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鵺の森  作者: イヲ
第十三章・かたばみの葉
106/129

一、

 銀子が立ち上がれるようになれたのは、それから2日後のことだった。

 最初は立つことがかなり大変だったが、立ってしまえばそれほど苦労はしなかったように思う。


 ひとりで、中庭の縁側にすわった。

 月が出ている、すこし蒸し暑い夜だった。

 虫の声が聞こえる。

 

 すべてを思いだした。

 銀子と母の記憶。

 道具として育まれた過去。

 彼女は、いつもちがう場所を見ていた。

 銀子を見ていても、見ていなかった。

 きっと、父のことを見ていたのだろう。

 死んでしまった、父のことを。

 だから、根の国に半分行ってしまったまま、銀子を育てた。

 それを、知っていた。

 じっと、その光景を見ていた。


 つらかったけれど、それでも産んでくれたことに感謝しなければ。

 

「でも、私は平気。道具として育てられたとしても、それを否定してくれた人がいるから」


 そっと、ひとりでつぶやく。

 誰にも聞こえないように。

 まるで――決意したように。


「銀子」

「わっ」


 いきなり話しかけられて、おもわず肩が揺れる。

 顔をあげると、占部が不審そうな表情で銀子を見下ろしていた。


「占部? どうしたの」

「いや、別に」

「ちょっと寝苦しいもんね」

「そういうわけじゃねぇんだが」

「? ふぅん」


 とくに追求せずにいると、彼は銀子のとなりに座った。

 話すこともせずに、ただぼうっと占部は月を見上げている。


 しめった風が、長い髪の毛をゆらしたあと、くちびるを開いたのは占部だった。


「おまえは今、幸せか?」


 占部らしくない言葉、だと思った。

 それでも、彼は彼なりに案じてくれているのだ。

 「好きだ」と言われたあと、銀子は幾夜も幾夜も考えた。

 占部にとって、銀子はふさわしいのだろうか、と。

 銀子は、占部を嫌いにはなれないだろう。それは絶対だ。

 けども、占部にもっとふさわしい人がいるのではないか、とも思ってしまう。


 銀子はまだ幼い。

 いとけない精神に、それは考えなければならない事柄だ。


「幸せだよ」


 それでも、これだけはいえる。幸せなのだと。

 占部はすこしだけ驚いた表情をした。


「だって、占部も那由多も、みんなやさしいから。そんな人たちに囲まれて、幸せじゃないなんて言えないよ」

「ああ……そうだな」


 ふっと、占部は笑った。

 そんな表情が好きだ、とおもう。

 好きな人が幸せだと、自分も幸せに思えるのだろうか。

 そう思わせる笑みだった。


「占部は? 占部は幸せ?」

「……幸福な生き方じゃなかったが、今はずいぶんマシになった。おまえと出会ってからはな。今じゃ、幸せと感じられる」

「……そうなんだ。よかった」


 今、とてもうれしいことを言ってくれたけれど、銀子は照れ隠しに一言だけ、つぶやいた。

 占部の想いを、知ってのことだ。

 卑怯だと思う。


(私は卑怯だ。占部の想いを踏みにじっている気がする。)


 それを打破するには、銀子自身の思いをことばにするしかない。

 けれど、こころのどこかがそれを拒否する。

 

(占部のことは好きだ。けど、それを本心にする勇気がない……。)


「おまえ、寝てないのか」

「え?」

「そんな顔をしている。まあ、原因は私なのだろうがな」

「そんなことない!」


 思ったよりも、大きな声が出てしまい、思わず口を押さえる。そして予想通り、占部は再び驚いた顔をした。


「いろいろ考えてしまうのは、私のせい。占部のせいじゃないよ」

「いろいろ考える?」

「え、えっと……その、占部にとって、もっとふさわしい人がいるんじゃないか、とか……」

「……」


 そんなことを真正面から言えるはずもなく、自分のひざを見つめてつぶやいた。

 

「あのな、ふさわしいって何だ。地位か? 金があることか? んなもん、私はいらねぇ。本当に怖いのは――」


 ああ、そうか、と銀子は思う。

 なぜ、こんな簡単なことに気づかなかったのだろう。

 銀子は必ず、占部を置いていってしまう。

 半妖は、何年生きられるのかも分からない。

 人間とおなじくらいなのかもしれないし、もっと生きられるのかもしれない。


「私が置いて行かれることだ。だが、それでも私はおまえが好きなんだ。たった百年も生きられない娘に、私は好意を寄せてしまった。だが、後悔などしていない。それが私の本心だからだ。本心だけは、だれかに拒絶されようが曲がらない。たとえ、年月であろうとな」

「……」


 そこまでの覚悟をもって、銀子に告白をしたのだ。

 

「そうだね……。占部の言うとおり。占部は後悔しないのね。私も後悔したくない。臆病なままじゃいけない」


 膝をぎゅっと握りしめて、占部の顔をしっかり見上げる。

 自分の思いから逃げていては、いつまでも弱いままだ。泣き虫のままだ。


 だから、告げようと思う。


「わ、私も、占部のこと好きだよ……」


 その後は、虫の声しかしなかった。


「……そうか……」


 たっぷり数十秒たってから、占部は呼吸するようにつぶやいた。

 その声色はどこか諦めたような、それでいて悲しげだった。


「悲しいの? 私が好きになって」

「いや……そうじゃない。いや、まさかおまえが本当に言うとは思わなかった。驚いただけだ」

「本当にってなに!」

「そう怒るな」


 占部はなぜか顔を覆って、おおきくため息をついた。

 

「……どうしたの?」

「私くらいの年になると、相思相愛ってのがないんだよ……」

「ふうん。でも、私は占部のこと好きだよ。占部も、私のこと好きって言ってくれて、すごくうれしい」


 たしかなことだった。

 これが、「私のほんとう」だと胸を張って言える。

 占部に告げて、どこかすっきりとした気がした。

 きっと、想いを告げようとしても告げられずに、重たく心にのしかかっていたのかもしれない。

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