三、
門番が帰ってきたのは、おおよそ10分あとだった。
血相を変えてやってきたのは、門番だけではない。もうひとり、豪奢な着物に羽織を羽織った男性が出てきたのだ。
「占部様、銀子様。お待たせいたしました。どうぞ、こちらへ。カガネ様がお待ちです」
「ああ? 何だお前。見ねぇ顔だな」
「申し遅れました。私、カガネ様の側近の玉斧と申します。さあ、さあ、こちらへ」
占部の顔をみると、カガネの側近だとしても見ない顔のようだった。
銀子もそうだ。
カガネと会ったときは、だいたい采女の女性たちか、あの舞踏会で会った男性たちだけだ。もっとも男性たちも、よく覚えていないので、会ったのか会っていないのかさえ分からない。
それでも、銀子の目にはどこか狡猾な印象をうけた。
カガネの城に入ると、采女たちがこちらをじろじろと遠慮のない視線を、占部ではなく銀子に注がれた。
「……?」
「銀子」
いきなり手をとられ、前のめりになってしまいそうになる。
それでも倒れずに、占部の手のあたたかさを感じた。
「……なんだろう。みんな、変」
「いやな予感がする」
ぼそりと呟いた声色。
銀子は思わず目を見開く。なにか、聞こえたのだ。
そう、はっきりと、「あんな半妖の娘がカガネ様の――」ということば。
そこまでしか聞こえなかったが、占部のその予感は的中するだろうと、どこか恐ろしくなった。
カガネと謁見するための部屋の襖を開くと、そこには采女たちがずらりと並んでいた。
あのときと同じだ。
御簾の向こうに、カガネがいる。影がゆらりと揺れた。
「やはり、占部。お前はいつも急に来るのだなあ」
「けっ、よく言う。お前だって分かってるんだろ。那由多のことを」
「ああ、そうだな。もう、そんな時期だ……。安心するといい。ぼくはすでに彼の体を用意してある。明日、那由多の屋敷に行く予定だ」
くぐもった声。
それは御簾越しだからだけではない、と銀子は思う。
なにかを隠している、とも。
「そして銀子。お前に告げることがある」
「……」
ざわり、と、両脇に控えている采女たちが一斉にざわめいた。
まるで、渦潮のように、銀子のこころを飲み込むようだ。
膝をにぎりしめて、それに――采女たちの視線に負けぬよう、カガネのいる場所をにらみつける。
「そうにらむな、銀子。お前にとっても悪い話ではないだろう。おそらく、だがな」
「……どういうこと?」
「ぼくと婚約しろ」
がん、と頭を殴られたような感覚に陥った。
そのせいで、動けない。
目の前が真っ白になるのは、「なぜか」ということを分かってしまっているからだろうか。
(このひとも、私を道具として見ているの……。)
「ふざけるなよ。カガネ」
占部は決して感情的にはならず、そっと、水をすくうように呟いた。
「このぼくがいつ、ふざけているというんだ? ぼくはいつも真実しか言わない。それに、ぼくはお前に問うているのではない。銀子に問うているんだ」
「……わ、私は……」
「ぼくと婚約すれば、お前はもう、戦わなくていい。悲しませることもしない……」
わずかにかすれた声。
占部は、冷めた目でカガネを見ている。
「悲しませることもしない? そりゃ無理な話だ。こいつには――銀子には、つねに悲しみがつきまとっている。誰にもそれを取り去ることはできない。私も、那由多でさえな」
「占部……」
「いいや。占部。お前だからこそ、銀子に悲しみを与える」
まるで、心を刃物で切りつけられたように痛む。
(占部がいるから楽しい。占部がいるから愛しい。占部がいるから――悲しい。)
(私の心を、カガネは知っている。)
(恐ろしいほどに。)
(このひとが、怖い……。)
「銀子。こちらへ来い。話したいことがある」
「……分かった」
カガネは、何かを隠している。
そう、銀子は悟った。
彼女はすっと立ち上がり、カガネの元へと歩いて行く。
ゆっくりと、それでも凜とした姿勢で。
占部は何も言わなかった。
信じてくれている――。そう、銀子は思う。だから、必ず占部のもとに戻ってくる。そう、銀子自身も信じていた――。
カガネは御簾をあげ、銀子を誘った。
それを甘んじて受け、銀子は御簾の中へと足を踏み入れる。
「……なに?」
「月虹姫を殺したのはお前だな。銀子」
「そうだよ……。私が、彼女を殺した。心の奥底で」
「そうか。おかげで鴉は壊滅状態だ。まあ、それはどうでもいい。おかげで鵺の森に平和がおとずれる」
「……婚約ってどういうこと? 私は、あなたと結婚なんてできないよ」
「そうだろうな。お前と占部が好き合っているのは知っている」
「な……っ」
かっと頭が熱くなる。
おもわず膝をたてようとしたけれど、こらえる。
占部が待っているのだ。むこうがわで。信じてくれているのだ。
「じゃあ、なんでそんなことを言うの? あなたが本当に私のことを好きだとは思えない。あなたも、私のことを鵺の森を守る道具としか見ていないんでしょう。私には分かる。あなたの目の色。道具を見る目をしてる」
一気に言い放つと、カガネはそっと目を伏せた。
その様子は、今まで見たこともない、見目年齢相応だった。
悲しそうで、つらそうな。
「お前には、そう見えるかもしれない。だが――いや、そうだな。ぼくはお前を道具として見ていたのだろう。不倶戴天のときもそうだ。朽ちた命を、芽吹かせたのだ。ぼくは、これ以上ない――道具だと思った。それは否定しない」
「占部は私を道具として最初から見ていなかった。いつも、平等だった」
カガネの本当の思いが見えない。本当の気持ちが見えない。
実直に、素直に伝えるカガネが、分からない。




