八、
銀子は占部の予想通り、おおよそ一日間眠ったあと、覚醒した。
「……占部……ずっといてくれたの?」
「那由多が寝込んでるんだ。私がいるしかないだろ」
「那由多が!?」
「術式の使いすぎだ。寝てれば治る」
寝癖がついている銀子の長い髪を、無意識に手を伸ばして直してやる。
「寝癖」
「結構、眠ってたの? 私」
「そうだな。一週間ってとこか」
彼女は驚いたように目を見張った。
一日くらいだと思っていたが、ずいぶん眠っていたらしい。
「前のおまえだと、半年は目を覚まさなかっただろうな」
「え?」
「おまえの母親から力を継承しなかったら、ということだ。それほど、おまえは力に慣らされてきている」
「……そうなんだ……」
「まあ、過ぎたことは仕方ないだろ。今はこうして生還した。それでいいじゃねぇか。生きているんだから」
銀子は、薄い毛布をぎゅっと握りしめた。
そうだ。
生きている。これ以上のことはない。
「ありがとう。占部」
「あ?」
「月虹姫の心のなかでね、占部が助けてくれたような気がしたから」
「私は何もしちゃいねぇよ」
「うん。でも、ありがとう。あなたがいなかったら私、きっと負けていた」
透明感のあるほほえみに、占部はかすかにたじろいだ。
ここではぐらかすことは簡単だ。
だが、それではいけない、と伊予姫が言っていた気がする。
「銀子」
「なに?」
「私は、私の心を見失っていた。いや、心など必要ないとさえ思っていた。だが、おまえがそれを否定してくれた。私にも心はあるのだと、見失った心を引き戻してくれた」
「……」
銀子は、湖面のような瞳で、占部の目を見つめ返していた。
すべてを、受け入れるように。
「そして、気づいたことがひとつある」
銀子の手を握る。痛まない程度に。
彼女は、振り払うこともせず、ただ占部を見上げていた。
「私は、おまえが好きだ」
ゆら、と揺れる。
湖面が。
水面に、足をそっと差し入れるように。
「うん」
銀子は、ひとつだけ、うなずいた。
「うんって何だよ。一世一代の告白を」
「……うん」
信じてくれないのかもしれない。
信じられないのかもしれない。
母親に道具と言われ、祖母にも望まれなかった少女。
それでも、届くと信じている。
たとえ銀子が占部の想いを受け入れなくとも、拒絶はしないだろうと、占部は思考した結果がこれだ。
ずるい男だ、とも思う。
「ありがとう」
「……ああ」
「私ね、誰かに抱きしめてもらうことなんて、なかった。お母さんにも。でも、占部が抱きしめてくれて、私、わかったんだ」
占部の手に、銀子の手がかさなる。あたたかかった。
「抱きしめられた感覚。その意味。あなたの心を」
最後まで言わせなかった。
占部は手を伸ばし、銀子の体をきつく抱きしめた。
迷いはなかった。
これこそが、占部の答えだ。
彼の背中に沿わせた手。
おそらくそれが――銀子の答えだ。
「あなたはいつも、私を守ってくれた。助けてくれた。でも、それだけじゃない。あなたを愛しいと思う気持ちは、誰よりもきっと、強いのだとおもう」
「思う、か」
「コトさんの想いも、きっと本物。あなたが好きって言う想いも、本物だよ」
どうしてここでコトの名前が出てくるのか。
占部はそっと銀子の肩をもって、体を離した。
「情けねぇ顔」
「……占部がわかってないからだよ」
泣きそうな顔。
占部の指が目尻をこする。
「泣いてない」
「知ってる」
「占部は、コトさんの想いを知ってるの? 私、会ったのは一回だけだけど、私を殺したいくらいにあなたを手に入れようとした。そのこと、わかってる?」
「わかってるよ。ろくでもねぇ女だ」
「そんなこと言っちゃだめ。私もまだよくわからないけれど、それだけ強くあなたのことを手に入れたいと、好きでいたいとしてた。だから――ろくでもないんて言っちゃだめなの」
占部はなぜ怒られているのかわからず、すこしだけ呆然とした。
けれど、怒っているのは銀子のはずなのに、どこか悲しそうだった。
ともすれば、また泣きそうだ。
「でも、わかっているのにあなたは私を選んでくれた。それだけでじゅうぶん」
「十分なんて言うもんじゃねぇ」
「?」
「おまえの答えを聞いていない。まさかそのまま、逃げるつもりじゃないだろうな」
「に、逃げないよ!」
そんな卑怯なことできない、とちいさくつぶやいた。
彼女は無意識になのか、琥珀の首飾りを握りしめている。
「――まあ、そんな急いで答えを出さなくてもいい。おまえはまだ子供だからな」
「こ、子供じゃ……」
「まだ十数年しか生きてない子供だろ」
「そうだけど……。じゃあ、待っていて。私、ちゃんと答え、出すから。逃げないから」
「ああ」
満足そうに笑う占部を、久しぶりに見た気がする。
占部の笑った顔が好きだ。
口はすこし悪いけれど、いつも銀子を案じてくれていることを知っている。
一緒にいるととても安心する。
その答えはなに?
銀子のなかでその答えはまだ陽炎のようにゆらめいているけれど、いずれわかるだろう。
彼が――占部が、銀子のなかでどれほど特別かということを。
守ってくれていたからではない。
占部の心に、ことばに、どれだけ心が安らいだだろう。
彼は、銀子のそばから離れようとはしなかった。
それが占部の答えで、体現なのだ。
銀子はおもう。
握られたこの手を離さないでいよう、と。
この人の隣にいよう、と。




