五、
「おまえは、母上と似ている」
「え?」
「母上は、コトの自我が安定する前に亡くなったが、僅かに覚えている。なぜ忘れていたのだろうな。ぼくを愛した、たったひとりの存在を」
カガネは赤い目を細めて、まぶしいものを見るように銀子を見つめた。
「カガネのおかあさんは、どんなひとだったの?」
「王の妃として恥じぬ、やさしく強い女性だった」
「……カガネのおかあさんは、あなたをちゃんと愛してくれていた。あなたのおかあさんは、あなたが悲しむことを、望んでいないよ、きっと」
「悲しみ、か。久しく、感じていない感情だ。喜びも、苦しみも、なにもかも。感じることをやめていた」
邪魔だったのかもしれない。感情というものが。
「カガネ。あなたは――」
銀子がくちびるを開いた直後、音が聞こえた。
ごとっ、という、不穏な音。
まるで、なにか質量のあるものが落ちたような、気味の悪い音が聞こえた。
カガネは目を細め、御簾の向こう側へ向かっていった。
「なに……?」
襖がガタガタと揺れている。
なにかが無理やり開けようとしているようだ。
銀子は無意識のうちに立ち上がり、胸のあたりで手を握りしめた。そこには、父が身につけていた琥珀と、占部から預かっている逆鱗がある。
「銀子。そこをどけ」
「誰かいるの」
カガネは応えず、手にした刀を鞘からぬいた。
ぎらり、と白刃が灯りに反射して不気味に輝く。
身の丈にあわぬほど――大人が持ってこその大きさのその刀。
「カガネ、斬るの?」
「おまえは隠れていろ。見たくはないだろう」
「……足は引っ張らないよ」
「そういう問題じゃない。これはぼくの問題だ。おまえを巻き込むのは本意ではない」
話している合間にも、襖が壊れそうなほどに揺れている。
カガネはそれが誰か、すでに分かっていた。
玉斧の手のものだ。
あの男は、決して自分で手をださない。
小心者で、卑怯で、愚かな男だ。
おそらくだが、行き場のなくなった鴉を雇って、暗殺しようとしているのだろう。
だが、見誤った。
ここにいるのは鵺の森の王。
そう、「表の王」として、「裏の王」――那由多の力をわずかながらも受け継いでいる。
那由多は、この鵺の森の一番の術師でもある。
ふつうの術師の命を削ってなせる技を、那由多は片手間のように術式を終わらせてしまう。
末恐ろしい男だ。
殺すことにためらいがない。
そのために、多大な罰を背負っている。
死ねないという、命にあるまじき罰を。
耳をふさぎたくなるような、分厚い紙を引きちぎるような音が広い広間に響く。
「銀子、ぼくの後ろにさがれ。あいつらは、おそらく鴉だった奴らだ」
「鴉!」
襖が破られ、現れたのは那由多の洞窟で見たような、顔を黒い布で隠した、鴉の残党だった。
3人。
ひとりの王を殺すために、残党を3人をよこしたのか。
「見くびられたものだな。貴様たちの主はどうせ玉斧とかいう、愚か者だろう」
「………」
3人は何も言わない。
手にはそれぞれ、刀、槍を持っている。
殺害そのものを目的としている、そのもの。
カガネは鼻で笑い、刀を3人にむけて挑発した。
「そんなに金が欲しいか。――殺した金で生活できると思いあがっているのなら、ぼくがここで引導を渡してやろう」
「……よく言う。鴉と繋がっていたのは消せない事実ぞ」
「ああ、そうだろうとも。ぼくは鵺の森の王だ。事実は事実だろう。それは受け入れるしかない。逃げる気もない」
「まあ、どうでもいいさ。玉斧からの依頼を果たせば、俺たちは金が手に入る」
銀子の存在を忘れてしまっているかのように、カガネは尊大な態度で奇襲者を睨んでいる。
月虹姫が生きていたころならば、迷わず襲い掛かっていたのだろう。
それだけの存在なのだ。銀子は。
「……いいかげんにして!!」
銀子の手はふるえていた。
命をどれほど軽く思えば気が済むのだろう。
鴉の残党は、初めて銀子に気づいたかのように、顔を銀子に向けた。
「ああ……。まだ生きていたのか」
「カガネは鵺の森を守るために、感情まで殺してきた。あなたたちが笑ったり怒ったりしている間、ずっと殺して生きてきた。鵺の森に棲んでいるのに、あなたたちは……」
「きれいだねぇ、お嬢ちゃんは。心が純粋で、とてもきれいだ」
馬鹿にしているのを隠しもせずに、男は吐き捨てた。
だが、銀子は知っている。
自分がどれほど恵まれているか、など。
「でもねぇ、お嬢ちゃん。この世界には、きれいごとで片付けられることは少ないんだよ。残念ながらね」
「……そうかもしれない。私だって、月虹姫を殺した。ひとりの命を消した。きれいごとで終わることができたなら、それでよかった。でも、月虹姫は私の敵だった。だから殺した……」
「同じじゃないか。お嬢ちゃんと俺たちは同類だ。ひとり殺すにしろ、二人殺すにしろ、殺したことは同じことだからね」
「それは間抜けな返答だな。貴様らはぼくを本当の敵として見ていない。金のために殺すだけだ。違うか?」
「ああ、まあ、それは否定しないさ。別に俺たちはおまえを敵として見ていない。憎んじゃいないさ。だが、生活のために金がいるんでね」
「ぼくはまだ死ねない。だからこそ――おまえたちを敵とみなす」
刀を向けたままカガネは凛と、宣言した。




