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鵺の森  作者: イヲ
第十三章・かたばみの葉
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十一、

「最近、どうも酒を飲まないようじゃないか」

「あ? ああ」


 銀子も眠ったころ、那由多と占部は久しぶりに酒を酌み交わした。

 白磁の猪口を那由多が持ち上げ、笑う。

 まるで、それがなぜかなど、とうに分かっているかのように。


「別に、飲む気がないだけだ」

「酒場の女性たちが嘆いていたよ」

「誰がおまえにチクったんだ、それは……」

「もちろん、暁暗さ」


 丸窓からは、月の光がゆるやかに那由多の白い頬を照らしている。

 彼の顔色は、あれからだいぶ良くなった。もう台所にも立てるし、式神も使える。銀子にも料理を教えられる。

 

 あれからひと月。


 王であるカガネからは何も言ってこない。

 無論、玉斧からも。

 だが、これで仕舞い、というわけではなさそうだ。

 何度も、文が届いている。

 銀子宛てではなく、那由多宛てに。


 そこには――要約すると「未だあきらめてはいない」とのことだ。


 それは玉斧からではなく、別の側近だったのだが。しかし、玉斧もおそらくあきらめてはいないだろう。

 あの男はさかしい。

 今は静かだとしても、いずれは火種になりかねない。

 そしていずれはカガネに代わって王に成り上がることを望んでいるのかもしれない。


 カガネは、王としては素質は十分だ。

 だが、玉斧――あの男は自らの欲に染まっている。自らの事しか省みず、民のことなど一切考えることはないだろう。

 逆に、それは玉斧に頭を垂れる妖もいるということだ。

 あの男についていけば、おこぼれをもらえるという、浅はかで単純な思考を持つ妖が。


「身を固めるということかい」


 思考に埋まった占部を掬いあげたのは、那由多の突拍子もないことばだった。


「は?」

「きみもそろそろ、身を固めたらどうだということだよ。銀子に逆鱗を渡したんだろう? 誰にも触れさせなかった逆鱗を、わざわざあの部屋に行ってまで」

「……銀子なら、いいと思った。あいつなら信じられる」

「そうか。そうだね。彼女なら、きっと大丈夫だろう。きみの想いを、受け止めてくれているのだから」


 ぐっと猪口の中の酒を飲み込んで、占部は顎を上げた。

 その視線の先には、ぼんやりと部屋を照らす月がある。


「久しぶりの酒は、熱いな……」


 ぼそり、と呟く。

 喉を通る、焼けるような熱さ。


「銀子とも酒を飲めるようになりたいね」

「いずれな」

「ああ……きみが考えていた、あの文のことだが……」

「おまえはどこまで人の考えていることがわかるんだ」

「きみとの付き合いも長いし、きみが危惧していることと言ったらそれくらいだろう」


 もっともな意見だ。

 占部はかすかに唸って、続きをうながした。


「わたしはね、あまり心配はしていないんだ。カガネの力は絶大だからね。玉斧とかいうあんな小さきものにカガネが膝をおることはないだろう。彼は気位が高いが、誰よりも鵺の森に住んでいる民のことを考えている」

「……本当にそうか、分からねぇがな」

「どういう意味だい」

「あいつもまだ稚い妖ということだ」


 カガネは、意思がない。すべて民のため、鵺の森のため。そう考えている。王にとって、それは理想だろう。

 しかし、ただの稚い妖だと占部は考える。

 自らのことも考えられない、どうでもいいと思っている。そんな妖は、個として信じられない。

 たとえ、王として立派だとしても。

 父王が死んで2か月で王になったカガネに、自らを認識する時間はなかったのかもしれない。


「哀れだとは思わんが、まだまだひ弱な妖だな。王としては認めるが、自分のことを何も分かっちゃいねぇ」

「そうかもしれないね。それにしても驚いた。きみがカガネを心配してくれていたとはね」

「別に心配なんぞしちゃいねぇが。私はただ、玉斧どもをどうにかしてほしいだけだ」

「玉斧は浅はかな男だ。考えていることが見えてしまっている。王としては全くあてにならない」


 王は孤独でなければならない。

 王は孤高でなければならない。

 王は気高くなければならない。

 王は畏怖されなければならない。


 おそらく、カガネはそう思っているのだろう。

 父王のそれを受け継いでいるのだ。

 けれど、銀子はそれを否定するはずだ。彼女は澄み切るような透明さ、ガラスのような心を持ち、残酷なまでにやさしい。

 ただ、間違っていることならば、それは違うと言える強さもある。

 だからこそ、占部はそれを尊重したいと思う。守りたいとも、思う。


「まあ、わたしにも考えがある。心配はいらないよ。きみにとっては最も苦手なことだろうからね」

「頭脳戦が苦手だと暗に言っているような気がするが」

「実際そうだろう」

「……ちっ、まあ、いい。私は銀子が無事ならそれでいいさ」

「きみは、それでいい。銀子が大切ならば、そのことばを守ることを第一にすればいいと、わたしは思うよ」


 那由多は立ち上がり、酒盛りはしまいだ、というように視線をおろした。

 頷き、倣うように占部も立ち上がり、そのまま、背を向けて那由多の部屋を出る。

 暗かった廊下に炎が燃え盛り、明るく照らされた。

 燃えるような赤い髪が、余計緋色に染め上げられる。


 前を、じっと見据えた。



 鵺の森には平穏が訪れた。


 だが、火種はまだくすぶっているようだ。

 吹き消せば消えそうな火でも、放っておけばやがてすべてを燃やし尽くす災害になる――。

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