三、
那由多は銀子の部屋に入ると、コトのことを語った。
きみが知らねばならないことだと。
そして、カガネの城の現状のことも。
「コトが……」
「ああ。そして、カガネは一人、あの広い城で闘っている」
「――私にできることはある?」
「そうだね……。一度、カガネと会ってみるかい?」
「うん」
そのエメラルド・グリーンの目を細め、彼はほほえんだ。
どこか、安堵したような表情だった。
「では、明日にでも。できるだけ、早い方がいい。でも、銀子。きみは言霊の力を持っている。その力をもってしても、コトの病症はよくはならないだろう。それだけは、知っていておくれ」
「どうして……」
「彼女が望んでいることだ。力だけではどうすることもできない、こころというものがある。力があっても、すべてを救うことはできない。それはきみも理解しているだろう?」
「――うん……」
ひとのいのちとは、どんなに重いだろう。
それでも、それを軽く見誤っている妖もいる。
そんな妖たちに、コトはなすすべもなく命の灯を消されるのだ。
そして――彼女は、兄の――カガネのことを託した。
占部に。
占部、ただひとりに。
だからだろうか。銀子の力を望まないのは。
わからない。
ひとのこころを代弁できるほど、銀子はうぬぼれてはいない。
那由多は、おやすみ、と言い、部屋を出ていった。
銀子はひとり、窓のない部屋にすわっていた。
ただひとり。
いのちは重い。
とてつもなく。
ひとりにつきひとつずつ、持っている大切なもの。
それを奪う存在は、自分にも命があることを知っているのだろうか?
ふいに、つぐみのことを想いだす。
自死を選んだ、つぐみ。
自らの灯を自らで消した、彼女。
もう、銀子の目に映ることのない、この世界のどこにもいない、彼女。
那由多と占部は、つぐみのようにはならないでほしいと言ってくれた。
それはある一種の詔だ。
銀子に自死はえらべない。
そういうことなのだ。
コト姫――。
彼女は誇り高い姫なのだろう。
自分の生、自分の生きた道、自分の死を、自分で決めたのだから。
自分の命よりも大切な、カガネの命。
それを守ってほしいと、彼女は言った。
「私は……?」
ぽつりとつぶやく。
あの蝶のように美しい、妖の言ったとおりだ。
銀子は、この鵺の森のいちばんきれいな場所にいる。
那由多と、占部に守られて。
ちゃんと生きようと、そう願い、誓った。
自分で決めた。
それなのに――。
占部から預かっている、彼の逆鱗が入ったお守り袋を握りしめる。
あたたかい。
まるで、ちいさな炎のように。
カガネのところに行こう。
明日はきっと、銀子が思惟する生の岐路になるだろう。
太陽がのぼったころには、もう銀子は起きていた。
緊張しているのだな、とおもう。
今日は、カガネの城にはひとりで行こうと思っている。
道はだいたい覚えているし、大丈夫だろう。
カガネに何を言えばいいのか分からない。
けれど会わなければ、そのままだ。
帯をいつもよりきつく締めて、台所へ向かった。きっと、那由多がいるだろうから。
「おや、銀子。早いね」
「うん。ねえ、那由多。今日は私、ひとりでカガネのお城にいくよ」
「それは、なぜだい?」
「今までは、占部や那由多の式神に頼りきりだったから。ひとりで、行きたいんだ。カガネと、ちゃんと話をしたい」
「そうか……。そうだね、銀子。きみひとりで行くといい。納得するまで、カガネと話しておいで」
「ありがとう、那由多」
それから、那由多の手伝いをして、転ばないようにいつもの部屋にむかった。
占部が起きていて、箸をつけるまで、銀子はひとり思考していた。
何をはなせばいいのか。
何をつたえればいいのか。
「銀子。おまえ、ひとりで行くのか」
「う、うん……」
「そうか。気をつけて行けよ」
「うん」
なぜ銀子がひとりで行くことを知ったのか分からなかったが、那由多が伝えたのだろう、きっと。
銀子がカガネへのお土産にと、昨日つくった、かぼちゃの煮物を風呂敷に包んで出ていった。
「ほんとうに、ひとりで行かせてよかったのかい? 占部」
「ああ。あいつは、流されねぇだろ。最初会ったときの、弱い娘じゃない」
「そうだね――。占部」
「あ?」
「銀子も、変わった。わたしも、どこか変化がおとずれたようだ」
那由多はそっとほほえみ、もう見えなくなった銀子の背を追うように、庭に出た。
「お、おい、那由多」
那由多はこの屋敷からは出られない。
彼は大丈夫だと頷き、広い空を見上げた。
そこに、まだ朝だというのにひとつ、輝く星が見える。
正確には星ではない。
あれは、鵺の森の意思だ。月虹姫が言っていた、カミという名、そのもの。
「わたしを地に墜とした鵺の森の意思。わたしはそれを憎んでいたのかもしれない。死んでも死にきれず、生きることを強要され、自由もない生をただ、殺すため、生かすために使ってきた」
「………」
「けれど、そこにわたしはわたしの意思はなかった。白鷺の那由多という個を、わたしは生きていなかった」
土で汚れている長袴をそのままに、その意志を見上げている那由多は、どこかうつろっていた。
「わたしは、生きたいと思うよ。鵺の森の意思ではなく、自分の意思で、そう思う」
「銀子に言ってやれ。昨日も言ったが、おまえの幸福をだれよりも願っているのはあいつだ」
「ああ――そうだね」
「……どういう風の吹き回しかしらねぇがな」
「きみたちのおかげだよ。銀子は、ひとりだちしようとしている。もう、守らなければならないか弱い少女ではない。それに気づけたのも、銀子、そしてきみのおかげだ」
那由多はどこかすがすがしい、闇を取り払ったような表情で、ほほえんだ。




