!」


 その光景に、のこった残党は我先にと広間から走り去っていく。

 那由多はあえてそれを見過ごし、一歩、足を踏み出した。


「わたしを怨み、憎むといい。命は、ふたつとない、自分だけのものだ。それが、他人によって消し去ることは何人たりとも赦されない。それを、わたしはしてきた。何千年と。何万人もの命を、わたしは消し去ってきた。赦されない存在だ。だが、ひとりの少女がその罪さえも、その透き通った目で、つぐみが自死したあの湖のようなあの瞳で、わたしを救った。罪は消せない。けれど、それでもひとつの命として生きることを許された」


 物語を語る、語り部のように那由多は読み上げた。

 それは、ただ恐れることしか許されない玉斧の耳には届いていない。


「今まで泳がせてきたのは、きみが本当に有害かどうか、見極めたかったからだ。残念ながら、きみはこの森にとって有害とみなされた。本当は、自滅するのを見届けたかったが、それも無理なようだ」


 那由多は本当に残念だとでもいうかのように、目を細めた。


「なぜなら、カガネを今日、殺そうとしたからだ。殺そうとするものは、自らも殺されるという覚悟があってこそのもの。だが、きみはそれを持っていなかった。だから――さようなら、だ」




 玉斧は、あやつり人形の糸が切れたかのように、その場にくずれおちた。



「那由多、本当によかったのか」


 玉斧の死体を見向きもせずに、カガネはぽつりとつぶやいた。


「なにがだい?」

「玉斧を殺して」

「わたしは迷わない。迷ってはいけない存在だ」

「それはちがう。あの娘――。銀子なら、迷ってもいいというだろう。われらが王、那由多。おまえも生きているのだから」


 那由多は、あの屋敷の外にひとの形で、でることはかなわない。

 それはこれからも、ずっと、永遠にそうだろう。

 鵺の森の意思が那由多を解放するまで。


「きみも変わったね」

「ぼくだけではない。みな、変わった。占部も、銀子自身も」

「そうだね、そうかもしれない。生きとし生けるものは、みな、変わる。だから、いとおしんだろう。その、命が」


 那由多はそれを最後のことばにして、そこから消えた。

 まぼろしのように。

 だが、那由多は今日もそのいとおしいといった命を消した。

 その矛盾を、銀子が救ったのだろう。

 那由多に命はない。

 死ぬことはないからだ。

 それでも銀子は、それを否定するだろう。


 誰にでも、いのちはある、と。


 鴉の残党の死体数体と、玉斧の死体。

 

 その数体の死体のなかで、カガネはただ、高いだけの天井を見上げていた。




「おまえが何人か取りこぼすから、私が出る羽目になった」


 夜、銀子が寝た後に占部は恨みがましく呟いた。


「それはすまない」


 そっけなく笑う那由多を見て、占部はふかく息を吐き出した。

 酒を酌み交わす。

 気づけばたびたび、そうするようにしていた。

 

 占部は夜の屋台にでることも、あまりしなくなった。


「采女たちも、そろそろ戻るころだろう。事情もしらないだろうからね。あそこの女たちはみな、威勢がいいが、手も早い」


 那由多はかすかに笑いながら、猪口にくちびるをつけた。


「それはそれで面倒だな」

「わたしの式神たちが、文を届け終えたら、すぐにでも彼女たちは戻るだろう。安心していい」

「なんで私が安心するんだ」

「カガネのことが心配なんだろう?」

「……けっ」


 占部の態度に、那由多はそっとほほえんだ。

 

 おそらく、これからも何度かこういうことがおこるだろう。

 そのたびに、那由多はその危機を食い殺す。命のともしびを消す。

 それは罪だ。

 だが、那由多はそれを背負って生きていく。それこそが罰なのだ、と言い聞かせてきた。

 けれど、違ったのかもしれない。

 生きていくことが罰ならば、笑い、幸福を感じることはない。

 それが今までなかったのかと思い返せば、それはちがう、と思う。


 那由多は、生きている。

 

 そう気づかせたのは、ちいさく、か弱い半妖の娘だった。

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