一、
コトの激変は前々からは分かっていたものの、驚くべきものだった。
銀子を殺そうとまで威勢のよかった姫が。
「コト姫、だいぶ参っているようでしたね。占部どの」
「どう足掻いても死ぬんだ。そういうものだろ」
カガネの城に来た理由は、コトに会うためではない。カガネに会うためだ。
少々約束の時間に遅れたが、先にコトに会えてよかったのかもしれない。
カガネがいる大部屋の前には、槍を持った妖がいたが、占部と瑞音を認めたとたん、頭をさげてきた。
おそらく、瑞音のことも伝わっているのだろう。
「どうぞ。王がお待ちでいらっしゃいます」
襖を開けると、そこはいるはずだった采女たちが一切、一人残らず存在していなかった。
ただ、ひとりカガネが畳の上にすわっている。
「きたか。占部。そして那由多の式神よ」
「ああ。きてやったぞ。カガネ。ずいぶん、寂しい場所になったじゃねぇか」
「相変わらず、不遜な態度だな。占部。采女たちは、みな一時暇を出した。事態はだいぶ深刻なようだ」
白い髪の毛から突き出ている黒い角に手をあてて、目をふせた。
「コトと会ったようだな」
「ああ。だいぶ衰弱しているようだな。長くはもたないだろ」
「……これは、ぼくの責任だ。唯一の血族を亡くすことは、やはり身にこたえる」
「そうだろうよ。私には分からんがな。だが、弱音を吐くために私たちを呼び寄せたわけではないだろう」
カガネは、ふっと笑い、占部を見上げる。
そこには、まだ幼いながらも決意に満ちたカガネの姿があった。
「そうだ。お前たちに……頼みたいことがある。鵺の森の民に頼むことは、王としては恥だ。だが、それをも呑んで依頼したい」
「……言ってみろ」
「ぼくの周りには、もう味方がいないも同意だ。だが、それは結果にすぎない。ぼくの力が足りいなかった結果だ。だが……ぼくの唯一の血縁、コトを守ってほしい。これ以上、苦しむことがないように」
「コトは、そんなことを願う女なのか? あいつは、おまえと同じ根っこだ。孤高であり続ける。私が今更守ったとしても、喜びやしないだろ」
遅かった、とは思わない。後悔もしていない。
占部は、守ると決めたものしか守らない。
守護龍として生を受けたが、それでも龍は自我が強かった。
運命を受け入れず、自分の意思で生きていた。
もう一匹の龍は、自分の意思で生きなかったために、消滅した。それを恨むこともなかったが、「彼」はきっと、満足だっただろう。
何も守るものがなくなり、自分の仕事が終えることができたのだから。
「コトは……そういう姫なのかもしれないな。確かに……。遅かったんだ。何もかも。ぼくが気づくこともなく、コトはその運命を受け入れるのだ。強い、したたかな姫だよ。まったく」
彼はすこしだけ、呆れたように笑った。
コトは、占部に守られることに対して憧れを持っていたが、いまさら「おなさけ」で守られても、自分の矜持を汚され、踏みつけられる。そう思わざるを得ないだろう。
「だが……もし、妹姫がお前に守ってほしいと願うならば、その時は頼む。ただひとりの妹なんだ……」
「分かってるよ。それは約束する」
「それから、もうひとつ。この頃、不穏な空気を感じる。とくに、この城の中から」
「そうだろうな。全員、目がギラついている。おそらく、玉斧の手下だろ。だいぶ多くなった」
「ああ。まあ、ああいう輩は放っておけばいい。どうせ自滅する。その手伝いをするのはこのぼくでなければいけない。お前は手をだすな。これは王族の問題だ」
「それで、なにが言いたい」
「銀子に伝えろ。ぼくはもう、銀子と婚約する意思はないし、娶るにはまだ幼すぎる。年齢も、意思もな」
瑞音がこちらを見上げるしぐさをした。
苦々しく頭を掻くと、「わかったよ」と占部はうなずく。
「ただし、隙を見せるなよ。あの少女は、将来、うつくしい半妖になるだろう。弧月もうつくしい玄狐だったと聞く。彼女とは会ったことがないが」
「……ちっ、いけすかねぇガキだ。分かってて言いやがる」
「それくらい、嫌味を言ってもいいだろう」
カガネは意地悪そうに笑い、豊かに広がる布に触れた。豪華な布は、確かにカガネを守っているが、心はむき出しのままだ。
その心を守ることは、カガネ本人しかできない。
「そんぐらいの軽口をたたけるなら、十分だな。まあ、私としても鵺の森の守護を頼まれている。お前は鵺の森の王だ。死んでは困る妖がいる。おまえの周りのいけすかねぇ奴がいるなら、私が何とかしてやろう。まあ、私の案ではないが」
「どうせ那由多だろう。分かっている、それくらい。ぼくとしても、まだ死ぬつもりはない。王として、まだやり残したことがあるからな」
「認めるさ。おまえが鵺の森の王だということを」
それだけ言い残すと、呆気にとられているカガネを置いて、背を向けた。
瑞音も、占部とカガネを交互に見てから、あわててその背中を追う。
いくつもの階段をくだって、カガネの城を出たとき、瑞音が占部に問いかけた。
「珍しいですね。占部どの。カガネさまを褒めるなんて」
「褒めてなんかいねぇよ。認めただけだ。王としてな。あいつは幼くして王となった。その孤独は私たちと似たようなものだろう。まあ、とくにかくカガネは死なせねぇ。これは守護龍としての役目だ」




