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鵺の森  作者: イヲ
第十三章・かたばみの葉
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十二、

「だいじょうぶ。アソウギ通りまで行けるよ」


 野菜をきらしてしまったという那由多に、銀子は申し出た。

 風はもう、冷たく思えるようになってきた。

 鵺の森にきてから、もう一年がたとうとしている。いや、もうたっているのかもしれない。

 曖昧なのは、「かがり」にいた時の記憶があまりないからだ。

 ただ、悲しかったことだけは覚えている。


「そうか。では、きみに任せよう。気をつけてね」

「うん」


 占部は、どこかへ行ってしまった。

 鴉が崩壊した今、危険はないが、生々しい怨嗟の視線があるかもしれない。

 半妖が災いをもたらすということを信じている妖がいるということもある。


 那由多の屋敷をでると、冷たい風が銀子の豊かな髪の毛をさらった。

 今日はいつもよりも寒い。

 秋は、きっと短いだろう。

 紅葉も、はやく散ってしまう。


 アソウギ通りに行くまで、誰とも通り過ぎなかった。

 静かだ。

 ただ、風の音だけが銀子の耳を楽しませた。

 思えば、こうしてひとりで出歩くことはあまりなかったように思う。

 いつも、隣に占部がいてくれた。

 それが当たり前ではないことは銀子は分かっているけれど、どこか寂しく感じるのはどうしてだろう。


(きっと、寒いからだ。)


 散りはじめた紅葉を踏みしめて、銀子はアソウギ通りへまっすぐ向かう。

 彼女が歩くたび、すこしずつ紅葉の色が濃くなってゆく。

 赤く染まっていく紅葉は、銀子の目に鮮やかに見える。

 かがりには、こんなきれいなものはなかった気がした。

 あったのは、歪んでしまった銀子の母、そしてそれを取り囲む女中たち。

 みんな、銀子を恐れていた。半妖の娘ただひとりを。



「あら、あの時の」


 あでやかな声が、銀子の耳に入った。

 はっと顔を上げると、ひと月ほど前に占部と丘に行く前、酒屋を通りかかったときに声をかけた女の人が立っていた。

 うつくしい蝶の刺繍の振袖。黒い髪の毛を結った彼女は、蝶の刺繍にも負けないほどの美しい女性だった。


「こんにちは」

「はい、こんにちは。今日はどうしたの?」

「野菜を買いに来たんだ」

「そう。偉いわね。ねえ、お野菜を買ったら、私とすこしお話をしない? あなたに聞きたいことがたくさんあるのよ」

「うん、分かった」


 彼女は微笑んで、酒屋の前で待ってるわ、と言って銀子を見送った。

 名前も知らないあの女性は、邪気の一つもなかった。銀子をよく思っていない人ではないのだと、ほっとする。

 

 八百屋も、もちろんアソウギ通りにはある。ここでは何でもそろうから、わざわざ遠出する必要もないと言って、周りの妖たちはみんな、ここにくる。

 だからか、いつもここは妖であふれかえっていた。


「……あ」


 いつもいた、ねずみのような愛嬌のある顔をした、年齢を重ねた女性がこちらに気づいたようで、手を振ってくれた。

 覚えていてくれたのだ。


「こんにちは。嬢ちゃん。今日はおつかいかい?」

「うん。野菜を買いに来たんだ」

「野菜だったら、ウチでも取り扱っているよ。かぼちゃ、さといも、モロヘヤ……」

「おいしそうだね。じゃあ、かぼちゃと……キャベツもあるんだね。栗も!」

「目が高いねぇ嬢ちゃんは。栗は、ウチの庭でとれたものだからね、あまりないんだよ。でも、甘くておいしいよ」


 那由多から頼まれたものは、かぼちゃがあれば、他には好きなように買ってもいいと言っていたから、キャベツと栗を買うことにする。

 それから、モロヘイヤも。


「ありがとうね。嬢ちゃん」

「ねえ、おばさん」


 那由多から預かった藤の枝で編んだ籠に詰めてくれている女性に、ふいに問いかける。


「私が半妖だってこと、知ってるんでしょう?」

「ああ、知っているよ。だから何だというんだい? あたしにとっては、大事な常連さんだってこと、変わらないよ。それに、とてもいい顔をしている。そんな嬢ちゃんが、災厄を持ってくるなんてあたしは思えないよ」

「おばさん……ありがとう」


 にこっと笑ったねずみのような女性は、おまけでモロヘイヤをもう一束、おまけをしてくれた。

 銀子は頭をさげてから、「ありがとうございます」と籠を受け取った。


「ありがとうって言うのはあたしの方さ。嬢ちゃんからもらったお金は、あたしの生活を豊かにしてくれるんだから」

「うん」

「半妖を嫌う今時じゃない妖もいるけど、嬢ちゃんをちゃんと見てくれているひとの方が、よっぽど多いと思うよ」


 再び頭を下げてから立ち去ろうとすると、ねずみのような女性は愛嬌のある表情で笑い、手を振ってくれた。

 銀子も手を振り返し、あの女性がいる場所へと向かった。



 秋晴れの空は、とても澄んでいてきれいだ。

 きっと、冬の空はもっと空気が澄んできれいだろう。

 占部と一緒に、その空をもう一度見たいと思う。



 女性は、すぐに見つかった。椛の木の下。

 ぽつんとたたずんでいる彼女は、遠くから見ても美しかった。

 まるで、本物の蝶のようだ。


「あら」


 女性は銀子に気づいたのか、顔をそっと上げた。

 白い頬は雪のようで、黒い髪は黒曜石のように美しい。


「お買い物、終わったのね」

「うん」

「こっち、座りなさいな」


 彼女がすすめたのは、古木だった。

 木は横たわっていて、椅子のようになっている。

 銀子が腰かけると、女性も優雅に裾を払いながら座った。




「あなた、占部様と那由多どのに囲まれて、どんな気分?」


 名も知らぬうつくしい女性は、毒蛇のように目を細めて、白い牙をむき出しにした――。

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