十三、
「え……」
銀子は、この美しい女性が何を言っているのか分からなかった。
一瞬、何か重たいもので頭を叩かれたような、そんな気分になる。
「この鵺の森で一番、安全できれいな場所に住んでいて、どんな気分?」
「……わ、私は……」
「あなたが半妖だってこと、知れ渡っている。それがどういうことか分かる? あなたはまだ安全地帯にいるのよ。のうのうとね」
安全な場所。
きれいな場所。
那由多の、屋敷。
占部や那由多がいてくれる意味。
いまだ守られている理由。
半妖を嫌う、憎む、妖たちから、銀子は未だ、守られている。
知らなかったわけじゃない。けれど、それは言い訳にしかならない。
彼女の言っていることは、真実だ。
「あなたが言っていることは分かるよ。言い訳もしない。だって、本当のことだから。私はまだ――鴉が崩壊してもまだ守られたまま……」
「か弱い娘。ひとりで生きていける力もないくせに粋がって……占部様のとなりに、堂々といる……。私はそれが憎くてたまらない」
黒い豊かな髪に差している銀のかんざしが風に響き、その女性は指の爪を噛む。
きっと、このひともそうなのだろう。
カガネの妹姫、コトとおなじ。
占部をおもうひと。
「あなたは……占部が好きなの?」
「さあ……どうかしらね。でも、私はあなたが嫌い。占部様の隣にいるあなたが憎い」
「だったら私を憎めばい」
その声は、銀子のものではなかった。
「占部……」
細長い影。
彼は、あきれたような表情で二人を見下ろしていた。
「こいつにグチグチ言うくらいなら、本人に言ったらどうだ」
「占部様。私は、半妖が憎いわけではないのです。ただ、この娘の存在が許せない。守られているばかりのこの娘が」
「守られているのは、どこのどいつだか。だが、憎みたいのなら勝手に憎めばいい。憎しみだけじゃ、こいつは殺せないぞ」
殺したいほど、この女性は銀子を憎んでいるというのだろうか。
占部は、知っていたのだ。
このひとが、銀子を憎んでいるということを。
「人を呪わば穴二つ。まあ、私が言える立場じゃねぇがな」
「本当ですね。占部様。あなたの守護を受けるのは、鵺の森の民でなければならないのに」
「私は気まぐれだからな」
彼はふっと笑い、銀子に手を差し伸べた。
それを忌々しげに見つめていることを、占部も銀子も知っている。
「行くぞ。那由多が待っている」
「……うん」
彼女と話をして分かった。
別に、彼女は占部のことを想い、焦がれているわけではないということを。
ただ、きっと過去に近しい人を殺されたのだろう。占部たちに守られずに。
だからこそ、守られている銀子を憎み、妬んだのかもしれない。
いや――想像だけでひとを決めつけては、そのひとを侮辱することになる。
名も知らない女性は、きれいな所作で立ち上がり、背中をむけた。
「占部様。あなたにに選ばれたその娘は、本当に幸せなのでしょうか?」
そう呟いてから、彼女は立ち去った。
残ったのは、風の音だけだった。
占部は何も言わず、ただ風の吹く方角を探すように前を向いている。
「相変わらず、ろくでもねぇこと言ってやがる」
銀子は何も言えなかった。
彼女の気持ちを代弁する気もない。何故なら銀子は、彼女ではなからだ。
自分以外のひとが、代弁することはきっと、いけないことだから。
「行くぞ」
「うん」
二度めのことばに、もう一度うなずく。
占部の手をとって、歩く。
アソウギ通りから、那由多の屋敷までは大体20分くらいでつくのだが、今はやけに時間がゆっくりと流れている気がする。
占部が銀子の足を気遣っているのだとしても、もっと遅く感じる。
「占部、どうしたの?」
銀子が意識して立ち止まると、占部も同じように立ち止まった。
「私、あのひとのこと、間違ってるなんて言えないよ」
「……そうか。だが、あいつ……憎む相手を間違ってんだよ。本当は私を憎めばいいはずなのにな」
「それはきっと、占部に嫌われたくないからじゃないかな。だってあのひと、占部を見たとき、目を逸らさなかった。やましいことがあれば、きっと目を逸らしてたはずだよ。それくらい、真摯だった。間違ったことを言ってないって思ってたんだと思うから。……全部憶測でしかないけど」
占部は何も言わずに、空を見上げた。
まるで、答えをさがすように。
「まあ、全員に好かれようなんて思っちゃいねぇ。私も、おまえも」
「うん。そうだね……。あのね、あのおばさん……アソウギ通りで前お花を買ったおばさんからね、災厄を持ってくるような子じゃないって、そう言われたんだ。そう言ってくれるひともいる」
「ああ、あの商売上手な婆さんか」
銀子も占部も、聖人君子などではない。
憎むことも、恨むこともある。
全員から好かれることなんて、この先も決してないだろう。
もしかすると、人間の世界にも、鵺の森の妖たちにもそれは当てはまらないのかもしれない。
誰からも好かれる存在、なんて。
「私、うれしかったんだよ。このままでいいんだって言ってくれたみたいで」
「おまえのことを疎む妖もいるが、そういう婆さんもいるってこと、一応忘れないでおくんだな」
「うん」
「……まあ、そんな心配はしていないが」
ぼそりと呟いたことばは、もちろん銀子には聞こえていたから、うんと頷いた。
「おまえは、人を信じることが上手い娘だな。那由多と違って」
占部は己の親友を見出すように、あるいは羨望するように、足を一歩踏み出した。




