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鵺の森  作者: イヲ
第十二章・朱夏
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七、


「銀子」


 声が聞こえた。


「よく、戻ってきてくれた」


 どこか、安堵したような声を聞いて、ああ、戻ってこれたのだなと実感する。

 ギンイロが手を引いてくれなかったら、ずっとあのままだっただろう。

 羊水に浸るような感覚が永遠に続いていたはずだ。


「私……」


 額を撫でてくれるのは、誰だろう。

 つめたい。

 見ているのに、見ることができない。


「那由多……?」

「ああ。占部もいるよ」

「占部……。そうだ、私……」

「今はまだ、無理をしなくてもいい。ゆっくり眠っていておくれ。まだ、きみの体は完全じゃない」


 頭がもうろうとして、考えることを拒絶しているように思える。

 けれど、帰ってこれたことが何よりもうれしかった。

 占部の元へ。那由多の元へ。





「眠ったか」

「ああ。そのようだ」


 那由多の顔色はいいとは言えないが、以前よりは随分ましになったようだ。

 それでもまだ――心配な点はあるが。


「月虹姫の遺体はどうするつもりだ? ただ単に埋めるつもりじゃないだろう」

「それはぬかりない。月江に協力してもらって、永久的に力も体も――心も封じる術式を施す予定だからね」

「そうか……」

「わたしもまだおちおち寝込んではいられないな」

「おちおちどころじゃねぇだろ」


 永久的に術式を施すのならば、那由多もそれに従わなければならないのだから。

 那由多には、まだ生きなければいけない理由がひとつ、できた。

 もっとも、死のうにも死ねない精神を持っているのだが。


 彼の体が限界に達すると、精神のみがほかの「体」に乗り移る。

 それを繰り返してきた。

 外見はおなじだが、その体を精神で抑えなければならないことで、彼は苦しむことになる。

 言うなれば、「慣らさなければならない」のだ。


 その反動が、以前銀子が見たヒトの姿ではなくなるということなのだろう、と那由多は他人事のように説明した。


 ふいに座っているはずの那由多の体がぐらりと揺れる。

 占部は思わず手を出して、銀子の体と衝突するのを避けた。


「おい那由多。おまえ、そろそろ時期じゃねぇのか? 寝てろ」

「――そうだね。そうさせてもらおうかな。銀子のことを頼むよ」

「ああ」


 彼はふらつきながらも、うまく立ち上がり、自室へ向かったようだった。


 こうしてみると、銀子の部屋はおそろしく殺風景だった。占部の部屋もおなじようなものだが、銀子自身のものは着るものしかない。

 それと、長持のなかに入っている、用途不明の品々くらいだ。


 我慢してきたのだろうか。


 つぐみも、おなじだった。

 彼女の部屋も、殺風景そのものだったように思える。

 ちいさな花も、少女が好みそうな香も必要がなかったのだろうか。


「いや、違うな……」


 ひとり、つぶやく。

 つぐみはつぐみだ。銀子ではない。だれも、だれかの代わりにはなれない。

 銀子には、銀子のほしいものを与えたい。

 きれいだとはしゃいでいた、都雅(とが)という花も、銀子の父親――一叶が好きだったという野の花も。

 彼女に贈ろう。


「……」


 頭の片隅で、それも違う、とだれかが囁いた。

 銀子は、モノをほしがる少女ではないということに気づいた。

 そうだ、だからだ。

 着物を買ったときも、あんなにも惑っていた。

 

 気づかなかった、と言えばそれまでだ。

 彼女がほんとうに欲しいものは何なのだろう――。


(気づいているんだろう。本当は。)


 だれかが囁く。


(逃げているのだ。お前は。銀子から。そして、自分の心から。)


 自分の心――。

 ないと思っていた、いや、冷えて固まった心を溶かしたのは、銀子だ。

 凍えて動けなかった占部に手をさしのべたのも銀子だ。


(それは、恩なのだと思っていた。)

(さしのべてくれたから(・・・・・)、守っているのだと、思っていた。)


 けれど、それはちがう――。

 ちがうのだ、とおもわず占部は自分の手をきつく握りしめた。


 そして、自分が自分に問いかける。


(取り繕うことは誰でもできる。だが、ことばで伝えなければ分からないことも、多々ある。)

(お前は取り繕うことができるほど、器用じゃないだろう? だったら、ことばで伝えなければ――ずっとこのままだ。)


 銀子の手をそっと握る。

 手のやわらかさを保ったままの少女は、占部になにを求めているのだろう?


 ――いや、そんなことを考えているから駄目なのだ。

 これは、銀子の問題ではない。

 たとえこのことばで銀子を傷つけようとも――。


 ぐっと手を握りしめる。

 

(自分は何をしたいのか。どうしたいのか。よく考えろ。)

(暁暗も言っていただろう。問題は、自分の気持ちの問題だと。)




 銀子はまだ、目が覚めないだろう。

 覚醒するには、あと一日ほどかかるはずだ。


 占部はそっと彼女の部屋を出て、伊予姫のいる中庭にたどりつく。

 月が出ている。

 占部は、伊予姫の幹に手をあてた。

 なにも聞こえないことはわかっている。

 

 わかっていたが――かすかな、本当にかすかな声が、占部の耳に鈴のような、透明な声が聞こえてきた。


「……伊予姫か……?」

「そうよ。私の声が聞こえるのね――占部」

「――ああ」

「久しぶりね。何百年ぶりかしら。あなたと話すのは。でも、今になって私の声が聞こえてくるということは、何も不思議なことではないわ」

「どういう意味だ」

「人の……半分とはいえ、人の慈しむ気持ちに触れたからよ。守護龍としてだけの意味ではないと気づいたから。あなたにも、心がある。見失っていただけ。それだけなの」


 幹に手を当てたまま、月を見上げる。

 下弦の月。

 かすかな雲。

 虫の声。


 もう、伊予姫の声は聞こえてくることはなかった。

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