二、
「おかえり、占部」
でむかえたのは、銀子だった。
瑞音はすでに姿を消してしまったし、銀子が見るのは占部だけだ。
「ああ……」
「ごはん、できているよ。那由多と一緒につくったんだ」
「そうか」
言葉すくない占部に疑問をうかべながらも、彼女は何も言わない。
気配で察しているのだろう。
だが、銀子に伝えなければならないことがある。
「どうしたの?」
廊下の途中で立ち止まった銀子は、不思議そうに首をかたむけた。
「いや。今日、カガネの城に行ったんだがな。あいつ――カガネは、もうおまえを娶る気はないんだとよ」
「そっか……」
「なんだよ、うれしくなさそうだな」
「そ、そんなことないよ! ほっとしたっていうほうが大きいだけ」
「ふうん。まあ、別にいいけどよ」
する、と衣擦れの音が聞こえる。
聞きなじんだ音だ。誰かはすぐにわかる。
「あまり銀子をいじめてはいけないよ」
「ああ? 別にそういうわけじゃねぇ」
那由多は、わずかにほほえんで、こめかみに手をあてた。
なにかを考えるしぐさだ。
「瑞音からいろいろ聞いたよ。珍しいこともあるものだね。占部」
「ったく、あいつは本当におしゃべりだな」
「?」
「ああ。銀子。きみにも話さなければならないことがある。食事をとったら、きみの部屋を訪おう」
「わかった」
満足そうにうなずくと、食事にしよう、那由多の部屋へむかった。
かぼちゃの煮物が大皿に載っている。
形はでこぼこで均等ではないが、よく煮えているようで、深い、きれいな色をしていた。
「か、かぼちゃは硬いから、切るの、むずかしいんだよ……」
銀子は形が悪いのを気にしているのか、ぽつりとつぶやいた。
「まあ、食えば形なんて気にならねぇがな」
「う、うん」
「さあ、すこし遅くなってしまったから、早めに食べてしまおうか」
「うん。いただきます」
手をあわせて、銀子はまっさきに自分でつくったかぼちゃの煮物に箸をつけた。
月夜、占部は那由多の部屋で晩酌をしていた。
「そうか。やはり、コトの容態は悪化していたか……」
「ああ。もう、そうそうもたないだろうな。――那由多」
白い髪の毛がふわりと揺れる。
エメラルド・グリーンの目は、もう何もかも知っているようだった。
「ああ。早々に始末をつけよう。コトの命はもう、どうにもならないが……」
「おまえなら、そういうと思ったよ。だが、これは私の仕事になりそうだ」
「――占部?」
猪口を畳に直に置き、丸窓を見つめる。
その目は決意に満ちていて、那由多はその意味を知ることになる。
「きみの手を汚すことはないだろう」
「いいや。これは、王――カガネとの約束だ。おまえの力は借りない。私は、私で何とかする」
「王、か……」
那由多が、ふっとほほえむ。
どこか、安堵したような表情だった。
「きみも、成長したようだね」
「ああ? 馬鹿にしてんのか、それ」
「いや、そうじゃないよ。ただ――なんていうんだろうね、安心した、というのが一番かな」
「……そうかよ」
月が出ていた。
丸窓から、ぼんやりとその明かりが畳を照らしている。
わずかな、静寂がおとずれた。
先にくちびるを開いたのは、那由多だった。
「わたしは、銀子に幸せになってほしいと、強く思っていた。誰よりも、幸福になるべき子なのだと思っている。でも、それは杞憂に終わったようだ――」
「どうして、おまえはそんなに銀子に幸せになってほしいんだ」
ずっと、疑問だった。
なぜ、そこまで固執するのか。銀子の幸福に。
那由多はそっと目を細めて、そっとほほえんだ。
「どうしてだろうね。けれどわたしは、あの子の目を見て、思ったんだ。この子は決して幸福ではない生きかたをしてきた。それでも、諦めない強い思いを持っている子だと。そんな子が、不幸な目にあってはいけない。たとえ、わたしの記憶さえ、偽りだとしても。ユキサの一族――彼女の母が定めた、運命だとしても。わたしは信じている。銀子のことを」
「そんなに強い思いがあるなら、おまえはおまえの幸福をつくってもいいんじゃないのか。銀子も、それを願っている」
誰よりも那由多の幸福を願うものは、銀子だろう。
だが、それを――幸福になる資格がないと誰よりも思っているのは、那由多だ。
「銀子の願いでもあるが、私の願いでもある。那由多。おまえは多くを殺したが、多くを生かした。それを罪と思うのは分かるが、それで助かった妖もいることを忘れないことだ」
「――きみは変わったね。とても、変わった。わたしたちのような、永遠に似た時を生きる存在にとって、変わることはとても難しいことだ。けれど、きみは変わった」
猪口を持った那由多は、そっと口をつけた。
那由多の、こころのなか。
それは誰にも分からない。
那由多でさえ。
「変わることを恐れたかい? きみは」
「――さあ。分からねぇな。だが、私が変わりたいと思って変わったわけじゃない」
「そうか。変わるということは、自分だけでできるものではないのかもしれないね……」
「まあ、そうだろうな。逆に聞くが、おまえは変わることを恐れるか?」
「そう、だね。そうかもしれない。今の自分が変わるということというのは、今の自分が消えるということだ。何度もわたしはわたしを消してきたが、それは必要に迫られて、だったからね」
「……そうだな。重要なのは、おまえがどうしたいか、だ」
銀子は、言うだろう。
あなたは、幸福になることを恐れている。
恐れることは悪くない。
それは、ちゃんと自分を見つめているから。逃げていないから。
丸窓のむこう。
竹林の影が風に揺れていた。




