六、
衿にいつもお守りのように入れていた、札。それに手をかける。
カガネはひとりで戦おうとしているのだ。
三人の鴉の残党を、カガネひとりで背負う必要はない。
「お嬢ちゃんも戦う気かい? やめたほうがいいよ、痛い目を見たくなければね」
「銀子。おまえは手を出すな。これは王のつとめだ」
「カガネ。あなたがどれほどの力を持っているのか分からない。でも、あなただけに戦わせるのはちがうと思う」
「……そうか。そういう女だったな、おまえは。言ってもきかない。そういう頑固者だった」
カガネはどこかおかしそうに笑い、鴉の残党をもう一度にらみつけた。
迷いなど、どこにもないかのように。
「もう少し、利口な子だと思っていたよ。お嬢ちゃん。この馬鹿な王のために死ぬなんて、ばかばかしくてあの守護龍に顔向けできないよ」
「今は占部のことは関係ない」
鴉たちはにやにやといやな笑みを浮かべて、刀や槍をふたりに向けた。
あきらかに、殺すことをもたのしんでいる。
カガネの呼気が聞こえる。
彼は畳を蹴って、鴉の懐に入った。
「おっと」
だが、鴉もそうやすやすと殺されることはしない。カガネの刀を一人が受け止め、もうひとりの鴉が彼のわき腹を狙う。
「カガネ!」
銀子の手から離れた札が瞬時に燃え上がった。
その炎はかたちを変え、龍の姿になる。
この鵺の森で、知らぬものはいないはずの、あの龍の姿とほぼ同じ姿。
「!?」
鴉たちは想定外だったのか、目を見開き足を半歩、下げた。
その瞬間をカガネは見逃すはずもなく、刀の切っ先をひとりの鴉の腹部を切り裂く。
血しぶきがカガネのほおを汚し、それでも彼は立ち止まらない。
舞うように刀を振りかざし、うろたえる、残った二人の鴉を斬りつけようと再び畳を蹴るが、鴉はもう冷静さを取り戻していた。
炎の龍の咆哮が、大広間に響く。
鉄と鉄がこすれあう音。
散る火花。
銀子が召喚した龍は牙をむき出しにして、鴉に敵意をあらわしている。
その眼孔は鋭く、鴉とカガネの動きを観察しているようだった。
鋭いが、理知的な目をした龍はカガネの刀が弾かれた直後、動いた。
龍は、カガネを守るように鴉の前に躍りでて、刀を持っていた手を食いちぎる。
耳をふさぎたくなるような悲鳴。
それでも銀子はそれから逃げなかった。
殺すことの意味。
傷つけることの意味を、銀子は知らなければならないからだ。
銀子は、この鵺の森のなかでいちばんきれいな場所にいる、ということ。
あの美しい女性から言われた言葉を、銀子は覚えている。
ちがう、とは言えない。
そのとおりだからだ。
けれど、身にふりかかったすべてを、占部や那由多におしつけることはできない。
そうしたら、銀子がここにいる意味を見失ってしまいそうだからだ。
傷つけるために生きるのではない。
そうなれば、鴉とおなじだ。
片腕を失って畳にうずくまる姿を見て、最後に残った鴉は、恐れおののいた表情で、カガネと銀子を見ている。
「どうする、まだやるか」
「どうせ、このままではどうともできない。お嬢ちゃん。あんたのことをあなどっていたよ。あんたは命を奪うことに恐怖を感じているものの、それはその王を守るためだ」
「銀子」
「――なに?」
「この者をどうするかは、おまえが決めろ。ぼくはそれに従ってやる」
腕を食いちぎられた鴉は意識をうしなったのか、ぴくりとも動かない。
もしかすると、死んでしまったのかもしれなかった。
「……鵺の森の王を殺そうとしたことは重罪だと思う。でも、私は、この人を裁けるような、そんなできた存在じゃない……」
「おまえは、本当にお人好しな娘だ。まあ、おまえが死罪にしろというということはないと思っていたがな」
鴉は、もう敵意などどこにもなかった。
ただうなだれて、大きく息を吐き出す。
「なあ――占部」
「え?」
襖を開けたのは、どこか不機嫌そうに顔をしかめた占部本人だった。
血だまりの畳を気にもとめずに踏みしめる。
「過保護だなあ、おまえも」
「ふん、言っとけ。銀子、けがはないか」
「私は平気だよ。でも……」
占部はちら、と片腕のない鴉の残党を見下ろし、すぐに銀子に視線をもどした。
「これでも甘い。本当なら死罪だ。だが、まあいい。銀子が無事だったんだからな。おい、生きてるか、お前」
「う……っ」
つま先でうずくまる鴉の一人を蹴飛ばし、生きていることを確かめると、占部は残った片方の腕をつかんで、無理やり立ち上がらせる。
「こいつをもらうぞ。あと、そこのうなだれている奴。おい、そこの。ついてこい。喜べ。那由多じきじきに罰してやる」
「那由多……? ああ……姫がやけに固執していた男か……。どうとでもすればいい」
「やけにしおらしいな? まあどうでもいいが。途中で逃げるような真似はするなよ。逃げれば私が食い殺す」
本気がどうか分からないが、占部は軽口を言うように吐き捨て、カガネに背中をむけた。
それに従うように、うなだれていた鴉が立ち上がる。
後ろから占部を傷つけられるような、そんな覇気はないようだった。
「銀子、おまえももう帰れ。玉斧どもの掃討は、じきだろう。ぼくのことなら心配いらない」
「また、くるよ」
銀子がつぶやくと、カガネは苦笑した。
まるで、しかたのない妹を見るかのように。




