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鵺の森  作者: イヲ
第十二章・朱夏
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八、

 銀子は占部の予想通り、おおよそ一日間眠ったあと、覚醒した。


「……占部……ずっといてくれたの?」

「那由多が寝込んでるんだ。私がいるしかないだろ」

「那由多が!?」

「術式の使いすぎだ。寝てれば治る」


 寝癖がついている銀子の長い髪を、無意識に手を伸ばして直してやる。


「寝癖」

「結構、眠ってたの? 私」

「そうだな。一週間ってとこか」


 彼女は驚いたように目を見張った。

 一日くらいだと思っていたが、ずいぶん眠っていたらしい。


「前のおまえだと、半年は目を覚まさなかっただろうな」

「え?」

「おまえの母親から力を継承しなかったら、ということだ。それほど、おまえは力に慣らされてきている」

「……そうなんだ……」

「まあ、過ぎたことは仕方ないだろ。今はこうして生還した。それでいいじゃねぇか。生きているんだから」


 銀子は、薄い毛布をぎゅっと握りしめた。

 そうだ。

 生きている。これ以上のことはない。


「ありがとう。占部」

「あ?」

「月虹姫の心のなかでね、占部が助けてくれたような気がしたから」

「私は何もしちゃいねぇよ」

「うん。でも、ありがとう。あなたがいなかったら私、きっと負けていた」


 透明感のあるほほえみに、占部はかすかにたじろいだ。

 ここではぐらかすことは簡単だ。

 だが、それではいけない、と伊予姫が言っていた気がする。


「銀子」

「なに?」

「私は、私の心を見失っていた。いや、心など必要ないとさえ思っていた。だが、おまえがそれを否定してくれた。私にも心はあるのだと、見失った心を引き戻してくれた」

「……」


 銀子は、湖面のような瞳で、占部の目を見つめ返していた。

 すべてを、受け入れるように。


「そして、気づいたことがひとつある」


 銀子の手を握る。痛まない程度に。

 彼女は、振り払うこともせず、ただ占部を見上げていた。



「私は、おまえが好きだ」



 ゆら、と揺れる。

 湖面が。

 水面に、足をそっと差し入れるように。


「うん」


 銀子は、ひとつだけ、うなずいた。

 

「うんって何だよ。一世一代の告白を」

「……うん」


 信じてくれないのかもしれない。

 信じられないのかもしれない。

 母親に道具と言われ、祖母にも望まれなかった少女。

 それでも、届くと信じている。

 

 たとえ銀子が占部の想いを受け入れなくとも、拒絶はしないだろうと、占部は思考した結果がこれだ。

 ずるい男だ、とも思う。


「ありがとう」

「……ああ」

「私ね、誰かに抱きしめてもらうことなんて、なかった。お母さんにも。でも、占部が抱きしめてくれて、私、わかったんだ」


 占部の手に、銀子の手がかさなる。あたたかかった。

 

「抱きしめられた感覚。その意味。あなたの心を」


 最後まで言わせなかった。

 占部は手を伸ばし、銀子の体をきつく抱きしめた。

 迷いはなかった。

 これこそが、占部の答えだ。


 彼の背中に沿わせた手。

 おそらくそれが――銀子の答えだ。


「あなたはいつも、私を守ってくれた。助けてくれた。でも、それだけじゃない。あなたを愛しいと思う気持ちは、誰よりもきっと、強いのだとおもう」

「思う、か」

「コトさんの想いも、きっと本物。あなたが好きって言う想いも、本物だよ」


 どうしてここでコトの名前が出てくるのか。

 占部はそっと銀子の肩をもって、体を離した。


「情けねぇ顔」

「……占部がわかってないからだよ」


 泣きそうな顔。

 占部の指が目尻をこする。


「泣いてない」

「知ってる」

「占部は、コトさんの想いを知ってるの? 私、会ったのは一回だけだけど、私を殺したいくらいにあなたを手に入れようとした。そのこと、わかってる?」

「わかってるよ。ろくでもねぇ女だ」

「そんなこと言っちゃだめ。私もまだよくわからないけれど、それだけ強くあなたのことを手に入れたいと、好きでいたいとしてた。だから――ろくでもないんて言っちゃだめなの」


 占部はなぜ怒られているのかわからず、すこしだけ呆然とした。

 けれど、怒っているのは銀子のはずなのに、どこか悲しそうだった。

 ともすれば、また泣きそうだ。


「でも、わかっているのにあなたは私を選んでくれた。それだけでじゅうぶん」

「十分なんて言うもんじゃねぇ」

「?」

「おまえの答えを聞いていない。まさかそのまま、逃げるつもりじゃないだろうな」

「に、逃げないよ!」


 そんな卑怯なことできない、とちいさくつぶやいた。

 彼女は無意識になのか、琥珀の首飾りを握りしめている。


「――まあ、そんな急いで答えを出さなくてもいい。おまえはまだ子供だからな」

「こ、子供じゃ……」

「まだ十数年しか生きてない子供だろ」 

「そうだけど……。じゃあ、待っていて。私、ちゃんと答え、出すから。逃げないから」

「ああ」


 満足そうに笑う占部を、久しぶりに見た気がする。

 占部の笑った顔が好きだ。

 口はすこし悪いけれど、いつも銀子を案じてくれていることを知っている。

 一緒にいるととても安心する。

 

 その答えはなに?


 銀子のなかでその答えはまだ陽炎のようにゆらめいているけれど、いずれわかるだろう。


 彼が――占部が、銀子のなかでどれほど特別かということを。

 守ってくれていたからではない。

 占部の心に、ことばに、どれだけ心が安らいだだろう。



 彼は、銀子のそばから離れようとはしなかった。

 それが占部の答えで、体現なのだ。


 銀子はおもう。

 握られたこの手を離さないでいよう、と。

 この人の隣にいよう、と。

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