四、
「だが、ぼくは鵺の森の王。そして、かがりの元とはいえ、主の娘――それがお前だ。強大な力を持っている……。ぼくとお前が婚約し、子をもうければ――時期鵺の森の王として申し分ないだろう」
「そのために、私と結婚しようとしたの? あなたの気持ちはどうなるの。あなただって――」
「ぼくは王だ。思いや心というものはない。あってはならない。すべて鵺の森のためだ」
このひとに、それがないと決めつけることは銀子にはできなかった。
先刻でさえ、あんなに悲しい目をしていたというのに。
「……でも、私はあなたの婚約者にはなれない。鵺の森は大切だけど、それはきっと、別なんだと思う……」
「お前の心も、ぼくの周りにとってどうでもいいことだ。別などとさえ、思っていないだろう」
ふ、と、カガネは自嘲気味にわらった。
まわりとは、カガネの側近たちのことだろう。
玉斧も、おそらく――そうだろう。だからあんな、こびへつらうような顔をしていたのだ。
銀子の機嫌をとるように。
「忘れるな。銀子。敵は鴉だけではない。もっとも、鴉はじき完全崩壊を迎えるだろうがな」
「……。あなたが、敵と言ってもいいの? 側近たちのことを」
「ぼくに敵味方はない。そろそろ行け。明日、那由多の屋敷に行く。それは約束しよう。換えの体なら、用意してある」
「わかった……」
さみしい人だと思う。それでも、カガネの婚約者にはなれない。
占部がいる。
占部がいてくれるのだ。
すっと立ち上がって、御簾をあげる。
采女たちの視線が突き刺さった。
「銀子。とっとと帰るぞ。那由多のことも心配だ」
「うん」
ざわつく大広間をあとにすると、占部はおおきなため息をついた。
頭痛がしているように、頭に手をあてている。
「……婚約ときたか。どうも最近騒がしいと思ったら」
「占部、知っていたの?」
「夜、よく飲みに行っているんだが、そのときにな。カガネの馬鹿な側近が噂を流しているんだろ」
「銀子様、占部様」
すぐ近くに、いつの間にか玉斧が立っていた。
手を商人のように揉み込んで笑っているが、銀子にはそれが恐ろしく思えた。
彼も、銀子を道具として見ている。
いや、カガネのことでさえも――。
「これから、お時間はございますか? いえいえ、那由多様が大変な時期だと存じておりますが……。ぜひ、お聞きかせ願いたいことが……」
「結構だ。行くぞ、銀子」
「わっ」
腕を握られて、玉斧のそばを離れる。
彼はどこか怒っているようにも見えた。彼の足は迷うことなく城の外に向かっている。
ようやく立ち止まったのは、城の外から離れた、林のなかだった。
そこまで、立ち止まりもせず、話もしなかったので、銀子にとってはとても不安な時間だった。
かさり、と葉のしけった音がする。
「悪い」
「?」
「痛かったか」
腕のことを言っているのだろうか。銀子はかぶりを振って否定する。
たしかに驚いたけれど、加減してくれていたことは確かだ。
「ううん。大丈夫……。私、婚約なんてしたくないよ」
「……カガネの嫁になれば、戦わなくていいと、悲しむことはないと言っていたな。おそらくそれは、真実だろう。カガネの威光は強大だ。誰もが信じ、疑わない。だが、おまえは……疑うんだな」
「カガネだって、ただの妖。あのひとは、心も思いもないって言っていたけど、術も使っていないのに、心も思いもないなんて、嘘。それに、私は占部が好きだもの」
カーヴをえがく髪の毛が、風にのってふわりとゆれる。
占部が銀子を抱きしめたのだと知ったのは、彼女が彼の体温を感じたあとだった。
「占部?」
「気にすんな。私の、つまらない意地だ」
「意地?」
「あのおっさんが着いてきている」
銀子の耳元でささやかれた言葉は、驚くべきものでもなかった。
そう予感がしていたのだ。あの男性は、銀子とカガネを婚約させたいのだと、いやでも分かる。
「あきらめの悪いおっさんだ」
「あ、あの……」
あまりにも長い間、こうしている気がした。風が通り過ぎ、髪の毛がふるえる。
下駄の鼻緒が切れそうな気さえ、した。
「おい、着いてきてるんだろ。玉斧っつったか」
林に茂る木々の間から、こびへつらう表情をした玉斧が、こっそりと顔を出した。しかし、先刻のように完全に媚びているような様子はない。その表情の裏に、なにがあるのだろう――。
ようやく体をはなされて、銀子は大きく呼吸をした。
「銀子様。カガネ様のお申し出をお受けになりますよね? 王の正室になれば、欲しいものは何でも手に入ります」
「ふざけんな!!」
占部が叫ぶ。
びくりと銀子の肩が揺れて、占部の顔を見上げた。
彼は、真剣に怒っているのだと、理解する。
「銀子を、どれだけ道具扱いすりゃ気が済むんだ。銀子の思いはどうなる。銀子の心はどうなる。お前はどうせ、カガネのためでさえない、自分の昇進や地位しか考えていないんだろ。見え見えなんだよ」
「お言葉ですが、占部様。私はカガネ様のお幸せを……」
「カガネは幸せを願ってなどいない。それさえ分からない男が側近とは笑わせるな」
銀子は、おもう。
自分のほしいものは何だろう。
ほんとうに欲しいものは。
「私は……占部たちと一緒に暮らしたいだけ。カガネにどんなものも与えられたって、うれしくなんてない」
きっと、そういう意味ではカガネも被害者だ。
王という存在を与えられ、欲しいものに囲まれているけれど、ほんとうに満たされている姿ではなかった。
だからあんなにもかなしい目をしていたのだ……。




